愛する旦那よりも先に、愛しい息子が出来ました

メグリくくる

第1話

「私が、結婚、ですか?」

 先程父から告げられたその言葉を、もう一度自分の口でつぶやいてみる。しかし、つぶやいたところで、それが自分ごとなのだと全く実感することができなかった。

 だから私は、もう一度口にする。

「私が、クロッペンフーデ大王国の公爵と結婚するって、どういうことなんですの?」

 執務室の椅子に座る父は、机の前に仁王立ちになっている私を見上げて、苦々しい表情で口を開く。

「そのままの意味だ、セラ」

 セラ。

 セラ・ソルカノーナが、私の名前だ。

 その私の名前を、父が眉間を手でもみながら、再度口にする。

「セラ。お前はクロッペンフーデ大王国の公爵、ハーバリスト家に嫁ぐこととなったのだ」

「ちょっと、待ってください、お父様。一体、なんでそんな話になっているんですの?」

「……この大陸で栄華を極めている、あのクロッペンフーデ大王国の、公爵家だぞ。お前の嫁ぎ先として、悪くはないと思うが?」

「だから、何故急にそんな話になっているのかと聞いているんです! つい先日だって、お父様がどうしても行けって無理やり参加させられたお見合いの後に、お前にはまだそういう話は早かったか、って、そうおっしゃっていたではありませんかっ!」

「……あの時は、本当に酷い目にあった。これでもお前にあうと思う男性を選んできたつもりだったんだが。結果として、それは私の目が曇っていたわけなのだが」

「本当にそのとおりです! お父様の威光にあやかりたいだけの方々なんて、私、興味ありませんもの」

「それでも断り方というものがあるだろう? 相手は一応、この国の貴族のご子息なんだぞ? 私の娘だからって、テーブルをひっくり返して相手をワインまみれにするのは、やり過ぎだ」

 そう言って、私の父であり、このミルレンノーラ共和国の国家元首は、その話を聞いた時のことを思い出したのか、額からにじみ出てきている脂汗を、ハンカチで拭う。

 その様子を見ながら、父の三女である私は、鼻で笑った。

「だってあの方、ワインが大大大好きだとおっしゃるんですもの。それにずいぶんと気が早いことに、私と結婚した後の話もなさるんですのよ? やれお父様に献上される各国のワインは素晴らしいだろうなですとか、やれお父様と一緒に国賓扱いとして外交に赴いた場所で飲むワインは格別だろうな、ですとか。だから私、彼は私などではなく、いっそワインと一緒になられたほうがよろしいかと思ったんです。だから、そうして差し上げたんですわ。それにあの方、私のことを見た目以上に年上に見えるだなんておっしゃったんですのよ! 女性に対して年齢が上に見られることの苦痛が、お父様にはおわかりになりませんのよっ!」

「その話は、もう何回も聞いたし、私も調査不足だったことは謝っただろう? 確かにお前の言う通り、巧妙に隠してはいたが、裏ではお酒絡みでなかなかトラブルを抱えていたみたいだからな。だが、仮にも相手はこの国の貴族なんだ。フォローする私の身にもなってくれないか? セラ」

「嫌ですわよ。貴族連中に愛想を振りまくのなんて、ごめんですわ。そもそも、もうそんなことをする必要がないようにと、当分お見合いの話はなしということになったじゃありませんの! それが、どうしてまた急に結婚なんて話になってますのよっ!」

 私が貴族のボンクラ息子を手ひどく振ってから、まだ二ヶ月ほどしか経っていない。それなのに、こんなに急に話が変わるなんて、どう考えてもおかしい。

 憤慨する私に向かい、父はため息を吐いた。

「本当のことを言えば、お前は反発するだろうから言いたくなかったんだが」

「本当のことを伝えられる前に、私はもう怒ってますわ!」

「だから、これ以上お前が怒ってこの部屋を滅茶苦茶にする前に、本当のことを話そうと、そう言っているんだ」

「そんなまどろっこしい真似なんてせずに、とっとと何故私が嫁がなければならないのか、その理由をおっしゃってくださいな!」

 そういった私に向かい、父はもう一度、そして今度は先程よりも大きいため息を吐く。

「簡単にいえば、向こうがお前を欲してるんだよ」

「……は? 向こうって、そのクロッペンフーデ大王国の公爵家が、ですか?」

「そうだ。知っての通り、このミルレンノーラ共和国は、そこまで国土に恵まれていないものの、どうにか国として運営が上手く行えるようになったのは、クロッペンフーデ大王国からの援助が大きい。ここまで言えば、察しのいいお前なら、わかるんじゃないか?」

「……つまり、その援助を継続するために、私が売られる、と?」

「……売られるんじゃない。政略結婚だ」

「何も変わらないじゃありませんの! 大体、政略結婚なのであれば、相手の公爵家に利益が出るような形で婚姻を結ぶ必要がありますわよね? でも、お父様もおわかりの通り、私、貴族相手でも容赦しませんし、結婚にも向いておりませんわ。本当に、取り柄と言えば、お父様の、国家元首の三女ということ以外ありませんことよ?」

「自分で言うな、自分で」

 そう言いながら、父は頭痛を納めるように、こめかみを押さえる。

「だがな、セラ。お前は父親の私が贔屓目に見ても、美しい女性に育った。絹のようになめらかな金髪。そして宝石よりも輝く碧眼は、母親譲りのものなのだろう」

「そうですわね。私、お父様に似なくて良かったと思っておりますもの」

「本当にお前は、一言も二言も多い……。私と一緒に畑いじりをしたり、慈善活動で孤児の子供たちと遊んでいるときは多少はマシに、いや、子供相手でも、お前はムキになっていたな。跳ねっ返りというには、いささか跳ね過ぎているきらいがある」

「……それがわかっていながら、どうしてお父様は、私をクロッペンフーデ大王国へ嫁ぐことをお許しになられたんですの? 嫁いだ先で私がなにかやらかせば、ミルレンノーラ共和国への援助の話なんて、簡単に消え去りますわよ?」

「それが、相手先の要望なのだよ」

「相手先の、公爵家が?」

「公爵家というより、クロッペンフーデ大王国の王族たちの決定だな」

 そう言われて、私は余計に混乱する。ますます自分が指名された理由がわからない。

 そんな私に向かって、父はやるせない表情を浮かべながら、口を開いた。

「……ワケアリのお前が欲されているということは、あちらさんもワケアリだ、ということだ」

 そう言うと、父は自分の体重を椅子にすべて預けるように、背もたれを鳴らす。

「相手のユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵は、お前との結婚が再婚ということになる」

「……バツイチ、ということですの?」

「離婚したわけではなく、先に前妻に旅立たれたという話らしい」

「まぁ、そういうこともあるのでしょうけれど……。でも、だからと言って、その、ユーリックブレヒト公爵の再婚相手に、どうしてわざわざ別の国の私を指名したんですの? 他国の国家元首の娘であれば、確かに格はあわなくはないのでしょうけれど、だからと言って、クロッペンフーデ大王国内でも、再婚相手は見つかりそうなものではありませんか?」

「確かに、貴族社会のクロッペンフーデ大王国なら、公爵家に自分の娘を嫁がせたい思う男爵や子爵たちも多いだろう」

「ならーー」

「息子がいるんだよ」

「……は? 息子、って、そのユーリックブレヒト公爵の息子、ですの? つまり、コブ付き?」

「……セラ。お前、本当に嫁ぎ先でそういう口の聞き方だけは、絶対にしてくれるなよ」

「そう言われましても、これが私の性分ですもの。それに、嫁げと言われた身としては、これぐらいの失言、スルーしてもらいたいですわ」

 そう言うと、父は改めて私の方を見つめ、そして懇願するように、それでいて、これから世界で一番大切なことを打ち明けるような口調で、こう言った。

「いいか? セラ。失敗は、いいんだ。失敗するのは、仕方がない。誰にでもあることだ。だがその後、自分に非があるというのなら、きちんと謝りなさい。そうしなければ、後悔ばかりで、反省できないのだから」

「後悔できるのであれば、自分の行いを悔やめるのであれば、それで十分ではありませんの? それすらできない輩は、そこら中におりましてよ? それこそ、貴族連中とか」

「良くないから、今言っているのだ。後ろ向きにその場で悔やんだとしても、前進がない。一つも前に進めんのだ。だからお前は人の何倍も反り返って振り返り、省みなさい。セラは昔から頭の回転は速いが、その頭の中で全てを完結させてしまう、頭でっかちなきらいがあるからな。もっと、素直に生きなさい」

「そういう性格にしたのは、子供の私に外交の愚痴と相談をしていた、お父様にも責任があるのではないですの? 各国の想定問答を、ずいぶんとやらされたものですけれど」

「だから、そういうところだというのだ……」

 その言葉に、私は自分の不満を示すように腕を組んで、鼻を鳴らした。

 心情的に、急に決まった結婚という事態を、私自身まだ受け入れきれていないのだ。

 ……それに、結婚相手は面倒な貴族の、それも爵位は公爵で、更にバツイチのコブ付きって、どうなってますのよ!

 父から色々言われてきたが、私も一人の女性として、結婚に対する憧れはある。でも、それがこんな形で粉々に砕け散るとは、夢にも思っていなかった。本当に、逃げ出せるものであれば、逃げ出したいと思う。

 でもそう思う一方で、私はこの結婚が、どう足掻いたところで覆せないものだということを、理解していた。

 これでも国家元首の娘として、十八年も生きてきたのだ。国同士の力関係ぐらいわかっている。だからこそ、私は精一杯、父に向かって虚勢を張っていたのだ。

 クロッペンフーデ大王国からしたら、私が生まれたミルレンノーラ共和国だなんて、吹けば消えてしまうような弱小国。その国から嫁ぐ私に、彼らが多少無礼な扱いをしたところで、どうとも思われないだろう。

 ……つまり、そういう、ワケアリの公爵家に投げ込んでも問題ない相手として、私が選ばれた、っというわけですわね。

 そう考えると、嫁ぎ先で一体どんな仕打ちを受けるのか、一秒たりとも考えたくもない。

 考えたくもないのだけれど、秒針は刻一刻と時を刻み、月日は過去と変わらぬ速さで過ぎ去っていく。

 そして、ついに。

 明日、私はその、ユーリックブレヒト・ハーバリスト公爵に嫁ぐことになり。

 セラ・ソルカノーナではなく。

 結婚式を上げた後、セラ・ハーバリスト公爵夫人へと、名前が変わる日を迎えるのだった。

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