第12話

「おじゃまします」

 そう言ってアシュは、自分の体より少し小さめのマクラを両手に抱えたまま、私の部屋に入ってきた。その瞬間に転びそうになり、私は慌てて右腕で彼を受け止める。

「大丈夫ですの? アシュ。ま、まさか庭園で、どこか本当に怪我していたとか?」

「ち、違うよ! だいじょうぶ! 今のはちょっと、裾を踏んじゃっただけだから」

 そう言ってアシュは、照れたように笑った。

 言われて視線を下げると、確かに彼の寝間着は、アシュの身長よりも一回り大きいサイズのものとなっていて、裾も袖もぶかぶか。裾は床を引きずる始末だった。

 私の視線に気づいたアシュは、恥ずかしそうに手にしたマクラに自分の顔を埋める。

「トデンダーが、子供はすぐに大きくなるから、最初からこれぐらいでいいんだ、って言うから……」

「理屈はわかりますけれど、流石にこれは大きすぎますわ。ちょっと、こっちにいらっしゃい」

 そう言って私はアシュの手を引き、化粧台の前まで連れて行くと、そこに設えている椅子に彼を腰掛けさせた。

「さ、足を出してごらんなさい」

「えっと、こう?」

 そう言ってアシュが、ひょこ、っと右足を上げる。それを確認して、私は彼の前に正座した。そして、自分の左足、その腿辺りに、アシュの右足を乗せる。そしてその後、彼の裾をまくってやった。

 ……気休めですけれど、どこかで転ぶより、マシですわよね。

 右手だけで作業したので多少手間取ったが、私はなんとかアシュの両足の裾を、歩くのに邪魔にならないぐらいの長さに調節し終える。

「はい、おしまいですわ。これでもっと、自由に動けるようになりますわよ」

「うわぁ、本当だ! セラさん、すごいっ!」

 アシュは部屋にやってきたときとは違って、この部屋中を機敏に動き回る。

 マクラを両手で抱えて走る彼をベッドに腰掛けて微笑ましい気持ちで見つめていると、やがてアシュが私の隣にマクラごとダイブしてきた。

「こら。あんまりはしゃぐと、汗をかいてしまいますわよ。せっかくお風呂に入ったのに」

 そう言いながらアシュの頭を撫でてやると、彼はくすぐったそうに、けれども全く嫌そうではなく、むしろ嬉しそうに笑った。

 ……こうしていると、故郷で子供たちの面倒を見ていたときのことを思い出しますわね。

 父に付き合って、孤児の子供たちの面倒を見ていたときの記憶が蘇る。あそこにも散々小憎たらしい子供たちはいたけれど、最後の最後は今のアシュのように、仲良くなれていた気がする。

 ……そう思っていたのは、私だけかもしれませんけれど。

 でも、それでも構わない。相手がどう思おうとも、まずは自分がどう考えているのかのほうが大切だ。その上でまた、相手の考えを知っていけばいい。

 だから私は、問いかけた。

「こんな遅くに、どうしたんですの? 私に何かようがあるのかしら?」

「あ、そうだった!」

 私の部屋ではしゃぎすぎて、当初の予定を今思い出したらしい。

 アシュは私の隣に座ると、ぺこり、と頭を下げた。

「今日はけがをさせてしまって、本当にごめんなさい」

「……それはもう、謝っていただけていますわよ」

 そう言いながらも、私は再度のアシュからの謝罪を、とても嬉しく感じていた。それは、彼がちゃんと反省してくれている証を見たような気がしたというのとーー

 ……私との関係を、大切にしてくださっているのですね。

 そうでなければ、謝った当日に、もう一度謝ろうだなんて、しかもわざわざ相手の部屋を訪ねて来ないだろう。そうした彼の気遣いが、私にはとても嬉しかったのだ。

「でも、あなたの気持ちは、十分私に届いておりますわ。それでも、また来てくださって、ありがとうございます、アシュ」

「そう、それ!」

 そう言ってアシュは、私の方を指さした。

 それがどんな意味なのかわからず、私は小首をかしげる。

「えっと、アシュ? どれが、どうなんですの?」

「えへへっ、セラさんのまねっこー」

「真似?」

「今日、お父様にやってたでしょ?」

 そう言われて、自分の記憶を探ってみる。確か、アシュに追加で座学などの時間を課そうとしていたユーリックブレヒトに対して、そんなことを言ったような記憶を、おぼろげながら思い出した。

「そういえば私、そんなことも言ってましたわね」

「うん、だから、だからね!」

 そう言ってアシュは、菫色の瞳をきらめかせて、夜の帳を吹き飛ばしてしまいそうなほどの満面の笑みを浮かべて、こう言った。

 

「今日は、ありがとうございましたっ!」

 

「……何がですの?」

 今日、私はアシュを叱りはしたけれども、お礼を言われるようなことは何もしていない。

 だが、そんな私の反応を気にした様子もなく、アシュは楽しそうに口を開く。

「あのね、あのね! 僕、お庭では、ごめんなさいしか、してなかったって、気づいたんだ! だから今は、ありがとうを言いに来たの! セラさん、今日は僕を守ってくれてありがとう! そして、きずつけちゃって、ごめんなさいっ!」

「……ああ、ああ! そういうことでしたの!」

 そこまで言われて、やっと自分は思い至る。確かに自分は、アシュを叱る前に、そもそも彼のことを助けていた。そのせいで左腕を負傷したのに、今の今まで間抜けなことに、すっかりそのことを忘れていた。アシュとの関係性が良くなったことで、そもそも彼を助けたこと自体、頭の中からすっぱりと抜け落ちていたのだ。

「でも、それこそたいしたことはしておりませんわよ。あのときは、体が勝手に動いたといいますか」

「うん、それでも、ありがとう! はい、これが、一個目ね!」

「一個目?」

「うん! 次は、二個目のありがとうだよ!」

 そしてアシュは、今まで以上に輝かしく、それでいてーー

「僕と一緒に遊んでくれて、ありがとうございました! あんなに遊んでもらえたの、僕、生まれてはじめてだったのっ!」

 ……どうしてそんなに、泣きそうな顔をしておりますの? アシュ。

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