第4話
「滅ぼす……」
クロミヤの言葉を聞いてユメの背筋がゾッとする。ホシダが持ってきたDVDには、夢の力はなんでもできることを謳う素晴らしいものとして描かれていた。
「ええ。とはいってもピンとこないでしょう。ここに来たのもなにかの巡りあわせ。実際に起きたことをみせてあげる」
クロミヤがユメのもとに近づいてくる。目の前に立った姿を改めて見るととても若い。三十代、もしかしたら同年代かもしれない。
こんなに若くて世界的大企業の社長になるなんて……。そのすごさに圧倒されてしまう。
ユメの手をクロミヤが握る。ビル風に当たっていた影響かとても冷たい。冷たさに驚きクロミヤの顔を見つめる。するとクロミヤの目つきが遠くを見つめていた。
またあのときの表情だ。ホシダたちが夢の力を使っていたときに見せていた表情に気づいた瞬間、ユメの頭の中に何かが大量に流れこんでくる。
頭が割れるように痛い。胃の中が満たされ、あふれてくるような感覚がする。戻しそうになるが何とかこらえる。
気づいたら目の前の景色が一変していた。
ユメは部屋の中で立っていた。隅には姿見鏡がおいてあり、そこに写っていた姿に驚く。
鏡の中には十歳くらいの少女が立っていた。ユメのこどもの頃ではなく別人だった。肩まで伸びた黒髪、半そでの白シャツに青色のパンツをはいている。
部屋を見渡すとベッドに机とイスがおかれている。色はどれもピンク色でそろえられている。
「コウ! 準備はできた!?」
部屋の外から切羽詰まったような女性の声が聞こえる。
「今行く!」
ユメの口から勝手に言葉が出る。その声色も自分の声とは異なる。頭の中では今の状況を理解しようとする。しかし体はユメの意識に反してひとりでに動いてしまう。
壁にかかっているリュックを手に取り、引き出しや棚から食べ物や飲み物、またユメが見たこともないものを詰めていく。
部屋を飛び出して階段を降りていく。下の部屋には大人の男女が待っていた。ふたりともリュックを背負って、頭にはヘルメットをつけている。
「これをかぶりなさい」
男性がユメにヘルメットを渡してくる。あいかわらず勝手に体が動きヘルメットをかぶる。
「ありがとう、パパ」
どうやらこのふたりは少女の両親のようだ。ユメは頭の中で判断する。すると少女は部屋を横切ると本棚の前に移動する。
「かさばるから持っていくのやめなさい!」
「ママ! 一冊だけだから!」
少女は本棚から本を一冊取り出すとすばやくリュックの中にしまう。ユメは赤い色の本ということしかわからなかった。
「よし、急ごう」
父親の言葉を合図に三人は玄関に向かい外に出る。外に出ると空の色がおかしいことに気づく。濃い紫色、日が沈むときに見せる明るさや、青空とのグラデーションもない。雲ひとつない空なのによどんだ紫が空一面をおおっている。
通りに出ると同じようにヘルメットをかぶった人々が、みな同じ方向に逃げている。走っている人もいれば、車に乗っている人、ときおり空を飛んでいる人もみかける。
「こっちだ!」
父親にうながされ他の人々と同じ方向に走り出す。ユメ自身の意識に反して体が動いてしまうこと、周りの人たちの必死な顔、なにが起きているかわからない状況を目の前に不安がつのっていく。
ホシダたちに救出されたときも頭の中で考えることしかできなかった。あのときも状況はわからなかったが彼らの気遣いによる安心感があった。しかし今は少女と会話することもできず、ただ体験することしかできない。
十分ほど走っただろうか。うしろからドン! というなにかが破裂したような音が聞こえた。音のした方向に振り向くと遅れて衝撃が全身を襲ってくる。
「きゃっ!」
ふんばることができずに吹き飛ばされる。両親が駆けより起こしてくれる。
体をさすりながら空を見上げると全身が真っ黒に染まった人型の物体が浮かんでいた。
唖然として見上げていると、人の形をしていた物体が崩れていく。どろっとした液体が流れ落ちるようだ。
液体は徐々に人型から丸い形へと姿を変えていった。形が変わってからは宙にとどまり続けている。
すると突然、爆発したかのように黒色が放射状に広がっていき、紫色の空を上書きするかのようにおおっていく
夜のときのように広がりのある黒ではなく、透けることがない重みのある黒が空を塗り替えてしまった。
周りの人々は悲鳴をあげ、ばらばらに逃げまどう。少女たちも慌てて走るが行けども行けども見渡す限りの黒が続いていた。
突然、全身に圧迫感を感じる。空を見上げると、おおいつくしていた黒が近づいている気がする。最初は勘違いかと思ったが気のせいなんかではなかった。
黒がにじりよってくる。高層ビルの頂上に触れたかと思うと、徐々に飲み込まれていき見えなくなってしまう。近づいてくるにつれて全身の圧迫感が強くなる。息を吸うことも難しくなっていく。
「もう無理!」
少女が叫び地面に座りこんでしまう。泣きながら一歩も動こうとしない。
「立ちなさい!」
父親が息を切らしながら怒鳴る。腕を引っぱられる感触がするが振りほどいてしまう。しばらくするとふたつの手が優しく背中をさする感触がする。
少女が膝に顔をうずめてしまっているため、ユメは周囲の状況が把握できない。息苦しさと全身の圧迫感が強くなっていくことだけが感じられる。
「うわっ!」
突然、背中をさする感触が消える。父親の声にハッと顔をあげると目の前に漆黒がせまっていた。
見渡すと両親は左右に立ち両手で迫ってくる漆黒を押しとどめようとしている。
「パパ! ママ!」
少女は立ち上がる。しかし歩き回れるほどのスペースはない。よく見ると両親の手は漆黒に飲み込まれ見えなくなっている。
「僕たちの力じゃ止められない……」
「コウ、ごめんね……」
徐々に両親の体が漆黒に飲み込まれていく。少女はパパ、ママと叫びながら泣いている。涙で視界がぼやけてくる。ユメは内から湧き上がってくる悲しみを強く感じた。
もはや両親の姿も漆黒の中に消えてしまった。
目と鼻の先に漆黒がある。飲み込まれる! ユメが感じると同時に少女が目を閉じる。何も見えなくなった瞬間、呼吸が楽になる。
気がつくと目の前にクロミヤの顔が見える。周囲に漆黒などない。
「どうだったかしら? これが夢の負の側面よ」
クロミヤが握っていた手を放す。今、体験したことがユメの中で暴れまわり、その場で吐いてしまう。
「……今のは何ですか? あの子はどうなったんですか?」
「これはあの少女の記憶よ。漆黒の空間はそのあと消滅した。あとには何も残らなかった。でも少女はなぜか空間の外にいたの。呆然としていたところを保護された」
「そんな……」
「夢の力の過渡期にはこういうことが世界中で起きていた。最初はただ目の前の人が漆黒に飲み込まれるだけだった。でも徐々に今みたいに規模が大きくなっていったの」
ユメが体験したものは街ひとつを飲み込むような広さだった。街が一瞬にして消滅する。逃げまどう人々や少女たちの恐怖がまだ現実感をともなってユメの中に残っている。
「だから夢の力を制限しようとした」
「ええ、いつ世界全体を飲み込むかわからない。そんな力はいくら便利でも禁止すべき。そこで生まれたのがキャピタルよ」
キャピタル……。夢の力を奪う装置。今まで点として散らばっていた情報がつながっていく。
「夢の力を制御するのは大変よ。元々、人は生きているだけで勝手に想像してしまう。そんなものを止めないといけないんだから」
想像することを思い出したユメにとって、それがいかに難しいことであるかは理解できた。クロミヤと目の前で話している状況でも、とめどなく頭の中で色々と考え想像がふくらんでいる。自力で止めることは不可能だと思う。
「キャピタルによって無理やり想像させる力を奪った……」
「ええ、厳密には感情をコントロールしている。それが想像の源になるから。恐怖など生死にかかわる感情以外はなくしてしまえば、想像する力は極端に落ちる。そうすれば夢の力も発動できなくなる」
「それで今の世界が作られた」
「まあ、そんな単純なものではないけど。ここまでくるのには膨大な犠牲があったわ。感情を奪うだけでは廃人になってしまう。人類としての活動を維持させないと、結局世界は滅びてしまう」
感情が奪われていたときは何を考えていたのだろう。いや考えることすらできなかったのか。
「感情を奪ったあとの穴埋めは大変だった。莫大な量の単純作業をさせることでしか解決できなかった。あなたたちがしていた仕事や、あらかじめ決められたマニュアルに沿って行動させたりね」
クロミヤの言葉を聞いてユメは思い出す。延々と同じデータを見比べる、挨拶しかしない同僚、通勤の仕方が決められていること、膨大なマニュアル、あれらはすべて感情の抜けたあとの代わりだったのか。
「……だから車に乗らなかった私は拘束された」
「察しがいいわね。そのとおりよ。そしてまた夢の力を取りもどさないようナカハラに依頼したところで、あなたはホシダたちに誘拐されたってわけ」
そうだ。ホシダたちは夢の力を使っていたではないか。彼らの生き生きとした表情がユメの頭の中に浮かぶ。
「彼らは何者なんですか」
「夢の力を取りもどして世界をまた破滅にみちびこうとしている危険な集団、といったところかしら」
クロミヤのふっとした笑いからは嬉しそうな様子は感じられない。
「そんなわけ……」
クロミヤにいわれた言葉に対してとっさにユメは違うと感じた。彼らの楽しそうな様子を見て、決して世界を滅ぼそうとしているとは思えない。
しかしクロミヤが見せたものが事実なのだとしたら。ユメにとってどちらが真実なのかわからなくなっていた。
「夢の力を使い続けていたら、同じことが起きてしまうんですか」
「ええ、それがいつ起こるのかもわからない。百年後かもしれないし、今すぐにでも起こるかもしれない。あんなことを繰りかえさせたいの?」
「いえ……」
夢の力を使っていると、いつか漆黒がすべてをおおいつくしてしまう。あのときの息苦しさや漆黒がせまってくる恐怖、思い出すと体が震えてくる。
「漆黒が目の前にせまってきたとき、もうダメだと思いました。それに少女の両親、ふたりが飲み込まれてしまったとき、……とても悲しかった」
あのとき感じた悲しみは少女のものだったはず。しかしユメ自身が感じた気もする。今となってはわからない。
ユメの言葉を聞いてクロミヤの目が見開いている。何か変なことでもいってしまったのだろうか。
「……そう」
返事をしてからもクロミヤは黙っている。他にも聞きたいことはたくさんある。しかしクロミヤの様子を見ていると、声を出すのもはばかられた。
「気が変わったわ。あなたを彼らのもとへ帰してあげる」
「えっ?」
突然のクロミヤの提案にユメはついていけない。
「私も暇じゃないの。一社員にいちいち構ってられないわ。説明役は彼らに任せるわ」
クロミヤがユメの手を握る。クロミヤの視線が遠くを見たと思った瞬間、目の前からクロミヤが消える。
……よく見ると消えたのはクロミヤだけではなかった。破れた窓ガラスの景色も消えてなくなり、目の前には机の上におかれた本が見える。
これはさっきまで読んでいた漫画だ。
「ユメさん!」
突然、声をかけられて体がびくっと跳ね上がる。振りむくとナオミが立っていた。
「どこに行ってたの!? 急に図書館からいなくなっちゃうし、どこ探しても見当たらないし。勝手に出ていったのかもしれないと思って、ホシダたちも外を探している」
ナオミが涙を流しながら抱きついてくる。
サイバーメディカルでクロミヤと対峙していた時間だけが、つながりのない異様な感覚として残っている。まるで寝ているときに見ていた白いもやの夢のように。
クロミヤはユメがいなくなった空間を見つめていた。目の前の扉が開き白衣の男が入ってくる。
「社長、彼女を帰してしまったんですか。キャピタルに入れるチャンスだったのでは?」
「ええ、最初はそのつもりだったんだけど。彼女は私の後継者になりうるから帰したわ」
「へっ? それはどういう……」
ナカハラの質問には答えず、クロミヤは部屋を出ていく。
ついに見つけた。
その事実に胸の高鳴りが抑えられなかった。
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