第4話 沼の水

「誰も知らないことから明らかなように、有名俳優を起用したり特殊メイクに力を入れたりした割には好評価を得られず、興行的には失敗。魚人のデザインがマニアの間で話題になるくらいだった。半魚人と河童と鎌首男を掛け合わせたようなフォルムだったから」

 鎌首男というのを知らなかったけれども、想像は大体つくので、尋ね返さなかった。

「よくご存知ですこと。当時の資料、ほとんど残っていないと思っていましたのに」

「どこにでもマニアはいるもんだよ。この保養所内を探せば、着ぐるみの一つでも出て来るんじゃないかな。高く売れるかもしれない、ははは」

 衣装やかつらなんかが残ってるくらいだから、着ぐるみがあっても不思議ではないかも。

 話の脱線が続いたが、最終的にこのお茶の時間のあとは、僕と増川先輩が沼に向かうことになり、他の六人がビーチに行くことになった。

「何か済みません。付き合わせる形になってしまって……」

 土の階段を前にして、僕は先輩に頭を下げた。実際、増川先輩が沼に行くのは、僕を一人で行かせるのは不安だからという理由が大きい。

「気にする必要はない。年長者としては、どんなところか見ておかないとな。一人で行って万が一にも沼にはまったとして、自力で戻れるのか、叫び声は下まで聞こえるのか。それに、沼そのものにも興味がある」

 雑草が生い茂ることで補強されたような土階段を登りながら、僕らは時々保養所の方やビーチの方を振り返った。始めこそ見通せていたが、程なくして枝葉に遮られ、見えなくなった。それどころか、陽の光さえ弱まった気がする。昼なお暗い森の奥にある沼。ホラー映画のロケ地としては、確かに合格点だろう。

「こりゃあ、距離から言って、叫んでも聞こえそうにないな」

 沼と同じ高さまで来て、改めて先輩が下を見渡してから感想を述べた。時計を見ると、午後三時ちょうど。ゆっくりめに歩いて二十分ほど掛かったと分かる。階段は途中でなくなり、獣道よりもちょっぴりましな野道を進んで来たのだが、息は意外と上がっていない。

「お、人為的な石畳かな」

 直線距離で、沼まで残り十メートルあまり。平らで丸い荒削りな石が、ぽつんぽつんと埋めてあった。その上を歩いて、沼の畔に立つ。

 沼は想像していたよりも大きく、直径五十メートルといったところだが、円形と言うよりは長方形に見えた。元は円だが、縁に草が多く生えているせいで、四角に見えるようだ。水の透明度は低く、濁っている。生き物が棲息しているのか否かは分からない。無論、小さな虫は辺りを飛んでいるが。蓮や葦などの植物も、沼から頭を出していることはなかった。死の沼。そんな連想をしたのは、先程、鈴木さんから作り物の呪いを聞かされたのが原因なのか。

「危なくないか、周囲を歩いてみるか」

 増川先輩が右回り、僕が左回りで、同じ地点から歩き出す。二人並んで歩いて、二人同時に沼にはまりでもしたら洒落にならない。

 長めの木の枝を持ち、足元に注意を向けながら半周。およそ二分を要した。

「沼云々を抜きにして、蛇でも出そうな気がして怖かったですよ」

「魚人の流した血が、蛇を呼び寄せるとでも?」

「そういうんじゃなくてですね」

「分かってる、分かってるよ。絶対に蛇がいないとは言い切れないだろうが、注意していればまあ大丈夫そうだ」

 沼の風景は、色の暗さや植物の少なさを除くと、取り立てて薄気味悪いものではなかった。鈴木さんの語った呪い話が本当なら、ほこらや地蔵があってしかるべきだが、当然ない。

 そのことを声に出して言うと、先輩からこんな返しがあった。

「何なら、水、舐めてみるか。ひょっとしたら、映画撮影で本当に塩を入れたかもしれないぞ」

「まさか。第一、何年前なんですか、撮影って」

「覚えちゃいないが、五年や十年じゃ利かないぐらい、昔だったかな」

 だったら、仮に撮影で塩を沼に大量投入していても、今では元通りに違いない。いや、そもそも、このサイズの沼の水の味が変わるほどの塩って、どのくらいの量が必要になるんだろ。

「ありがたいことに、蚊は少ない。ほとんどいないな。水があるのに蚊が少ないのは、ボウフラが発生しにくい何かが水に含まれているのかもなあ」

 まだ言ってる。僕は先輩を置いて、先に下りるポーズを取った。

「虫刺されは嫌なんで、さっさと戻りましょう」


 ビーチに出たのが午後四時前。服のままだから、海に入るつもりはない。本来、僕はインドア派なのだ。今回の遊び合宿だってパスする予定だったのが、波崎に行こうと誘われて、翻意したのがきっかけ。

「お、戻ったんだ?」

 波崎愛理が僕を見付けると、小走りに駆け寄って来た。ウインドブレーカーを羽織り、前ファスナーをきっちり上げている。目のやり場に困らずに済むので、非常に助かる。

「どうだった、沼?」

 そのくらい関心があったのなら、一緒に来ればよかっただろうに。

「多少濁っていて、暗い雰囲気はあったけれど、ごく普通のありふれた沼だったよ」

 僕がざっと説明するのへ、彼女は続けて聞いてきた。

「水の味見はした?」

 おー、おまえもか。黙って首を横に振った。それをどう受け取ったのか、波崎は「なーんだ。やっぱり、映画の話だったんだ」と答えた。その事実自体は揺るがないので、彼女の勘違いは訂正しないでおく。

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