第6話
「これが夢の力を制御する装置……」
「ええ。この腕輪をつければ夢の力の暴走を抑えられるわ」
ナオミから手渡された腕輪にはディスプレイとその隣に透明なケースがついている。ケースの中央には小さな穴が開いている。手をとおすとちょうど手首の位置で落ちつく。
見た目はケースがついていること以外は腕時計と似ている。ベルトにあたる部分は銀色だ。金属でできているからか、ひんやりと冷たい。よくみるとケースの中には無色透明な液体が入っている。
「ユメさん、夢の力が暴走してしまう理由は覚えている?」
「えっと、それは夢の世界から戻ってこられないからでしたっけ?」
夢の力を使うとき、頭の中に夢の世界を想像する。そこから戻ってこられなくなったときに漆黒が生まれてしまう。確かヤマモトはそういっていたはずだ。
しかし夢の世界から戻ってこられなくなるとはどういうことだろうか。確かに想像してみると頭の中で映像のようなものが浮かび上がる。
ただ、そこに世界があり自分が入っているという感覚はない。そのため夢の世界にいくという感覚もなんだかはっきりしない。
「ええ、そのとおりよ。だから大切なのは現実世界の認識をはっきりさせること。そのために使われるのがこの腕輪よ」
「これがですか?」
ディスプレイやその横についている液体が入ったケース。これらが夢の世界から引き戻してくれることに関係しているのだろうか? そもそも夢の世界に入る感覚が分からないユメにとってはピンとこない。
「簡単にいうと現実世界に戻るために現実感の強い刺激が必要になるの。ユメさん、それってどんな刺激だと思う?」
強い刺激? 現実感をともなう刺激といわれてもユメにはわからない。
「なんでしょう? 痛みは強い刺激だと思いますけど」
「悪くない回答ね。寝ている人を起こすならその刺激もあり。でも夢の世界では痛みは比較的作りだしやすい。他になにかある?」
ナオミはこの問答を楽しんでいるようだ。次にユメが何をいってくるのか。それを楽しみにしている様子だ。
「うーん、なんでしょう。現実感の強い刺激……。目の前にいきなり人が飛び出てきたらびっくりすると思いますけど」
「あはは! その発想は面白い。けど、それも違う。質問が悪かったかも。現実感の強い刺激っていうのは想像、つまり夢の世界でも感じづらいものはなにかってこと」
夢の世界で感じづらい。結局、夢の世界がどういうものかわからないユメにとっては質問が変わっても思い浮かばない。
「本当はもっとユメさんとやりとりしたい。でも時間も遅いから答えをいうね。それは匂いよ」
答えに窮しているとナオミが答えをいった。
「匂いですか」
確かに匂いを想像しろといわれても難しい気はする。しかし他の刺激も似たようなものではないだろうか。
「あまり納得していない顔をしているわね」
ナオミはユメの考えを察した様子だ。
「いえ……。匂いは想像しづらいというのはなんとなくわかるんですけど」
「じゃあユメさん。腕輪の画面についているボタンを押してみてくれる?」
いきなりナオミに指示を出される。戸惑いつつもユメは腕を近づけて腕輪を観察する。ディスプレイの側面に小さな突起がついている。反対の手で突起を押してみる。すると何も映っていなかったディスプレイに数字が表示される。
「ありがとう。それが電源ボタン。今は時刻が表示されているはず」
一時四十二分。もうこんなに遅い時間になっていたのか。改めて今日という日のめまぐるしに驚かされる。
「画面に一回触れてみて。するとボタンが表示されるからもう一回触れてみて」
ナオミのいうとおり画面に触れると丸い赤色のボタンが表示される。指で触れるとボタンが押し込まれる表示に切り替わる。
指を離すと画面の横についている容器から霧が噴き出してきた。するとユメの周りに爽やかな、少し刺激がある、酸味のような香りが漂ってきた。
「いい匂いですね」
「でしょう。観賞用の花なんてなくなって久しいから医療用に使われている植物から頑張って抽出したの」
「でも、これがどうなるんですか」
いい匂いがしても、それだけで現実とどうつながるかわからない
「嗅覚っていうのは他の刺激と違って感じる部分が違うの。記憶とダイレクトにつながる感じ。だからユメさんはまたこの匂いに触れたとき、私の部屋を思い出すってわけ」
「それが現実感の強い刺激ってことですか」
「そう。匂いによるセーブポイント。……っていってもゲームをやっていないユメさんにはわからないか。もし夢の力が暴走してしまったときも匂いで夢の世界から戻ってこられるってわけ」
夢の暴走を抑える力は思ったより簡単でユメは拍子抜けしてしまった。
「だからこまめに今の操作をしていろんなところで匂いに触れておいて。セーブはこまめに。それが鉄則」
「わかりました」
最後の部分は意味がわからなかったが、要はこまめに香りを嗅ぐことで現実の記憶を強固にしておけばよいということだろう。
「よし! これで今日のタスクは終了。ユメさんも疲れたでしょうから部屋に案内するわね。私にとってはこれからって時間だけど」
ナオミにそういわれて急に全身に疲れが襲ってくる。今日という一日はあまりにも今までと違い、とてつもなく密度が高く、長かった。いつもならとっくに寝ている時間だ。
ナオミを先頭に部屋を出てから右に進む。ドアを二つとおり過ぎる。三つ目のドアの前でナオミが立ちどまる。
「ここがユメさんの部屋。ちなみに今とおり過ぎた部屋がそれぞれホシダとシマの部屋だから」
扉を開いて部屋の中に入ると、左手にまた扉がある。右手には戸棚がある。奥にはベッドと机と椅子だけが置いてあるシンプルな部屋だった。
窓の外は真っ暗で建物の明かりもほとんど見えない。
「こっちの扉は浴室とトイレがあるから。食堂とか洗濯機置き場とかは別にあるけど、明日また教えるね。寝巻やタオルは棚の中に入っているから。それじゃユメさん、ゆっくり休んで」
最低限の部屋の情報を伝えてナオミは部屋を出ていく。ナオミがいなくなると静寂が訪れる。考えたいことは山ほどあるが疲労で頭が回らない。
そのままベッドに入りたいのをぐっとこらえて部屋の中の扉を開ける。目の前にはトイレがあり、隣には洗面台、浴槽とシャワーがついている。
うしろにある戸棚を開ける。中にはタオルと白色の上下の寝巻と下着が入っていた。寝巻とタオルは洗面台におき服を脱ぐ。鏡に写して体を確認してみるがあざや怪我は見当たらない。あれだけの出来事が起きても傷ひとつなかったのは奇跡に近い。
浴槽に入りシャワーを浴びる。温かい水が全身にかかる。それだけで今日の疲労も一緒に洗い流される感覚がある。
そういえばマニュアルには必ず就寝前にシャワーを浴びることが義務付けられていた。そのときはこんな考えが頭に浮かんでいただろうか。
シャワーを浴びて寝巻に着替えたら、そのままベッドに入りこむ。普段は寝る前もキャピタルに入るが、今となっては入りたいとも思わない。
眠い目を開けて腕輪を操作してまた匂いを嗅ぐ。部屋全体に香りが漂いほっとする。そのまま考える間もなくユメは眠りに落ちていった。
川に流されている。気づいたらユメは川の流れに身を任せてただよっていた。目の前に広がる空は青く澄み渡っている。川のせせらぎ、鳥の鳴き声。
真上から降り注ぐ太陽光の温かさと背中に感じる水の涼しさもバランスがとれていて心地よい。このままずっと流されていけば広い海に行き当たるのだろうか。そう思うと、そのまま身を任せていたいと思う。
しかしこのままではいけない。川に逆らって泳がなければいけない。ユメは突然思い出す。顔を上げて川上に眼を向けてもなにかあるわけではない。広い川の景色が広がっているだけだ。
それでも川上に求めるものがある。ユメは体を回し水に顔をつける。水の透明度は高く水底には赤や青、様々な色のガラスが敷き詰められ日の光に反射して輝いている。美しい景色に勇気づけられしばらく水をかく。
はっと目が覚めてユメは飛び起きる。ちょうど息継ぎをするのと同じタイミングでユメは体を起こしていた。周りを見わたすと机と椅子、窓からは陽が差し込んで机に当たっている。
荒くなった呼吸を深呼吸して落ち着かせる。今のは夢だったということだろうか。今までとはまったく別物の夢だったためすぐには理解できなかった。しかしどれだけ時間が経っても部屋にいることに変わりない。徐々にあの川の冷たさや川底の美しさも薄れてくる。
腕輪を起動する。時刻は十一時五十六分。もうお昼だ。画面を操作して匂いを嗅ぐ。昨日体験したものとまったく同じだ。
そのとき部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「ユメさん。目が覚めた? もうお昼近いけどお腹すいていない?」
部屋の外からホシダの声が聞こえる。ベッドから降りて扉を開く。
「ごめん。もしかして起こしちゃった?」
目の前に立っていた人物が最初ホシダとは気づかなかった。来ている服装がシンプルなシャツとズボンで昨日来ていた派手な服装ではなかったからだ。最初に扉の外から声を聴いていなかったらホシダと認識できていなかっただろう。
「……おはようございます。いえ、ちょうど今起きたばかりで」
「そっか。それなら身支度を整えたら食堂に案内するよ。準備できたら隣の部屋にいるから声かけて」
そういってホシダは扉を閉める。確か昨日の格好は正装といっていたっけ。多分普段の格好は、先ほどの格好なのだろう。
ユメは洗面台で顔を洗って着替える。下着や寝間着は置かれていたが、それ以外の服はないため昨日と同じものを着る。部屋を出て隣の扉をノックする。
「ユメです。準備できました」
扉が開きホシダが姿を現す。
「よし、じゃあ食堂にいこう」
ホシダの先導でエレベーターに乗って一階に降りる。ここに来たときには気づかなかったが、扉の上に食堂と書かれたプレートが張られた場所があった。
中に入ると奥へと細長い作りになっていた。十人掛けの細長いテーブルに椅子が五脚ずつならんでいる。一番奥には一脚、作りの豪華な椅子が置かれている。
奥の壁にはほほえみを称えた老婆の絵が飾られている。テーブルには白いテーブルクロスが敷かれており燭台がいくつか置かれている。
「朝はみんなで食べるけど昼は各自自由。今はユメさんだけだから気楽にしてて」
ユメはどこに座ってよいかわからず入り口に一番近い椅子に座る。ホシダは食堂の右奥にある扉に入っていく。しばらくすると油でいためる音とパンが焼けるにおいが漂ってくる。どうやら奥が台所になっているようだ。
「ユメさん。お待たせ」
ホシダがトレイを持って出てくる。ユメの目の前にトレイを置くと、その上には食パンとサラダ、そしてベーコンエッグが乗っていた。
「ホシダさん。ありがとうございます。」
「どうぞ召し上がれ」
向かいに座ったホシダがうながしてくれる。ユメはまずサラダを口にする。レタスときゅうりはみずみずしくトマトの味も濃い。ドレッシングもかかっているが控えめで野菜の味が口の中全体に広がってくる。
「おいしい。こんなにおいしいサラダを食べたのは初めてです」
「それはよかった。でも普段食べているものとおそらく同じだよ」
「えっ」
そんなわけない。今まで食べていたものと明らかに味が違う。もしかしてお腹が空いているからおいしく感じられるのだろうか。
いや……。なんど味わっても別のものを食べているとしか思えない。
「食事自体を楽しむ。そういう感情や味を想像する力が今のユメさんにはあるから」
夢の力は食事自体も変えてしまう。ユメにとっては自覚のない瞬間移動の能力よりも、よっぽど特別な力が宿ったと感じる。
夢の力によって滅亡の危機はあるが感動する食事ができる世界。夢の力がなく味を楽しむことはできないが安定した今の世界。どちらが正しい世界なのだろうか。今のユメには判断がつかない。それでもこの食事を今は楽しみたい。
ユメはあっという間に食事をたいらげる。生きてきた中で間違いなく一番おいしい食事だった。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです」
「わかる。自分も初めての食事のときは食べ過ぎて気持ち悪くなっちゃったから」
ホシダの様子を想像してユメは笑ってしまう。
「よし。燃料補給もできたところで今日の予定を伝えるね」
頬杖を突きながら見ていたホシダは姿勢を正してユメに向き直す。
「DLFに所属したら任務があるときは従事しないといけない。今は幸い依頼された任務はない。だから今のうちに夢の力を鍛えておく必要がある」
そうだ。夢の力をおさえる装置はナオミからもらった。だからといって今のユメには夢の力を使う方法はわからない。
「私も早く夢の力を使いこなせるようになりたいです」
「よし早速訓練をはじめよう。まずはユメさんの力が特化型か汎用型か知ることからはじめよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます