第15話

 それから、また一週間が経過した。左腕の包帯も取れて、ようやく全力でアシュと遊べる、というわけではなく、今までなるべく動かさないようにしていた腕の可動域を元に戻すリハビリが必要だと、ソルヒから言い渡されている。

 ……まだ、左腕に傷跡も残っていることですし、もうしばらくの辛抱ですわね。

 なんて、そんな風に気楽に構えていたのだけれども、どうやらアシュを愛で続けるという日々に、終止符が打たれることとなった。

「今、なんとおっしゃいましたか? ユーリックブレヒト」

「俺の話は、一度ですべて聞き取れるようにしておけ、セラ嬢。丁度来週の晩、王族が開くパーティーに、君も出席してもらうこととなった」

「どうしてですの? 今まで私、そういう社交界の場は免除されていたではありませんの。それなのに、何故急に?」

「……君の左腕の包帯が取れたからだ。腕の動きが多少まずかろうとも、顔を見せる分には問題なかろう。なにせ、君は彼ら王族が選び、俺にあてがったわけだからな。顔見世ぐらい求められるというものだ。それに、他の貴族どもも、新しく嫁いできた君の話題で持ちきりでね。俺も押し留めるには限度がある」

「……まったくもう! そんな貴族連中の道楽に付き合わなくてはならないだなんて、嫌になりますわ。私はこのまま、ずっと家でアシュと遊んで暮らしたいのに」

「その気持もわからんでもないが、そのパーティーにはアシュバルムも連れて行くぞ」

「どうしてあの子が?」

 以前、アシュの口から聞いた彼を道具としか見ていない連中の話を思い出し、私の表情は、嫌悪感を隠すことなく歪んだ。

 そんな私を一瞥し、ユーリックブレヒトはただ冷たく、事実だけを口にする。

「流石に王族主催のパーティーであれば、俺もアシュバルムを連れて行かざるを得ん」

 確かに、貴族社会であるクロッペンフーデ大王国、その最高爵位たる王族主催の場となれば、それに連なる貴族たちも、持てる全てで応えなければならないだろう。

「……わかっていたことですけれど、本当に見栄だけで生きているみたいですわね。貴族連中って」

「クロッペンフーデ大王国は貴族社会による血筋を重んじる文化だが、それ故国内外から有能な血筋を取り入れるのも貪欲だからな。爵位が上がれば上がるほど、その血筋をより色よい色で濃くすることができるようになると、そういうわけだ」

 ……本当に、くだらない文化ですこと。

 そう思うものの、そのくだらない文化圏で生きなくてはならない私とアシュは、その営みの中で生きて行くしかない。

 かくして想定外ながらも、私の社交界デビューが決まったのだった。

 それがユーリックブレヒトの口から使用人たちに告げられると、彼らは蜂の巣をつついたかのように、一斉に動き始める。

 主人たるユーリックブレヒトの着る礼装だけでなく、私のドレスに化粧、身につける調度品に、履物だって用意しなくてはならない。もちろん、それはアシュのものも同様で、オスコたちメイドは、服の採寸に業者の手配と、大忙し。

 中でも忙しかったのは、初めて社交の場に出る、私の装いだった。

 巨大な姿見の前に立たされ、私は何十着ものドレスを試着。そしてメイドたちのお眼鏡にかなったドレスを絞り込み、今度はそれを着た状態で、どれが左腕に負担をかけずに動けるのかを、徹底的に調べ上げた。動きが不自然だと、見栄えが悪くなるからだ。

 それだけでも辟易したのだけれど、大変だったのはこの後で、次は化粧台の前に移動させられ、ドレスにあった化粧と調度品選びが、更にまた続くことになる。

 でもその作業の間、私には気になることがあった。

「珍しく、私に嫌がらせはしないのですわね、オスコ」

 その言葉に、私の化粧を行っていたオスコの手が止まる。そして鏡越しに、私を鼻で笑った。

「以前、申し上げたではありませんか。お化粧やドレスなどはこちらでそれ相応のものを用意させていただく、と」

「でも、今までの公爵家での私に対しての扱いを考えたら、それを素直に受け止めることは、到底できませんわよ?」

「……私だって本音を言えば、素直にセラ様を着飾らせたくはありませんわ。だってそれだけで、大切なユーリックブレヒト様の財産が無駄に消費されてしまうんですもの」

「ちょっと、言ってることと行動が矛盾しているんじゃありませんの? 今だって、こんなにたくさんの化粧品に宝石を並べて」

「仕方がないではありませんか。不本意ですが、今やセラ様は、ユーリックブレヒト様のパートナー。そのあなたが、みすぼらしい格好で王族主催のパーティーに出たら、ユーリックブレヒト様は周りの貴族たちにどのように思われるでしょう?」

「……なるほど。私のため、というのではなく、全てはユーリックブレヒトのため、というわけですわね」

「そういうことです。だから私どもは、主であるユーリックブレヒトの外聞を守るため、その隣りにいる添え物にも、全身全霊をかけ、一切の手抜かりなく、完全無欠に、ユーリックブレヒト様の評価を下げないよう、どこに出しても恥ずかしくないようにして差し上げているのだと、そういうことです」

 一言どころか二言も三言も多いオスコの言葉を聞きながら、私は納得するかのように、内心うなずいた。

 ……一緒にいる相手によって、周りからの評価が下がるというのであれば、私の振る舞いでアシュに対する評価も下がる可能性がある、ということですわね。

 正直、ユーリックブレヒトが誰にどう見られようが、私としてはどうでもいい話だ。

 けれどもそこに、息子のアシュが関わるというのであれば、話は全く変わってくる。彼が社交の場で嫌な思いをしているのを知っているだけに、私の落ち度で彼をこれ以上傷つけたくはなかった。

 ……アシュがこれ以上傷つかなくて済むように、私も立ち振舞は十分に気をつけることにいたしましょう。

 人知れず私は、心のなかでそう誓う。

 そして、ついに私の社交界デビューの日が訪れたのだった。

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