第3話
アシュバルム・ハーバリストの顔は、礼儀知らずな点を除いても、十分に可愛らしいと言えるだろう。
……っていうか、なんですの? まるで絵画に描かれる、天使みたいじゃありませんの。
おばさん呼ばわりされていなければ、私はこの子の魅力に虜になっていたかもしれない。サラサラと揺れる浅黒い髪に、くりっとした菫色の瞳はまるで最上級のぶどうみたいだ。頬はふっくらとして朱の色が差しており、楽しそうに笑う表情は、いつまでも愛でていたくなる。
……まぁ、その笑いも、私をおばさんと嘲笑っているものである以上、許容できるわけがないのですけれど。
私を明確に見下すユーリックブレヒト公爵とは対照的に、彼から少し距離を取っているところで無邪気に私を笑うアシュバルム。無邪気さ故に悪意を持っていないであろうその笑みが、逆に今は憎らしくてたまらない。
……そんな顔ができるのも、今のうちだけですわよ!
心のなかでそう吠えて、私は宣戦布告でもするかのようにスカートの裾をつまみ、その場で頭を垂れた。
「本日より、この家に嫁がせていただくことになった、セラ・ハーバリストと申します。今後とも諸々と、そして末永くよろしくお願い致しますわ。ユーリックブレヒト公爵様」
先程咎められた呼び名で呼んだことに対して、ユーリックブレヒト公爵の眉が一瞬だけ動いた。だが反応したのはそれだけで、その後すぐに彼はこの場から踵を返す。そして立ち去る前に、彼は私の方を一瞥して、こうつぶやいた。
「……部屋も用意するし、ある程度の自由も保証してやる。だが、くれぐれも、面倒事は起こすな。わかったな。オスコ。セラ嬢を部屋に案内してやれ。行くぞ、アシュバルム」
「え、もう行っちゃうの? お父様」
「かしこまりました、ユーリックブレヒト公爵様」
アシュバルムが戸惑いの声を上げ、私を案内してくれたメイドは、もうこちらを振り向いてもいないユーリックブレヒト公爵に向かって、深々と頭を下げている。
義理の息子は、一度だけ私の方を物欲しそうな顔をして振り向いた。だが、自分の父親を追いかけることを優先したのだろう。最後はこんな捨てゼリフを吐いて、私の視界から消えていく。
「またね、おばさん! 気が向いたら、僕が遊んであげるっ!」
……本当に、上等ですわっ!
そういきり立つ私に向かって、オスコと呼ばれたメイドが口を開く。
「それでは、お部屋にご案内いたします。セラ公爵夫人様」
そう言われて、私はメイドのオスコに導かれるまま、彼女の背中についていくことにした。歩きながら、私はキョロキョロと視線を動かしていく。
そんな私を、オスコは不審げな声色で、こちらに向かって問いかけた。
「なにか、珍しいものでもございましたか? セラ公爵夫人様」
「いえ、そういうわけではないの。ただ、このお屋敷が広いから、道に迷わないように目印がないかさがしていたのよ」
「……左様でございますか。もし道に迷われた際は、私をはじめとした使用人たちにお声がけくださいませ。お部屋までご案内いたしますので」
「そう、ありがとう。助かりますわ」
そう言いながらも、私は見逃してはいなかった。オスコが顔を私から前に向けるその瞬間、彼女の広角が、若干吊り上がっていたことを。でも、その顔に刻まれていた笑みの意味合いは、愉快というよりも、むしろ嘲りに等しいものだった。
……いいですのよ、私。まずは、アシュバルムから。まずは、一つずつ。着実にやっていくのですわ。
当面の目標ができたからか、私はオスコの嘲弄も鼻で笑って受け流すことができた。
それから私たちは、長い廊下を歩き切り、角を二つほど曲がったところで、メイドの足が止まる。
「こちらが、セラ公爵夫人様のお部屋となります」
「ありがとう。でも、ずいぶん遠い場所にあるのね。玄関から、かなり歩いたものですけれど」
「……それでは、私はここで失礼いたします」
私の疑問に答えることなく、オスコは一礼をすると、すぐさまその場から立ち去っていった。仮にも、この公爵家に嫁いでくる夫人に対して使用人がしていい振る舞いなどではない。
……でも、ある意味想定通りの扱いですわね。
多少の嫌がらせをされるぐらい、想定の範囲内。しかし私は、そこで首を傾げる。
……変ですわね。もっと、積極的に何か仕掛けてくるかと思っていたのですけれど。
バツイチコブ付きのワケアリ公爵であるユーリックブレヒトは、小国の小娘を引き取っていたぶりたいという加虐趣味の持ち主だと、私は勝手に思いこんでいた。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、ユーリックブレヒト公爵は多少の嫌味はいうものの、直接手を上げるようなことはせず、むしろ私をできるだけ遠ざけたがっているようにも思える。この考えがあっているのなら、本当に何故私を後妻に選んだのか、理解できない。
……そういえば私を選んだのは、ユーリックブレヒト公爵ではなく、この国の王族だとお父様はおっしゃられていましたわね。
だとすると、国の王族の思惑と、ユーリックブレヒト公爵の考えは、何か違いがあるのだろうか?
……それとも、まだ嫁いできて初日ですし、様子を見ているだけですの?
頭の中でいくつか考えられるケースを想定してみるが、今は確証足り得る情報がない。なら考えるのは無駄だと、私は部屋の中で休むことにした。
快適な馬車の旅だったとはいえ、見知らぬ土地へやってきたことと、これから居住をともにすることになるであろう夫と息子の対面で、私の精神も流石に疲弊感を感じていた。
……流石に、食事を出してもらえないということはないでしょうし、それまで一眠りすることにしますわ。
そう思いながらドアノブに手を伸ばし、部屋の中に入る。そして私は、唖然となった。
……な、何なんですの、この部屋は!
流石に家具が全くないだとか、布団がズタズタに切り裂かれていて羽毛が部屋中に舞っているだとか、そういった衝撃的なことは、部屋の中では起こっていない。
でも、衝撃的ではないからこそ、ショックを受けるということはあるのだ。
まず気になるのは、部屋の明るさだ。あまりにも薄暗く、窓のカーテンを開けたとしても、昼間なのに全く光が差し込んでこない。日当たりは最悪で、だからこそジメッとした、嫌な空気が部屋中を漂っている。
そしてそんな空気が部屋中に漂っているからか、ベッドのシーツやマクラからは、カビ臭い匂いがしている。部屋はまだいくらでも空いているだろうに、これでは使用人たちが寝泊まりしている部屋のほうが、何倍もマシだろう。
……貴族の連中は、見栄っ張りだから、客人の部屋ぐらいはちゃんとしたもてなしを用意していると思っていましたのに!
見栄を張る貴族だからこそ、訪れた客人に対しては、その客人の格に対応したもてなしを用意している。
逆に言うと、このような部屋を用意される私は、ユーリックブレヒト公爵にとって、その程度の格しかないと、そう言われたことになる。だから私は、怒っているのだ。
そうだ。私は怒っている。私という存在を蔑ろにされたからではなく、自分が生まれた国と、そして父を貶められたからだ。
……お父様の三女である私と格が釣り合うからと、だから私を後妻に選んだんじゃありませんのっ!
自分が選ばれたのは、ミルレンノーラ共和国の国家元首の三女だから。その格が見合うからと、私はユーリックブレヒト公爵に嫁ぐことになったはずだ。
ここで格として大切なのは、私という一個人ではなく、ミルレンノーラ共和国の国家元首の娘という肩書だ。
それを、ここまで愚弄された。蔑ろにされた。
確かに、ユーリックブレヒト公爵にとって、クロッペンフーデ大王国にとって、ミルレンノーラ共和国は小国だろう。その国の国家元首なんて、吹けば飛ぶような、そんな存在なのかもしれない。
……でも、それでも私にとっては生まれた故郷ですし、大切なお父様なのですわよっ!
自分のことだけであれば、一つずつ進めればいいと思っていた。
しかし、いくら国同士の力関係があるとは言え、これを看過することは、私には到底できない。
……この異議申し立てをして、私がどのような折檻や責め苦を受けることになろうとも、ここはガツンと一言いってやらないとダメですわっ!
だから私は、勢いよく部屋を飛び出して、大声を張り上げる。
「ユーリックブレヒト! ユーリックブレヒトはどこに居ますのっ!」
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