第23話
社長室で仕事を続けていると突然警報が響き渡った。クロミヤは目の前の端末を開き確認する。原因を突き止めて驚く。
理由はわからないが、キャピタルに入っている全員が昏睡状態に陥っている。
キャピタルのシステムを開くとソフトウェアが見たことのないプログラムで書き換えられている。編集履歴にはナカハラの名前が残っていた。
なにが目的かはわからないが問い詰めている場合ではない。昏睡状態が長く続けば命にかかわる。早く何とかしなければ。
端末に手が潜り込んでいく想像する。プログラムに触れて書き加えられた部分を感覚的に理解しようとする。
端末に指が触れると画面は水面のように波うち、そのまま手が吸い込まれていく。プログラムに触れたとき、なにか冷たいものと柔らかいものに触れた。
予想外の感覚に慌てて手を引っ込める。気持ち悪さを覚えつつも、想像以上のことが起きていることに気づく。
もっと詳しくシステムを理解する必要がある。夢の力を使ってシステムの世界に飛び込む想像をする。今度は手だけでなく全身も端末の中へと入っていく。
真っ白な空間が現れ一瞬目がくらむ。しかしすぐに表れたものから目が離せなくなった。
目の前には肉の要塞があった。生肉のような薄いピンク色の塊が広がっている。ところどころ血管が走り、一部は隆起して拍動している。表面は濡れているかのように光っている。実際に近づいてみると背丈の三倍ほどの高さはあるだろうか。壁に触れてみると冷たい感触がする。手を離すと糸を引いた液体が付着した。
まさかこんな有機的なものが出てくるとは思わなかった。自分がキャピタルのシステムとしてイメージしているものはどこにも見当たらない。
あたりを一周しても入り口のようなものは見当たらない。
いっそのこと入り口をこじ開けて無理やりにでも侵入したほうがいいだろうか。
壁が裂けるイメージをして要塞に近づく。しかし触れようとする瞬間に思いとどまる。
もしこの中にキャピタルのシステムがあるとしたら、一緒に壊してしまうのではないだろうか。
うごめく壁を前にクロミヤは立ち尽くしていた。このままでは昏睡状態から目覚めさせられない。それは人類が絶滅するに等しい。
嫌だ! 漆黒が起きない世界を望んでいるが、別に人類を滅ぼしたいわけではない。だからマニュアルやDLFを作ってまで存続させた。
キャピタルが間違っていた? そんなはずはない。漆黒をこの世に生まれさせてはいけない。二度と私と同じ思いをする人は生まれてほしくない。
でも、どうしてこんなことになっている。今や世界中の人が昏睡状態になり命の危機に瀕している。それもこれもキャピタルのシステムがあるからではないのだろうか。
さまざまな声が聞こえてくる。自分を責める声と、正当化する声。キャピタルが奪われるなんて露ほども思っていなかった。システムに手が出せないだけで、こんなに動揺するとも思っていなかった。
なにも聞きたくない。すると突然、頭の中の声が消えた。同時に目の前の要塞も消える。真っ白な世界もなく暗闇が広がっている。
今、私はどこにいる。
自分の感覚が失われた。そのことに気づき身の毛がよだつ。
漆黒になってしまう。もっとも忌避していたものになってしまう。その恐怖で体がすくむ。
助けて! 必死に私が崩壊しないように自分の体を抱きかかえる。影をとらえるかのように現実感がない。
あらゆる思いがよぎり、クロミヤの体から溶け出ていく。
かすかに私を呼ぶ声がする。しかし、どこから聞こえているかもわからない。
その声を聴いてユメの姿が浮かぶ。私を救って。目の前にいるかもわからない。状況だけでも伝えないといけない。
しかしすでに音は感じず届いているかすらわからない。必死に漆黒にならないように体をつなぎとめる。
暗闇の中に少女がいる。気づいたときにはユメの目の前に膝をかかえて座り込み、丸まった背中が見えた。ときおりすすり泣く声が聞こえる。
漆黒に巻き込まれたときのクロミヤがいた。
良かった見つけられた。拾い上げた輝きを抱きながらクロミヤに近づく。
「大丈夫」
口をついて出たのは、その一言だった。彼女の人生に触れて、さまざまな感情が生まれた。つらい経験に悲しさを感じた。身勝手さに怒りを感じた。
複雑に絡み合ったものを解きほぐすと彼女は少女のままだった。目の前にいる少女。それがクロミヤだ。
漆黒が両親を飲み込んだとき彼女の時間は止まった。
膝を抱えて泣いている。永遠ともいえる時間を経ても、ずっとそうしていたのだろう。
かたわらにしゃがみこみ背中をそっとさする。彼女は声をあげて泣く。何もいわず、ただただ背中をさする。
少女は顔をあげ胸の中に顔をうずめる。その体を抱きしめ、ずっと背中をさすり続ける。
ユメが拾い上げた輝きが、少女の中に戻っていく。少しずつ漆黒の世界が晴れていく。
ユメが気づいたとき、クロミヤを抱きながら宙に浮いていた。少女ではない、社長姿のクロミヤだ。
「ユメさん! 良かった。戻ってこれたんだ」
ホシダが周りを漂いながら声をかける。
「ユメ殿。無事でよかった」
シマも声をかけて近づいてくる。ふたりとも怪我はなさそうだ。
そうか。戻ってきたんだ。周りを見渡しても漆黒はない。
クロミヤが顔をあげる。少しバツが悪そうにしながらユメにしがみついている。
「……ありがとう」
クロミヤからかろうじて聞こえた声色にはいろんな感情が詰まっていた。今のユメには、そのすべてが伝わってくる。
「はい」
だからこそ、返事だけで十分だ。そしてまだ解決すべき問題が残っている。
「ホシダさん、シマさん。私が漆黒に飛び込んでから、どれくらい時間が経ちました?」
「だいたい三時間くらいかな」
思ったより時間が経っている。急がないと。
「ナオミさんたちのところに行きましょう」
クロミヤを抱きかかえながら割れた社長室の窓からサイバーメディカルに戻る。
「とりあえず中央サーバー室に向かわないと」
クロミヤを降ろしながら扉へと目を向ける。
「私についてきて」
降ろされるや否や、クロミヤは歩きはじめた。クロミヤの案内で中央サーバー室にたどり着く。中に入ると、巨大な空間が広がっていた。いくつものサーバーが所狭しと並んでいる。空調やファンの音が響き渡っている。室内は肌寒いがサーバーの近くは吐き出された熱気でじんわり温かくなる。
「すごい……」
ユメは思わず声を出す。ここでキャピタルのシステムが維持されていたのか。
サーバーの間を進むと、部屋の中央でナオミとヤマモトが不自然におかれたキャピタルに向かい合っていた。
「ユメさん! よかった。うまくいったんだね」
ナオミが足音に気づき振り返る。クロミヤを見て一瞬体を固くするが、すぐに近くのキャピタルへと視線を戻す。
「ナオミ。なんでこんなところにキャピタルがおいてあるんだ」
ホシダがナオミに問いかける。サーバーの間におかれたキャピタルは通路をふさいでいる。どう見ても後から設置されたものだ。
キャピタルに近づき中を覗く。しかし人が入っている様子はない。
「最初からおいてあったの。もともとこんなものはないですよね」
ナオミはクロミヤに質問する。
「ええ。ここはキャピタルとつながるサーバーがあるだけ。こんなものをおいた覚えはない」
クロミヤも腕を組み見つめている。キャピタルから何本もケーブルが伸びてサーバーとつながっている。
「おそらくこのキャピタルが原因なんだろうけど……。でもどういう原理なのか見当がつかない」
ナオミはキャピタルに触れながらつぶやく。
「解析すると、どうも見たことないプログラムが組まれているようで。しかも膨大な量が一瞬で書き込まれている」
ヤマモトが答える。
「まさか夢の力によるものなのか? じゃが奴は夢の力は使えないはず」
シマも顎に手をあてて考えている。
もしかして夢の力が使えるのは嘘だったのだろうか。煙に巻く彼の態度を見ると十分ありえる。
「いや夢の力じゃない」
クロミヤが考えを見抜いたかのように答える。組まれたプログラムのイメージをホシダたちに伝える。
それは先ほどユメが漆黒で経験した話だった。書き加えられたものは肉の要塞ともいえる代物だったと。
「たしかに要塞ってイメージは合っているかも。キャピタルのシステムにアクセスできないわけだし」
ナオミが端末を開いて答える。
「夢の力でシステムを理解するなんて」
ホシダが感心している。
「肉でできているのが気になりますね。プログラミングのイメージとそぐわない」
ヤマモトが疑問を呈する。肉の要塞。それがこのキャピタルとどう関係しているのか。
「まさか漆黒から戻ってこられるとは思いませんでした」
突然うしろから声が聞こえてくる。声を聴いてすぐに誰が来たか理解する。
「ナカハラ!」
ホシダが真っ先に警戒態勢に入る。
「おっと。手を出さない方がいいですよ。人類を救いたいのなら」
ナカハラは楽しそうに笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます