第四話 女郎蜘蛛 その二

 『シュッ…、シュッ…』


 何の音でしょうか…。

 すっかり眠りこけてしまっておりました…。


 『シュッ、シュッ、シュッ』


 “髪の長いおなご”が、包丁を研いでおりました。

 料理の後に、する事なのでしょうか…。


 「犬は、マズそう…。この男、良い体…。」


 何やら、ブツブツ独り言をしております。

 何やら良からぬ気がします…、起きなくては…、しかし、体が痺れて動けませぬ…。


 ムクッと、“髪の長いおなご”が立ち上がりました。

 暗がりではっきり見えませぬが…、長い髪の隙間から赤い舌が、唇を湿らすようにペロリと動きました。

 その手には、たいそう大きな出刃包丁…。


 「この男…、実に良い体…。あぁ…、良い体じゃ…。」


 “髪の長いおなご”は、ご主人の側にしゃがみ込み、出刃包丁を振り上げます。

 “ご主人”を、起こさなくては…。しかし、声がでません…。


 スーッと振り下ろされる出刃包丁。

 絶対絶命、“ご主人”…!


 『カキンッ!』


 金属どうしがぶつかる、甲高い音!

 “ご主人”は、黒鉄の刀で受け止めました。


 「何をしておる? 俺は、鹿ではないぞ。それとも、あの肉も、鹿ではないのか?」


 まるで別人の様に、低く冷たい口調、しかし声は“ご主人”でした。


 『キリキリキリ…』


 “ご主人”は、刀を出刃包丁にこすりつけながら、ゆっくり立ち上がりました。

 “髪の長いおなご”は、歯を食いしばりながらも力負けし、仰け反り始めています。


 「ケッケッケッ…、寝ておれば、苦しまずに済んだものを…。」


 押されているのに、強がりなのでしょうか。しかし“髪の長いおなご”の口調と声色が変わりました。


 もごもご…


 何でしょうか、“髪の長いおなご”の着物が内側から蠢いております。


 「お前、“ものの傀”か…?」


 “髪の長いおなご”の口が裂け、目が膨らみ、あと六つの目が膨らみ出てきました。

 着物がはだけ、背中から六本の尖った足が伸びた途端、内一本がご主人目掛けて突き伸ばされました。


 “ご主人”は、スッと身を引きかわします。


 ムクムクと大きくなる、“髪の長いおなご”の体。いえ…。長い髪も抜け落ち、その姿は巨大な蜘蛛でした。


 コヤツは、“女郎蜘蛛”。蜘蛛の“ものの傀”が成長し自らを増やす時の姿です。


 “女郎蜘蛛”は、出刃包丁を“ご主人”目掛けて放り投げます。


 『カキンッ』


 出刃包丁を打払う“ご主人”。すかさす口から勢いよく糸を吹き出す“女郎蜘蛛”

 すると“ご主人”は、刀を大きく振り回しました。


 『ブオーン』


 突風が巻き起こり、糸を吹き飛ばしました。


 吹き飛ばされた糸が、“女郎蜘蛛”に絡みつき身動きが取れなくなっております。

 その隙をつき、“ご主人”が切りつけました。

 目でおえないほどの、刀さばき。戦いは、あっという間の事でした…。


 “女郎蜘蛛”は、舞い散る糸と共に、真っ二つに分かれ崩れ落ちました。


 張り詰めていた気持ちも緩み、また意識がおぼろげになっていきます。

 あっし(私)は、眠ってしまいました…。


 目が覚めると、夜も明け明るくなり始めておりました。


 “ご主人”は、壁にもたれ座り、切り裂かれた“女郎蜘蛛”の亡骸を、ぼ〜っと見つめておりました。


 「“ご主人”…。あっし(私)、何も出来ませんでした…。」


 「…よいよ…。」


 あっし(私)は、寝ぼけてよたつきながら、“女郎蜘蛛”の亡骸に近づき、様子をうかがいました。

 あの刀に切られた“ものの傀”は、再生出来ずに朽ち果て始める。

 これでは、蘇る事はないでしょう。


 「“オハギ”…。生き物と“ものの傀”の違いは、何なのだ?」


 「それは…。あっし(私)等“ものの傀”は、しょせん作り物です。」


 「そうか…。でも…、皆…おっかあ(母)の腹で作られるんじゃねえのか…。」


 “女郎蜘蛛”の切り裂かれた腹には、小さな卵が沢山ありました。

 これもやがて…。


 「行こう…。」


 開かれた扉から差し込む朝日は、あっし(私)には眩しすぎました。

 “ご主人”は、影すら霞むその先に歩み出ていきます。

 あっし(私)も、“女郎蜘蛛”も、“ものの傀”は暗がりで蠢くものです。


 『あなたにさそわれなければ…、足がすくんでしまいそうですね…。』


 タッタッタッタ


 あっし(私)は、光の差す“ご主人”の後を追いかけました。

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