第16話
夜。パーティー会場となっているお城のある一室。ユーリックブレヒト公爵が割り当てられた控室には、準備を終えた私とアシュの姿があった。
そのアシュは不安そうな顔をしながら、私の前で、くるりと一回りした。
「お母様、どう? 僕、変じゃないかな?」
こちらの前で、両手を広げて自分の服を見せるアシュに向かって、私は大きくうなずいた。
「大丈夫ですわよ、アシュ。あなたは、ただあなたとしてその場にいるだけで、とっても素晴らしいんですもの。むしろ服なんて、ただの飾りですわ」
「それだと、選んでくれたオスコたちに悪いよ、お母様」
……使用人たちにまで気を使えるだなんて、本当にアシュはいい子過ぎますわね。
そう思いながらも、私は改めてアシュの姿を見つめ直す。自分が親バカという自覚はあるのだけれど、その分を差し引いたとしても、今の着飾ったアシュは、とても素敵な装いだった。
ベースとなっている色は、アシュの浅黒い髪と対比させるような、白色だろう。上下共に白を貴重とした礼装で、所々に設えてある金銀の刺繍が目を見張る。
しかし、中でも私が一番気に入っているのは、胸元や袖に使われているフリルの色合いだ。それは青みがかった紫色をしており、つまりアシュの瞳の色と合わせてある。
……流石の仕事ですわね、オスコ。ユーリックブレヒトの外聞がかかっているため、完璧な仕上がりですわ。
ユーリックブレヒトの評価を気にするということは、彼の隣に立つ私だけでなく、その息子のアシュに対する評価も気にしなくてはならなくなる。結果として、オスコをはじめとした使用人たちは、アシュを最高の形で着飾らせるために、全力を注ぐことになるのだ。
そして、その結果が私の眼前にある。
……本当に、貴族連中に見せるのがもったいないぐらい、素晴らしい仕上がりですわね。
そう思っていると、アシュは天使のような笑みを浮かべて、こちらを見上げてくる。
「僕なんかよりも、お母様のほうがよっぽど素敵だよ!」
「まぁ、この子ったら。そんな言葉、どこで覚えましたの?」
……その言葉を他の貴族息女に言おうもんなら、その娘を全力で排除いたしますわ。
薄い藍の色をベースとしたレースの扇を口元に当てて自分の暗い感情をアシュに隠しながら、私は何事もなかったかのように、改めて自分の着ているドレスに目を向ける。
私のドレスは、アシュとおそろいの白色、ではなく、そこにほんの僅かにアクアマリンを垂らしたかのような、光の加減によっては、青にも緑にも見える、そんな不思議な色合いをしていた。そう見える理由は、恐らくドレスに利用されている、光沢を放つ布の効果だ。触れるとなめらかなのだけれども、遠くから見ると頑丈な鎧のようにも見えて、見る人の目の錯覚を誘うのだ。
そして今回身につけた調度品は、首元につけた真珠のネックレスに、花をあしらったイヤリングのみで、指輪のたぐいはつけていない。これは左腕が動きやすいようにという配慮で、左手に何も身に着けないのであれば右手も揃えようと、そういうオスコの判断が入っている。逆に身に着けたネックレスとイヤリングを目立たせるため、髪はアップにまとめてドレスと同じ色合いの帽子の中へとしまっており、化粧も瞳が大きく見えるようにアイシャドウが引かれ、口紅の色は隣にユーリックブレヒトが立つことを意識してか、彼の瞳の色と同じような、赤色が選択されていた。
……悔しいですけれど、こちらもオスコは、いい仕事をしておりますわね。
パーティーの参加者に対しての見せ方だけでなく、左腕に無理をさせないドレスの採寸も、見事というほかない。
内心唸る私に向かって、アシュが手を差し出してきた。
「お母様。そろそろお父様をお迎えに、あっ!」
どこかに躓いたのか、アシュがバランスを崩して私の方に倒れてきた。こちらの方に倒れてきてくれたため、私は難なく右手で自分の息子を支えることができた。
「大丈夫? アシュ。足元が、何かに引っかかったのかしら?」
「うん、ありがとう、お母様。でも、地面にはなにもないよ?」
言われてみると、確かにアシュが躓くようなものは、何も見当たらない。
……おかしいですわね?
と、そう思ってもう少し視線を下げると、私はあることに気がついた。
「アシュ。その靴、少しきついんじゃなくって?」
アシュが履いているのは、服の色に合わせた白色の革靴だ。でもその大きさは、以前彼の裾を折ってあげた時に見たアシュの足の大きさと比べて、ほんの少しだけ小さく見える。
「うん、実は、ほんのちょっぴり、きついかなって。あ、でもこれぐらい、僕、なんともないよ!」
「……いけませんわよ、アシュ。無理をして靴擦れでも起きたら、大変ですわ」
それに、パーティー会場で転ぶような失態を起こしてしまう可能性もある。転ぶぐらいならアシュにとって大事にはならないだろうが、少しでも彼を傷つけまいと自分に誓いを立てている私は、すぐに控えていたユーリックブレヒトの使用人を呼んで、もう一回りサイズの大きい靴を用意するように依頼した。
……でも、おかしいですわね。アシュが黙っていたとはいえ、オスコが靴のサイズ違いに気づかないだなんて。もし会場でアシュが転んでしまえば、ユーリックブレヒトの評価はーー
と、そこで私は、気が付いた。アシュが転んだところで、ユーリックブレヒトの評価はわずかばかりも揺らがないということに。
……アシュが、自分で言ってましたものね。貴族連中は、自分を見てくれていない。その先にいる、ユーリックブレヒトだけを見ている、と。
つまり貴族たちにとってのアシュの評価とは、ユーリックブレヒトが下支えしているものなのだ。そしてユーリックブレヒトの評価は、アシュをただの道具ぐらいにしか見ていない連中からしたら、その道具(アシュ)がその場で転んだ(傷ついた)ところで、大きく変わることはない。
それはきっと、ユーリックブレヒトに使える使用人たちも知っている事実なのだろう。
……だとすると、アシュの靴のサイズを間違えたのは、わざとですの?
そこまで考えて、私は自分の発想が飛躍しすぎていると、頭を振る。
……そうですわ。そもそも、わざと間違えて、オスコたちになんの利益があるというのでしょう? 自分の使える主の子供を蔑ろにする理由が、ありませんわ。
だからきっと、これは単なるミスなのだろう。
そう思ったところで、控室の扉が開く。
……使用人に頼んでいたアシュの靴が、届きましたの?
顔を上げて開いた扉へ視線を向ける。そこで私は、完全に固まってしまった。
そこに立っていたのはーー
「あ、お父様だ!」
「丁度入り口で、アシュバルムの替えの靴を受け取ってな」
そう言ってユーリックブレヒトは、手にしていた箱をアシュの方へ差し出した。
「ありがとう、お父様!」
「一人で履き替えられるな? アシュバルム」
「うん、大丈夫! 今日のお父様の服、カッコいいね! お父様の瞳と、おんなじ色だっ!」
アシュの、言う通りだった。
ユーリックブレヒトが着込んでいる礼服は、灼熱をその身に宿したかのような、業火の色。見るもの全ての視線を釘付けにしても、なおもその勢いを弱めることのない強烈で鮮烈で猛烈な赤の色が、私の瞳に広がっている。
その、赤の化身のような男が、私の方へ、その瞳を向けてきた。
「準備はいいか? セラ嬢」
「……え?」
「お母様、僕、靴、履き替えたよ!」
呼ばれた方へと視線を下げると、そこには少しだけ無理したように笑う、アシュの姿があった。
アシュは私の手を取ると、先に出口に向かって歩き始めていたユーリックブレヒトの背中を追って、歩きだす。
「僕、嬉しいな。今日はお母様が一緒だから、いつものパーティーより、安心だよ!」
「辛くなったら、すぐに言うんですのよ? アシュ」
「うん!」
それを合図にしたかのように、私もアシュは、一緒に控室の扉をくぐる。
いよいよ、私の社交界デビューの時がやってきた。
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