第14話

 私がクロッペンフーデ大王国へやってきてから、つまりユーリックブレヒトの元へ嫁いできてから、ちょうど一週間が経過した。

 落ち着いたら行うとされていた結婚式は、嫁いできた初日に私が怪我を負ってしまったため、その傷が癒えるまで当面式は延長ということになっている。

 それからの日々というのは、相変わらずというか、想像通りのものだった。相変わらずユーリックブレヒトは私に対して冷たい視線を向けており、オスコを中心とした多くの使用人たちは私に対してこれ見よがしに陰口を叩いたり、ユーリックブレヒトに咎められない程度の嫌がらせをしてくる。

 ……表に出さないようにした結果、やり口がより陰湿な方になってますのよね。

 そのおかげで私は、毎日ため息を吐かない日はないという有様だ。晴れ渡る空も、ショルミーズたち庭師が美しく保つ庭園の花々を見ても、陰鬱とした気持ちが自分の中から完全に消え去ることはない。

 だが私は、そんな嫌気しか差さない日々を、どうにか乗り越えることができていた。それはーー

「お母様!」

 庭園の方からこちらに向かって、嬉しそうにアシュが手を振ってくれる。彼の天使のような笑顔と無邪気さだけが、この公爵家で唯一の私の癒やしであり、生きがいとなっていた。

 ……本当に、アシュとの関係がこじれていたらと思うと、ゾッとしますわね。

 良好な関係が築けていなければ、私の中に生まれたアシュに対しての保護欲も当然存在していないだろうし、私も彼の孤独に気づかず、アシュの心はどこかで破綻していただろう。

 ……本当に、良かったですわ。あの天使のような笑顔が、失われずに済んで。

 アシュが急かすように私のことを呼び、私もその求めに応じるように、庭園の方へ歩みを進めていく。メイドのソルヒからは傷が完治するまで激しい運動は禁止されているため、今日はアシュと一緒に、かくれんぼをする約束をしているのだ。

 私としても、アシュと一緒の時を過ごすのはこれ以上ない癒やしであり、そして暇つぶしとなっていた。

 ……ユーリックブレヒトもパーティーなど社交界の場に、怪我人の私を連れて行くこともありませんものね。

 アシュと庭園で落ち合い、じゃんけんの結果、私が鬼となる。大きな声で十秒数えて、私は歩きながらどこかに隠れた自分の義理の息子を探し始めた。アシュも私が怪我で本気で動けないことを知っているため、歩いて隠れる範囲で隠れてくれている。

 ……息子の気遣いに、昼間から泣いてしまいそうですわね。

 だが、だからと言って私も手を抜かずに、歩きながら本気でアシュを探していく。彼が求めていたのはまっすぐに自分だけを見てくれる相手であり、決して馴れ合う関係ではない。

 ……さて、一体どこに隠れているのでしょう?

 パッとすぐに思い浮かべるのは、あの鬼ごっこでアシュが使ったような、彼だけが通れる抜け道だろう。

 屈んで探せる場所を捜索する私とは違い、アシュはそうした労力をかけることなく、ただ彼がその目で見える範囲を動き回るだけで、その体で入れる場所をすぐに見つけることが出来るのだ。少しでも気を抜いてしまえば、彼の隠れている場所を見逃してしまうかもしれない。

 ……そういう、初歩的なミスで負けるのだけは、いけませんわね!

 決意を新たに、私は匍匐前進せんばかりに、アシュの居場所を探していく。その捜索範囲が植え込みだけでなく、花壇の垣根にまで達したところで、私の頭がなにかにぶつかった。

 その拍子に、私は地面に尻餅をつく。

「痛っ!」

「……何をしているんだ、セラ嬢」

 見上げるとそこには、ユーリックブレヒトの姿があった。

 だが私が姿勢を低くしてぶつかったため、ユーリックブレヒトの顔は完全に逆光となっていて、その表情をうかがい知ることができない。

 まだ式を上げていない夫との遭遇に、私の頬がわずかにひきつる。

 ……しまった! 確かこの時間、ユーリックブレヒトは公務に出かけるって言ってたっけ。もっと周りを注意していれば、この遭遇は避けられましたのにっ!

 自らの失策を悟ったときには既に遅く、ユーリックブレヒトから、背筋を凍らせるような言葉が、私に向かって振り下ろされる。

「もう一度聞こう、セラ嬢。君は今、何をしているんだ? ソルヒから、安静を求められていると聞いていたのだが、俺の聞き間違いか、記憶違いか?」

「いいえ、ユーリックブレヒト公爵様の記憶通りでございます」

 そう言ってユーリックブレヒトの後ろから現れたのは、彼の公務の補佐をしている執事であるトデンダーと、彼らを見送りに来たメイドのオスコだった。

「本当に、あなたは余計なことしかできないんですか? セラ様」

 ゴミでも見るかのような目でオスコに見下されるが、今聞き捨てならない単語が彼女の言葉に含まれていた。

 私は憤慨しながら立ち上がる。

「余計なことではありませんわ! 大切な息子との触れ合いですもの。むしろ、私の最優先対応事項ですわ」

「……アシュバルム様には上手く取り入ったようですが、無駄ですよ」

 そう言ってオスコは、余裕の表情を浮かべる。

「その程度で、ユーリックブレヒト様の心は動かされませんから」

「……いや、そっちの方は、わりかし本気で私、どうでもいいのですけれど」

「なんですってっ!」

「それより、先に問うた俺の疑問への回答がまだだが?」

 片手を上げてオスコを制し、ユーリックブレヒトは私を一瞥する。

「安静に、という助言がソルヒから出されていたのが確かなのなら、セラ嬢はそれを破っていることになるな」

 そう言ってユーリックブレヒトは、私の左腕に視線を向ける。だいぶ傷は癒えてきたが、完全に包帯が取れるのは、もう少しだけ時間がかかるそうだ。

「セラ嬢には、何かしらソルヒの助言を聞けない理由でもあるのか?」

「お言葉ですが、私はしっかりとソルヒから頂いた助言を守っておりますわ」

「……よくもまぁそんな口がきけますわね、セラ様。こんな日中から外を歩き回っているというのに」

「あら? 確かにソルヒから安静にするように言われましたが、止められているのは激しい運動ですわよ? 自分の家の庭を歩くことが、激しい運動に見えるのかしら?」

「減らず口を……」

 オスコは歯ぎしりしながら私を見つめるが、ソルヒの助言を正確に把握している私の方が分がある。久々に彼女を言い負かせたので少しだけいい気分に浸る、暇もなく、すぐにユーリックブレヒトの冷たい目線が私を射抜く。

「アシュバルムは?」

「え?」

「セラ嬢は先程、息子との触れ合いと、そう言っていたな?」

「……ひょっとして、致命傷のことを気にしていますの? ご安心くださいな。私に運動制限が課せられている以上、危険な遊びなんてできようはずもないじゃありませんか。今日はただかくれんぼをしているだけですわよ」

「それでもーー」

「ユーリックブレヒト公爵様。そろそろ、お時間です。瑣末事は、後ほど」

 そう言って、トデンダーがユーリックブレヒトの言葉を遮る。執事の方を公爵は一瞥するが、やがて使用人の進言を聞き入れたようで、トデンダーを連れて馬車の方へと向かっていった。

「いいですか? くれぐれも、ユーリックブレヒト様のお手を煩わせるような行動は控えてくださいね! それはセラ様だけではありません。あの方はあなたのように、暇を持て余していないのですから」

 そんな捨てゼリフを吐き、オスコはユーリックブレヒトたちの後を追って、この場から立ち去っていく。

 去っていくそのメイドの背中に、私は思わず舌を出した。

 ……ただ嫌味を言いにこれるのなら、私よりもよほどオスコの方が暇人じゃありませんの!

 そう思うが、次の瞬間、私は自らの行いを恥じた。

 ……いけませんわ。もし隠れているアシュが今の私をみて、今のような振る舞いを真似をするようになっては!

 今のは、流石にはしたなさすぎる。将来変な形でアシュにそれが現れるのはまずいと、私は慌ててかくれんぼを再開したのだった。

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