第11話

「部屋の件は、すまなかった。使用人の落ち度は、俺の落ち度だ。その点は謝罪しよう」

「……文字だけ見ると謝ってますけど、態度が全く伴っておりませんわね」

 相変わらず見下すようにこちらを見下ろすユーリックブレヒトへ、私はため息交じりに言葉を紡ぐ。

「まぁ、いいですわ。それより、私たちも戻りませんこと? もう夜になってしまいますわよ」

「そうだな」

 そうつぶやくと、ユーリックブレヒトは一人でスタスタと歩みを進めていく。予備動作を全く感じさせない行動だったので、一瞬私は反応するのが遅れてしまった。

「ちょっと、おいていかないでください! 私はまだこの庭園のことを、よく知らないんですのよ!」

 慌てて追いかけるが、以外にも私はすぐにユーリックブレヒトの背中に追いつくことが出来た。彼は私を一瞥して、口を開く。

「敷地は有限だ。一見迷路のように感じるかもしれないが、どこか片方の壁に沿って歩いていけば、いずれ出口にたどり着ける」

「……それ、怪我人に求めていい解決方法ではありませんわよ」

「ほう? 今更か弱い女性を気取るのか? その格好で?」

 そう言われて見下ろしてみると、確かに今の私はひどい格好になっている。

 まず、左腕は治療のために袖から先が全て切り取られている。また腕は釣っていないまでも包帯でぐるぐる巻きになっていて、他にもアシュを追うためにスカートの端は結んで走りやすくしていた。髪の毛も庭園を走り回る中で、砂だけでなく草や葉もいつの間にかひっついている。

 その事実に気づいた時、思わず私は笑ってしまった。

 ……これで公爵夫人を名乗っても、誰も信じてくださらないでしょうね。

 そう思っていると、ユーリックブレヒトが淡々とした口調で、こちらに問いかけてきた。

「何がおかしいのだ?」

「いえ、自分の姿が滑稽で。これでは私、まるで浮浪者ですわね」

「……だから、何故それで笑えるのだ?」

 ユーリックブレヒトはもはやこちらを見ていない。だがその口は、変わらず言葉が紡ぎ出される。

「お前は、ミルレンノーラ共和国国家元首の息女だと聞いている。その国の貴族とも関わりがあるとも、な。そうしたある程度の地位にあり、外聞を気にする貴族と付き合うのであれば、一定の身なりは必須のはず。それを維持できないのであれば、それを恥じ入るものなのでは?」

「はぁ? どうして私が私であるのに、そんなどこの馬の骨ともしれない連中からの視線を気にしないといけませんの?」

 私もユーリックブレヒトを一顧たりともせずに歩きながら、口を開く。

「確かに、身だしなみを整える必要がある場所では、それ相応の振る舞いを求められる場面では、そういたします。でも、何故自分の家でも、そんなことをしなければならないのでしょう?」

「……家?」

「ええ。この庭が、そしてあのお屋敷が、今日から私の家ですもの。家の中で自分らしくあろうとして、一体何が悪いというのです?」

 そうだ。今日からここが、私の家になるのだ。自分の故郷から売られた身ではあるけれど、新しい住居がこれからの自分の家になることには変わりない。

 ……それに、アシュともこれから仲良くできそうですしね。

 嫌味を言われたり、薄暗い部屋を割り当てられそうにもなったが、最後は義理の息子とも友好的な関係を築けそうな目処がたった。

 ……あら? そう考えると、私にしては今日はかなり上々な成果なんじゃありませんこと?

「そうか。お前は突然連れてこられたこの場所を、自分の家だと、そう言い切ってしまえるのだな」

「だって、逆にここ以外、今の私には居場所がありませんもの。自分の国に戻るという選択が、そもそも私には用意されておりませんしね」

「確かに、それもそうか」

 そう言ったっきり、ユーリックブレヒトは黙り込んでしまった。私としても積極的に話すつもりはなく、ただ屋敷までの正確な道案内と、そして今度こそ快適に眠れる部屋を用意してくれれば、もう自分の夫になる人に求めるものは何もなかった。

 しばらく歩いた後、ようやく私たちは屋敷へと舞い戻る。玄関には、私たちの到着を待っていた、執事の姿があった。

 ……オスコと一緒に、私を出迎えてくれた方よね?

 眉雪の執事が、こちらに向かって恭しく頭を垂れる。

「セラ公爵夫人様の新しいお部屋の準備ができました、ユーリックブレヒト公爵様」

「ご苦労だったな、トデンダー。早速セラ嬢を案内してくれ」

「かしこまりました」

 トデンダーという執事が礼をする脇を通り過ぎて、ユーリックブレヒトはさっそうと階段を登っていく。それを見送り切った後に、トデンダーは私の方へ振り向いた。

「それでは、お部屋までご案内致します」

 執事に連れられて赴いた部屋は、今度こそちゃんとした部屋だった。調度品も揃っており、何よりカビ臭さがない。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、部屋の入口でトデンダーが頭を下げている。

「本日はお疲れでしょうし、お食事はお部屋までお運びいたします。お食事が済みましたら食器類を回収させていただき、その後湯浴みをされる際に、包帯など患部の確認をソルヒの方からさせていただきますので」

「わかったわ。ありがとう」

「それでは、失礼いたします」

 そう言って執事を見送った後、私は真新しいシーツに覆われたベッドに、腰を下ろした。柔らかい弾力が返ってきて、体が埋もれてしまいそうなほどふかふかだ。

 ……あれ? なんだか急に、眠気がしてきましたわね。

 そういえば最初に部屋をあてがわれた時、ひと思いに寝てしまおうと思っていたことを思い出す。

 部屋の状態が悪かったのでオスコへ文句を言い、言い合いをしている間にアシュがいたずらにやってきて、その彼を追いかけて、それでーー

 

 そんなことを考えていたせいか、ものの見事に私は眠りに落ちていた。

 食事を持ってきたノックに起こされ、寝ぼけ眼で夕食を食べて、ソルヒの介助でお風呂に入った後、包帯を巻き直してから寝間着に着替えさせてもらい、しっかりと髪の毛の手入れまでしてもらって、今は一人自分の部屋のベッドの上で、ひたすらぼーっと天井を見上げていた。

 ……クロッペンフーデ大王国に嫁いできた初日にしては、内容がてんこ盛り過ぎましたわね。

 今日はもう、流石の私も限界だ。まぶたを閉じたら、恐らく十秒もしないうちに眠りに落ちる自信がある。

 ……もう、灯りを消して寝てしまいましょう。

 そう思い、体を起こしたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。

 ……誰ですの? こんな時間に。

 しかも、よりにもよってこの私相手に、どんな要件があるというのだろうか?

 ……寝ている間左腕の傷についてソルヒが注意点を伝えに来てくださったのかしら? でも、そういう話はお風呂場で済ませましたし、なら、オスコ? 寝る前に部屋の件で意趣返しでもしにきたのでしたら、今の私はそれに対応する体力はもう残ってませんから、無視してしまおうかしら? 全く。まだ結婚式を上げてないから夫人と名乗るには早いと言ったのはオスコの方ですのに、あの方はやたらとその名称にこだわってーー

 と、そこまで考えたところで、この部屋をわざわざ夜に訪れる可能性があるもう一人の人物に、私は思い至る。

 ……ま、まさか、ユーリックブレヒト? た、確かに私、彼の後妻として嫁いで来ましたし、夫婦間の営みというものがどういうものかはそれなりに存じているつもりですけれども、え、そんな、急に、いきなりですの!

 変な冷や汗が、額からにじみ出てきたのと、再度扉がノックされたのは、同時だった。

 タイミングが完璧だったため、私は驚いて変な声を上げてしまう。

「は、はひっ!」

『あの、まだ起きてますか?』

 控えめに扉の方から聞こえてきたその声は。

 私の義理の息子の、アシュバルム・ハーバリストのものだった。

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