第10話
「イシベ!?」
あたりを見回してもナカハラの姿はなく、ナオミとイシベしかいない。
「イシベって、ナオミ殿の弟の……」
ふたりも状況が把握できていないのか、その場にとどまっている。
「遅いし、三人で来るとは。聞かされていた話と全然違うじゃないか」
独り言のようにしゃべるイシベの言葉にはいら立ちがあるのを感じる。その様子にユメは違和感を覚えた。挨拶しかしないマニュアル人間だったイシベとは似ても似つかない。
おもむろにイシベはナオミの髪をつかみ、顔を引き上げる。引っぱられた痛みのせいかナオミの顔がゆがむ。
「どうせ途中から起きていたんだろう。それくらいのことなら俺にだって予想できる」
「もうやめて! ようやく会えたのに……」
ナオミが顔をなんとかイシベに向けようとする。とりあえず意識があることはわかりユメは安心する。
「ホシダ! やめて!」
ホッとしたのもつかの間、ナオミの鋭い声がこちらに飛んでくる。ホシダを見ると目線が遠くを見つめている。
「ナオミ。せっかく相手の注意が向いてなかったのに」
「お願い。無茶なことはしないで」
ナオミの懇願にホシダは諦めた様子で視線が戻ってくる。
「なるほど。それが夢の力ってやつか。で、おまえは結局使いこなせないままなのか」
イシベが向けてきた言葉を聞いてぞっとする。やはり今までのイシベと違う。マニュアル以外の行動なんて見たことがないし、こんなに感情が動かされたことはない。
「イシベ! なにがあったの」
「だから、おまえは夢の力は使えるようになったのかよ!」
声を張り上げるイシベから怒りが伝わってくる。
「使えないよ。でもそれとなにが関係あるの」
なにがなんだかわからない。拘束されているナオミ。いら立ちを隠さない今までと違うイシベ。ホシダたちもナオミに止められて動けない。
この状況は自分が夢の力を使えないせいだ。それだけはなんとか理解できる。
「なんで私に夢の力を使えっていうの?」
今は少しでも質問をして新しい情報を引き出したい。
「知らない。ただそれさえ達成すれば俺は元の状態に戻してもらえる」
「元の状態って?」
「なにも考えずに働いていたあのときの自分にだよ!」
怒鳴り声にユメの全身がこわばり反射的に目を閉じる。
「朝起きたら、すべての出来事に疑問が湧いてきた。なぜ無駄な作業を延々としていないといけないのか。そもそもなんで俺は働いているんだって」
あのときの自分と同じだ。なのに、なぜ今のイシベはこんなにもいらだっているんだ。
「でも誰もなにも答えてくれない。私語は禁止だっていわれて。俺も同じようにふるまっていたはずなのに、なぜか今はおかしいと思っている。頭がおかしくなりそうなときに白衣の男に声をかけてもらったんだ」
「それがナカハラ……」
「ああ。思いのたけをぶつけられるのが、こんなにも安心するとは思わなかった。そのとき、奴は元に戻るにはどうすればいいか教えてくれた」
「それが私に夢の力を使わせることなの?」
「夢の力についても、おまえたちがやっていることも教えてもらった。でも俺にはどうだっていい。この頭の中で語りかけるうるさい自分を鎮めたいだけだ。奴の言われたとおりに行動していれば頭の中の声が聞こえなくなる」
ユメの質問には答えず、どんどん興奮して早口になっていく。ときおり頭をかきむしりながら、さっさと夢の力を使えと叫んでいる。
力を使えればイシベは救われる。そうすれば多分ナオミも。ナカハラの真意はわからないが、おそらくそれが今とれる最善策だ。でもどうやって?
ナオミのところに駆けつけたいと思ったとき、結局なにもできなかった。頭の中で火の球を目の前に浮かべてみる。なにも出てこない。心臓の鼓動がうるさい。息が速くなり呼吸が苦しい。頭の中で急げという声がせきたてる。それでもなにもおこらない自分にイライラしてくる。
「じゃあこれならどうだ」
イシベはズボンのポケットからナイフを取り出した。それをナオミの首筋にあてる。ナオミは目を見開いて体に緊張が走るのが見える。
「これでもダメなら次はどうなるかはわかるよな」
ナイフがナオミの体を傷つける姿が想像される。それだけはダメだ。なんとかしないと、なにかひとつでも夢の力と思わせられるものを作りだせれば。
必死に頭の中であらゆる想像を巡らせる。
突然、イシベがうめき声をあげる。右手が空に向かって伸びており、ナイフを握っていた指が一本ずつ開かれていく。それでもナイフは宙に浮いたままだ。
「やめて!」
ナオミの叫び声が聞こえると同時にシマが飛び出して、イシベに体当たりをする。後ろに倒れこむイシベに馬乗りになる。
「さすがに見過ごせないよ」
振り返るとホシダの視線が遠くを見ている。ナオミの静止を無視してホシダが夢の力を使ったということか。状況を理解して全身の体の力が抜けてへたりこむ。
「ユメ殿、ナオミ殿を」
シマの呼びかけに反応して、慌てて立ち上がりナオミのもとに近づく。見るとイスの背もたれを囲うように後ろ手に縛られている。結び目が固くほどけない。
「ユメさん。そのナイフを使って」
ホシダの声に顔をあげるとすぐ近くにイシベが握っていたナイフが浮いていた。柄をつかむと急に重みを感じる。
ナオミの手を縛っている布に刃をあてると、簡単に引き裂けた。このナイフがナオミを傷つけていたと思うと、急にナイフが恐ろしくなる。布を裂いたら、慌てて地面に放り投げる。
「ユメさんありがとう」
手首をさすりながらお礼をいうナオミの顔にいつもの元気はない。それだけいうとすぐにナオミはシマのもとに駆け寄る。
「シマさん。彼から離れて!」
「さすがにそれは無理じゃ。まずは落ち着かせんと」
ユメもシマのもとに駆けつけると、イシベは身をよじらせながらなんとか抜け出そうともがいている。しかしシマが馬乗りになり腕も押さえつけられているため足をばたつかせることしかできていない。
「おまえのせいでこうなったんだ」
近づいてきたユメにイシベは恨み言を吐いた。言葉がナイフのように突き刺さる。心臓に穴が開いて、そこから漏れ出ていくかのように血の気が引く。
シマがイシベの口を右手でおさえると、声はくぐもって聞こえなくなった。自由になった左手でイシベはシマの体をたたく。しかし力が入らないのかシマが気にする様子はない。
「ナオミ。このままじゃなにもできない。拘束するために夢の力を使ってもいいだろ」
ホシダが少し離れたところから呼びかける。周囲を警戒するかのように見渡している。
「……そうね。お願い」
か細い声でナオミが答える。
「シマさん、周りを注意していて」
ホシダの声と同時にイシベのくぐもった声が聞こえなくなる。その様子を見てシマは立ち上がりイシベから離れた。
イシベは目だけ見開いてユメのことをにらみつけている。どうやら声を出せないようだ。
しばらくすると憎しみを感じる目も閉じられていく。ゆっくりとお腹が上下していて、はたから見るとただ寝ているだけのようだ。
「とりあえず中に入ろう。まだなにか起きるかもしれないから注意して」
シマがイシベを抱え上げ屋上の扉から建物の中に入っていった。しかしユメは先ほどのイシベの言葉が体を縛りつけ、すぐには動けなかった。
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