第9話

 任務の詳細についてはそれぞれの通信端末に送られた。ユメは自室の机で通信端末を操作して内容を確認する。


 新たな夢の力に目覚めた人物の名前はヤマダタロウ。サイバーメディカルに勤務している。顔写真も載っているがユメとは別部署であり見知った顔ではない。


 昨夜、ヤマダは就寝前のキャピタルによる検査をしなかった。マニュアル逸脱の情報がDLFに伝わったため指令がヤマモトに送られたようだ。


 役割はホシダとシマがヤマダと接触し確保、後方支援としてナオミはDLFに残る。ユメはホシダたちに同行する予定だ。


「このイヤホンは常につけておいて。そうすればいつでも私と会話できるから」


 ナオミから手渡されたのは片耳に装着するワイヤレスイヤホンだった。マイクも付いており、そのまま会話もできるようになっている。


「それとなにかあったらホシダを盾にすればいいから。ちょっとやそっとのことでやられることはないんだし」


 身も蓋もない言いかただが、ナオミなりの信頼の表れなのだろう。それくらいの心の機微がわかる程度にはDLFになじんできている。


 十五分後に入り口に集合となった。しかし、そういわれても何をすればよいかわからない。とりあえず動きやすい服装に着替えておく。


 入り口に向かうとすでにホシダとシマが待っていた。ふたりは迷彩柄の服を着ている。


「よし。行こう」


 ホシダが服装について語るかと思っていたら、すぐに出発を促された。普段ならおそらく見たであろう戦争物の映画について話すはずなのに。


 ぼんやりと考えながら外に出ると目の前には自動運転車が待機していた。なんでこんなところに? と考える間もなくふたりが乗り込んでいく。慌ててユメも後部座席に乗り込む。


 扉が閉まると同時に自動運転車がアナウンスもなく動き出す。


「ナオミがシステムに入って操作してるんだ。走行記録も書き換えておけばばれることもない」


 ナオミの後方支援とはこういうことなのか。確かに派手な服装の人が空を飛んでいれば嫌でも目立ってしまう。


 サイバーメディカルの出勤時間とかぶりそうになったため、すこし回り道をしながら社宅につく。到着したときにはすでに社員はいなくなり閑散としていた。


 自動運転車の利用記録にヤマダの名前は載っていないとナオミからの報告が入る。つまり時間になってもヤマダは出勤していない。防犯カメラの記録からも外に出ている様子はないようだ。


 中に入るとエントランスにも人影はない。無言で行動するため空調の音が強く聞こえる。目の前のエレベーターに乗り五階のボタンを押す。


 中でもお互いに会話することはなく、駆動音だけが響き渡る。少しずつ鼓動が速くなっていくのが嫌でも自覚させられる。


 不安でふたりの顔を見るが彼らもいつもより表情が硬い。夢の力が使えて、任務を何度もこなしているふたりでも緊張している。その事実に、どちらも経験がないユメはさらに不安が強くなっていく。


 五階でエレベーターを降りてヤマダの部屋の前にたどりつく。


「鍵は単純なサムターン錠だからホシダなら簡単に開けられるはず」


 イヤホンからナオミの指示が入る。ホシダが取っ手を握る。そのまま動きを止めたホシダの表情を見ると目線が遠くを見ている。すると扉の向こうから鍵が開く音が聞こえた。


 扉を開きホシダ、シマの順番に中へと入っていく。ふたりが土足で上がりこんだのにぎょっとするが、なにもいわず同じように行動する。


 間取りはユメが住んでいたところと同じだ。廊下をすすみ正面の扉を開けばリビングがある。その奥にはキャピタルをおく寝室があるはずだ。


 扉を開きリビングに入るが誰もいない。机や冷蔵庫など、家具の配置も含めてユメの部屋と同じだ。狭いリビングに隠れる場所はなくヤマダがいないのは明らかだ。


 ホシダたちが目配せをして寝室へと続く引き戸を開ける。しかし、そこには誰もいなかった。そして、なにもなかった。キャピタルやベッドさえ。


 リビングとの違いに戸惑う。ヤマダはここにいるのではなかったのか?


「どういうこと? 空っぽの部屋なんだけど」


「えっ? そんなわけ……」


 ナオミからの返答が途切れる。すると突然、けたたましい物音とくぐもった声が遠くから聞こえる。


「ナオミ殿! なにがあった!」


 シマが呼びかけてもイヤホンからはなにも聞こえてこない。ホシダも続けて呼びかけるが、変わらず返答はない。


 ナオミの身になにかが起きた。頭の中では、その言葉が響いている。その声を打ち消すかのように心臓の鼓動が体の中で響いている。


 突然、電子音が部屋に鳴り響いた。すべてを上書きする音に全身が凍り付く。ホシダたちの顔を見るが、ふたりは別の方向を見ている。


 音はクローゼットの中から聞こえてくる。ホシダがクローゼットに近づき扉を開く。


 ベルの音がさらに大きく響いてくる。ホシダがしゃがみこみ手を伸ばす。立ち上がりこちらを振り返ると通信端末が握られていた。


 画面には非通知と表示されている。ホシダが画面を操作し電話に出る。皆に聞こえるようにスピーカーにしてある。


「もしもし」


「いや~、調子はどうですか?」


 その妙に明るい声を聞いてユメは拘束されていたときの自分を思い出す。


「ナカハラ! なんでおまえが?」


「いや~、なぜでしょうね。ちなみにアイダさんの身になにが起きたか気になりませんか?」


 その粘っこい声の調子に鳥肌が立ってくる。


「ナオミ殿になにかしたらただじゃおかんぞ」


「あれ? ホシダはいなくなってしまいましたか」


 シマの呼びかけを無視してナカハラはホシダに呼びかける。この状況を楽しんでいるようなしゃべり方に不快感が生まれてくる。


「目的はなんだ?」


「おお! 瞬間移動でいなくなったのかと思いました。訳あってアイダさんをお預かりしました。でも安心してください。連れ去ったりはしてませんから」


「質問の答えになってないし意味がわからない」


「ああ。ごめんなさい。どうも説明が下手で。目的はユメさんですよ」


 私? いきなり名前を不快な声で呼ばれて悪寒が走る。


「お~い。ユメさんもそこにいますよね?」


 ナカハラの呼びかけに答えたほうがいいのだろうか。するとホシダが口に人差し指をあてる。


「ユメさんは関係ないだろ」


「まあそう答えるしかないですよね。ではそこにいるであろうユメさん、よく聞いてください」


 そこからしばらく沈黙の時間が流れはじめた。ユメはそわそわしてふたりに顔を向けるが、ホシダはまたしゃべらないようにと指示をくれる。シマも通信端末をにらみつけ腕を組みながら待っている。


「アイダさんのことが心配なら、今すぐDLFの屋上に来てください。あなたの能力を使えば、まさに一瞬、瞬きする間もなく来られますよね。そうしないとアイダさんの身になにが起きても知りませんよ」


 こちらが質問する間もなく通話が途切れた。


 ナカハラの残した言葉を聞いて、とっさにホシダと訓練していた屋上を頭の中に浮かべる。あそこに行けばナオミがいる。急がなければという思いが頭の中を占める。


 ホシダとシマが声をかけているのが視界に入るが、なにをいっているのかはわからない。今すべきはすぐにでもナオミのもとに駆けつけること。そのために必死にDLFの屋上にいる自分を思い浮かべる。


 気がつくとホシダが自分の両肩をつかんでゆすっていた。目の前の景色はなにも変わっていない。


「よかった。目が合わないから、そのまま夢の力を使っちゃうかと思った」


「すみません。うまくいかなくて」


「いや。むしろよかったわい。仮にひとりで乗り込んでなにをするつもりだったんじゃ」


「そうだよ。ナカハラに惑わされないように気をつけて。そうしないと相手の思うつぼだよ」


「でもこのままじゃナオミさんが」


「もちろん急ぐ必要はある。でもそれは後先を考えないわけじゃない。ユメさんはまだ夢の力が使えないんだから単独行動は無謀だよ」


 ふたりに諫められて少しずつ冷静さが戻ってくる。確かにたったひとりで乗り込んだとしても、なにもできない。


 社宅を出ると先ほど乗ってきた自動運転車がまだそこにはあった。


「ナオミさんがいなくても自動運転車は動くんですか?」


「いや。ナオミに操作してもらわないと動かない。ユメさん、急ぐから力を抜いていて」


 とたんにユメの体がすっと軽くなる。そのままホシダに抱えられる。


 あのときと同じだ。DLFに来た日と。


「いきなりはやめてください。心臓に悪いです」


「ごめんね。じゃあシマさん行くよ」


「ああ」


 ふたりは走り出す。それは自動運転車の安全を意識した速度よりも速かった。しかしユメの体に当たるはずの風は感じられない。


 ときおり跳躍して建物を乗りこえていく。しかし内臓が浮く感覚も着地時に起きる衝撃も感じられない。


 目立つことをいとわないなら、これだけ速く動くことができるのか。


 五分程度でDLFが見えてくる。隣の建物の屋上から直接DLFの屋上に到着する。


「ナオミ! 大丈夫?」


 抱えていたユメを下ろしながらホシダが呼びかける。ユメも屋上の中央に目をやる。そこにはイスに縛られうなだれているナオミと、そのうしろにイシベが立っていた。

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