第2話

 ガタゴトガタゴトと音が鳴り、馬車の窓から見える景色がどんどんと通り過ぎていく。自分の故郷のミルレンノーラ共和国ではよく見られた緑豊かな森林や田園風景は今ではすっかり見えなくなり、代わりに窓から見えるのは、所狭しと並んでいるレンガ造りの建物たち。クロッペンフーデ大王国は広大な敷地を有しているのだけれど、それでも窮屈に感じられるほどの家々に、私は少しだけ息苦しさを感じていた。

 ……空が、少し狭く感じますわね。

 途中休憩を挟みながらではあるのだけれど、ミルレンノーラ共和国からクロッペンフーデ大王国までの道のりを、馬車に乗りっぱなしだったのにもかかわらず、体に疲れを感じないのは、きっとユーリックブレヒト公爵が用意した馬車のクッションの性能が、他の馬車よりも段違いにいいからだろう。私の髪の色に合わせた黄色いドレスも、気になるほどシワは出来てはいない。

 ……お父様が公務で使っている馬車より、数段いいものになりますわね。

 仮にも一国の国家元首である父が使っているものより、この国の公爵が優れたものを持ち合わせているという事実に、これから私が嫁ぐ場所との力関係を思い知らされるようで、私は小さくため息を漏らした。

 そんな憂鬱な私の気持ちなど無視するように、ガタゴトガタゴトと、馬車はクロッペンフーデ大王国の大通りを進んでいく。そしてある大通りを曲がったところで、突然あたりの景色が変わったことに、私は気がついた。

 ……一つ一つの家の大きさが、変わりましたわね。

 先程は狭く感じていた建物同士の間に余裕ができ、徐々に家の大きさだけでなく、その家の持つ敷地、大きな庭を持つ屋敷が見えてくるようになる。

「ちょうど、貴族の方々がお住みになられているエリアに入ったところです」

 馬車の運転手が、私の方を一瞥して、そういった。私が今まで見てきた建物は、この国の『庶民』が住む家だったのだろう。逆に言えばーー

 ……もうすぐ、ハーバリスト公爵家の屋敷に到着すると、そういうわけですわね。

 そう思うと自分の中で、憂鬱という感情よりも、緊張という感情が増していく。結局私は、自分が嫁ぐことになる相手、ユーリックブレヒト・ハーバリストの顔を知らずに、今日という日を迎えたのだ。

 ……他国から嫁いでくる私の疲労も考慮して、結婚式はまた後日に行うと、そういうことになっているのですけれど。

 果たして、それまで自分の精神が持つのかどうか。むしろ月日が経つごとに、自分は心労でやつれていくのかもしれない。いや、ひょっとすると、そうやってやつれた自分を笑い者にするのが、この国の貴族連中の楽しみだったりするのかも。

 ……本当に、貴族だなんてろくな連中がいませんわね!

 そう思い、怒りでなんとか自分を奮い立たせようとする。でも、そんな私の強がりも、次に馬車の窓から見えた屋敷の大きさの前に、一瞬にして吹き飛ばされてしまった。

 ……な、なんて大きさの屋敷なんですの!

 屋敷というより、巨大な美術館や、神殿といった方がいいのかもしれない。来訪者を迎え入れる門は重厚な作りで、不埒な存在を阻むような厳かさと、それでいて見るものに畏怖を抱かせるような神聖さを兼ね揃えている。その門から続く純白の道は、おそらく屋敷へと続く道を作るためだけに、わざわざ石を切り出して作られた特注品だろう。その両脇に広がる庭園は、庭というより、もはや一つの植物園にすら見える。

 あっけに取られている私に向かって、また馬車の運転手が、口を開いた。

「あちらが、ユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵様のお屋敷になります」

 薄々、そうではないかと感じていたのだけれど、改めてそう言われると、自分はこれから、とてつもなくすごい人の元へ嫁いでいくのかという事実を、目の当たりにさせられる。緊張感が高まり、鼓動も先程よりも早く刻んでいた。

 高鳴る心臓の音に押されるようにして、馬車はハーバリスト公爵家の門をくぐっていく。やがて馬車は屋敷の扉の前に停車し、馬は一度大きくいなないて、その歩みを止めた。

 馬車の運転席から運転手が降りてきて、扉を開けてくれる。

「到着しました。セラ・ハーバリスト公爵夫人様」

 聞き慣れない自分の名前に、一瞬私は気後れする。怪訝な表情を浮かべる運転手に苦笑いを向けた後、私は彼の手を取って、馬車から地面へと降り立った。

 ちょうどそのタイミングで、黒塗りの屋敷の扉が、音を立てて開かれる。中から出てきたのは、白髪眉雪の執事と、青みがかった髪を三つ編みにしている長身のメイドだ。メイドの方は分厚いメガネをかけており、その瞳の色をうかがい知ることはできない。

「ようこそ、いらっしゃいました。セラ公爵夫人様」

「我らが主、ユーリックブレヒト公爵様がお待ちです」

 執事とメイドにそう促され、私は扉をくぐって屋敷の中へ入っていく。緊張のあまり視線を下に向けると、そこには色鮮やかな赤の色が広がっていた。決して派手ではないのに、上品さを感じさせる赤い絨毯が、屋敷の階段に向かって、広がっている。絨毯以外の床や壁は白で統一されており、自分の足元から伸びる赤い道こそが、まるで自分の進むべき運命につながっているのだと、勘違いしてしまいそうになる。

 ……いけませんわ。まだ、屋敷の敷地をまたいだだけなのに、こんなに圧倒されてしまっては。

 そう思い、顔をあげると、そこにはまた別の赤の色があった。

 瞳だ。

 赤い瞳が、まっすぐに私を見つめていた。

 しかし、その瞳は床に敷かれている絨毯の色のような優しさはなく、むしろ灼熱の業火のように燃え盛る炎のような、そんな赤色をしている。そんな赤い色を両の瞳に宿しているのは、一人の男性だった。

 彼の瞳に見つめられて、知らず知らずのうちに私の口から、ある人物の名前がこぼれ落ちる。

「ユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵……様」

「これから夫となる人間に様をつけるのが、ミルレンノーラ共和国の習わしなのか?」

 重く、そして絶対零度の冷たさを感じさせるその声に、私は思わず身震いをした。

 私の夫となるユーリックブレヒト公爵は、階段の上から、その燃えるような赤い色の瞳で、冷たく私を見下ろしている。年齢は、二十後半だと父から聞いていたけれど、細身でいてひ弱さを感じさせない長身の体つきとつややかな黒い髪から、二十代前半と言われても信じてしまいそうだ。

 その髪の色に寄せたのか、ユーリックブレヒト公爵は青黒色の服を着込んでおり、袖口飾りはその色を生えさせるような白色の装いをしている。

 その、白い袖口飾りに顔を隠されるようにして、ユーリックブレヒト公爵の後ろに人影が見えた。

 その人影は、まだまだ幼い声色で、ユーリックブレヒト公爵を見上げるようにして、口を開く。

「ねぇ、お父様。ここからじゃ僕、新しくやってきたおばさんの顔が見えないよ」

 お父様、とユーリックブレヒト公爵を呼んだということは、彼が話に聞いていた一人息子なのだろう。

 しかし、そんなことよりも、私にはどうしても聴き逃がせない単語に反応してしまう。

 ……はぁ? おばさん? 私、まだ十八歳ですわよっ!

 ユーリックブレヒト公爵の一人息子、アシュバルム・ハーバリストは、先月六歳になったばかりだという。そんな彼からしたら、自分の人生の三倍も生きている私は、確かにおばさんと言いたくなるのかもしれない。

 しかし、初対面で、しかもこれから自分の義理の息子になるであろうアシュバルムからおばさん扱いされるのは、どうにも我慢ならなかった。

 ……確かに、国同士の力関係はあるかもしれないけれど、何でもかんでも私が貝みたいに黙り込んでいるだなんて、思わないでほしいですわ!

 まぁいい。これから自分は、この屋敷で暮らしていくことになるのだ。時間はたっぷりとある。なら、母親として許される範囲内で、しつけてやればいい。

 ……それに、子供にまで舐められていたのでは、この国の大人たちには、到底太刀打ちできませんものね!

 今日という日を迎えるまで、そして馬車の中で感じていた恐怖や緊張感というものが、吹き飛んでいた。

 ……そうよ、セラ。変えられないものは、変えられませんもの。だから、変えられるものから、一つずつ変えていっていけばいいんですわ。貴族をワインまみれにしたように、黙って唯々諾々と従うなんて、私らしくありませんもの。

 そう自分の心を新たにして、私は当面の目標を、打倒アシュバルムに定めた。子供相手に大人気ないと言われるかもしれないけれど、一つずつ積み重ねるところから私の公爵夫人としての人生を進めていこうと、そう決めたのだ。

 だから私は改めて、目標に設定したアシュバルムを、真正面から見据える。

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