後編 Let's go to カラオケ

 我ながら思い切ったことをしたと思う。

 都会的な街並みを、夕暮れの茜色が覆う。薄暗い室内には、大音量のサウンドが流れる。マイクを握り、額に汗を浮かべながら熱唱する男子高生の姿。周囲には、タンバリンやマラカスを鳴らして盛り上がる男女がいた。全員、制服姿の高校生だが、それぞれ違う学校の制服を着ている。着こなしもそれぞれだ。スカートを折って極端に短くしている子、パーカーやスニーカーを合わせてカジュアルに着こなす子、ブランドもののベストや靴下を合わせて上品に着こなす子。そんな中で、苺は明らかに浮いていた。

 靴下から鞄まで学校指定のものを規定通りに身に付け、襟は正しく第一釦まで留めている。だが、最も浮いているのは服装ではない。両手に握りこぶしを作り、真っ直ぐ揃えた両膝の上に乗せた、不自然に行儀の良い姿勢である。

「高木さん、カラオケ初めてって本当?」

「あっ、ああ……!」

 珍しいー! もしかしてお嬢様? 話し掛けてきた女子生徒が楽しそうに笑う。商店街生まれ商店街育ちの庶民だが、そういうことにしておこう。

 まさか自分がこんなところへ遊びに来る日が来るとは。というのも、苺の中でカラオケボックスは、「不良の遊び場」という認識になっていたからだ。

 それがどうして、のこのことやってきたのか?

 話は先週の金曜日に遡る。つかさを追い出した後のこと。苺のスマートフォンにメッセージが届いた。送り主は、一度か二度、話したことがある程度のクラスメイトだった。二年生の初め頃、半ば無理矢理入会させられたクラスのグループトーク経由で、苺に個別メッセージを送ってきたのだ。

 メッセージの内容はこうだ。

 今度他の学校の子もまぜて合コンやることになったんだけどね、人数が足りなくてさ、そういえばクラスにすっごい美少女がいるんだよって話をしたら、皆会いたい!って言い出しちゃって……もし嫌じゃなければ、高木さんも遊びに来ない?

 突然の誘いだったが、苺はまんざらでもない気持ちになった。小さい頃から苺は別嬪さんだと祖父にも祖母にも父にも母にも言われて育ってきた。しかも高校生になってからは涼宮を振り向かせるため、美容にも力を入れてきた。生まれ持った素質とたゆまぬ努力を認められて、苺はいい気になったのだ。

 そしてもう一つの理由――この時、苺には名案が思い浮かんだ。

「苺ちゃん、大丈夫?」

 隣に座るつかさが、苺の耳元で囁く。

 なんのことだか。緊張と慣れない環境のせいか若干の吐き気がするが、大したことはない。今の苺は、この後の展開が楽しみでしょうがないのだ。

「ねえ、やっぱり帰ろうよ。苺ちゃん、私達まだ高校生よ? 合コンなんて身の丈に合わないんじゃないかな」

「うるさいな。気に入らないならついてこなきゃよかったじゃないか」

「そういうわけにはいかないよ。苺ちゃん一人じゃ心配だし」

「お前は私のなんなんだ?」

 どういうわけか保護者面をする幼馴染みは、まったくもう、知らないからね、とそっぽを向いた。膨らませた頬は幼児のようで、ちっとも気迫がない。

 話を戻そう。苺は目的を持って、この合コンへやってきたのだ。

 名案とは、今日のことを涼宮の耳にそれとなく入れておき、涼宮以外に男に目を向ける私に焦った涼宮は、居ても立ってもいられず、カラオケボックスへ私を攫いにやってくる! ……という素晴らしい計画だ。

 涼宮は必ずやってくる。私を攫いに。

 苺はスカートの裾をギュッと握り締めた。

「…………」

「おーい、つかさちゃん?」

「えっ? ああ、ごめんね。なあに? 篠原さん」

「つかさちゃんのことも、皆に紹介したいと思って!」

 ツインテールの少女、篠原がマイクを片手に元気に宣言する。彼女はこの合コンの主催者である。とはいえ、苺は彼女のことを詳しく知らない。わかっているのは、クラスではとっつきにくい印象を持たれている苺を合コンに誘い、つかさの飛び入り参加も快く受け入れてくれるような、豪胆な性格ということくらいだ。

「つかさちゃんはね、皆の癒しの存在って感じ! クラスの皆に親切だし、スポーツも料理も上手で、とっても頼りになるの。女子にも男子にもモテモテなんだよ!」

 その場に居た皆がおおーっと盛り上がる。ある者はタンバリンを叩き鳴らし、ある者は口笛まで吹き出す始末だ。

 そんなことないよ、と照れるつかさを見て、苺はむっとした。

「お前、私を差し置いてちゃっかり彼氏を作る気じゃないだろうな?」

「しないってば。もう、苺ちゃん。どうして急に合コンなの? どうせ涼宮くん関連なんだろうけど」

 声をひそめてつかさが言う。周りは二人を気にせず、マイクを握り締めて歌を歌い、それぞれにお喋りをして、おおいに盛り上がっていた。

「どうせとは何だ、どうせとは。フン。片思いの一つもしたことのないつかさには、私の気持ちはわからないだろうな」

「片思い、ねえ」

 つかさは長い足を組み直した。

「あるって言ったら、どうする?」

「……あるのか?」

「――12年」

「は?」

「12年、ずうっと同じ人に片思いしてるって言ったら、どうする?」

「はあ!? そんなの聞いてないぞ! 私の知ってる奴か!?」

「わたしにだって、苺ちゃんに言えないことくらいありまーす」

「はああ!?」

 合コンはそれなりに盛り上がった。それぞれの自己紹介も済ませて、十八番を歌ったり、デュエットしてみたり、ハニトー食べたり。しかし苺は、合わないノリと騒音に、すっかり疲弊してしまった。

 TOILETと書かれたプレートの下、水を流す音が響く。個室から出てきた苺は、ハンカチを咥えて手を洗った。冷たくて気持ち良い水が両手をすすぐ。濡れた手を拭くと、苺はスカートのポケットから、スマートフォンを取り出した。さて、そろそろ涼宮から連絡が届いている頃か? 苺は期待して画面を点けたが、涼宮からのメッセージは届いていなかった。廊下から響いてくる知らない誰かの笑い声が、苺をよけい虚しくさせる。底無しの闇に独り、静かに沈んでいくようだった。

「あーっ、高木さん戻ってきたあ!」

 扉を開けた途端、篠原の元気な大声が苺を襲う。マイクを通して言うようなことじゃない。苺は鼓膜が破れるかと思って、思わず耳をさすった。

「ねえねえっ、あたしもつかさちゃんみたいに苺ちゃんって呼んでもいい?」

「好きにしろ」

「やったあ! 苺ちゃん、ささっ、あたしの隣に座って! 良いものがあるんだよ」

「良いもの?」

 苺は篠原に手を引かれ、篠原とつかさの間に座らされた。そうして目の前に出されたのは、白い箱だ。白い箱からは、数本の棒が見えている。

「なんだ? これは」

「えー、これより、古より伝わる合コンの必須イベント、王様ゲームを開催しまーす!」

 王様ゲーム。ドラマや漫画の中だけのものだと思っていた。まさか現実で実際にやることがあるとは……。王様ゲームとは、「王様」あるいは「番号」が書かれたくじを全員が引いて、「王様」を引いた人は他の人達に好きに命令できるというゲームだ。

 苺は促されるまま、くじを引いた。

「俺が王様だ!」

 先程まで十八番を熱唱していた短髪の男が挙手する。

「それじゃあ……1番と2番の人がキスする、とか!?」

 やれやれ。好きでもない人とキスする羽目になった1番と2番は誰なんだ? 苺が棒の先を見ると、そこに書かれていた数字は「1」だった。そして、隣のつかさがおずおずと手を上げる。

「あの……わたし、2番です……」

「苺ちゃんとつかさちゃんがキスぅ!?」

 篠原が目を輝かせ、周囲では口笛が鳴り響き、大盛り上がりする。だがつかさは、キスはさすがに……と、言い淀んだ。苺も同じ気持ちだったが、断るつもりはなかった。何故なら、この場にいるメンバーに、高木苺はキスのひとつもできないお子ちゃまなのかと見下されるのは癪だからだ。

「フン。キスくらい、どうってことはない」

 苺は、隣に座るつかさの胸ぐらを掴んだ。

「苺ちゃん!?」

「モタモタするな、つかさ。ったく、お前は本当にノロマだな。昔からそういうところはちっとも成長しない。キスくらい、さっさとしろ」

「だ……駄目だよ苺ちゃん……!」

「早くしろ!」

「駄目だって!」

「何を恥ずかしがっているんだ。女同士なんだから、ノーカウントだろう」

 苺がつかさの耳元で囁く。

 その時、ブチっと何かが切れる音が聞こえた気がした。

「知らないからね」

「は? ……んぐっ」

 目の前が暗くなる。次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。かと思えば今度は、濡れるような感触があった。こいつ――舐めてるのか!? 唇を!? 馬鹿じゃないのか!?

 犬じゃあるまいし、舐めるな!

 そう言ってぶん殴ってやりたかったが、苺はされるがままになっていた。というのも、苺は両方の手首をつかさに拘束され、身動きができないからだ。手首が痛い。こいつ、こんなに力が強かったか? つかさが苺を痛めつけることなんて、今までありえないことだった。胸の奥に、僅かな恐怖心が生まれる。

 犬というよりもこれは、狼だ。獲物を喰らいつくそうとする、狼の目だ……。

「んんっ、つかさぁ……っ」

 無理にでも顔を背ける。やっと息が吸えると思いきや、今度は口の中になにかが侵入してきた。柔らかくて、温かい、なにかだ。

「んぐ!?」

 舌と舌が絡み合う。

 苺はたまらず、下半身を擦り合わせた。

 つかさの行為は強引かつ性急で、苺にはとても侮辱的なものに感じられた。細部まで美しく整えた仮面を無理矢理剥がされ、自分の深い部分まで暴かれているような不快感。だけど同時に、抗えないほどの快楽が襲ってくるのだ。もう、どうしたらいいのかわからない。気持ち悪いのが、気持ち良い……。

 つかさは、ちゅうっと音を立てると、名残惜しげに離れていった。ふざけるな。どうしてくれる。頭が沸騰しそうで、耳まで熱い。苺は、口の端から垂れる唾液を手の甲で拭うと、つかさを見上げ、睨んだ。

 涙ぐんだ瞳で、忌々しげに。

「なんでこんなことするんだ……! つかさ!」

 けれどつかさは、冷たい顔で苺を見下ろすだけだった。

 こんなつかさ、見たことない――。

 苺がぞっとしていると、つかさは立ち上がって、財布から紙幣を何枚か出した。

「ごめんごめん! わたし達、塾があるんだった!」

 つかさに手を引かれ、苺はカラオケボックスを後にした。

 勿論、塾の予定などない。嘘も方便とは言うが、よくもあっけらかんと嘘を吐けるものだ。苺はつかさに手を引かれて足早に歩きながら、先程のことを思い返した。ほんの一瞬だったが、連中がポカンとする顔を見た。今なら顔から火を噴くことだってできるだろう。全部全部、目の前を歩くこの馬鹿のせいだ!

 夜景へと様変わりした都会的な街並みを抜けて、歩道橋へ着いた頃、つかさはようやく歩くスピードを落とした。苺の手首はつかさに握られたままだ。いい加減、痕になりそうだ。苺が立ち止まって肩で息をすると、つかさは手を離して、同じように立ち止まった。つかさが振り向いたのを確認して、苺は呼吸を整える。

「つかさ……いいか……? よく聞け……」

「うん」

「ポメラニアンは狼にならないんだ!」

「……えっと、何のお話?」

 つかさはキョトンと小首を傾げた。

「うるさい! お前みたいな見た目詐欺女、絶対に許さないって言ってるんだ!」

「キスしたことは謝るよ。でも、苺ちゃんが悪いんだよ」

「誰もあんなっ、あんなのをしろなんて言ってないだろ!?」

「あんなのって、どんなの?」

「だから……その……舌を……」

「舌を?」

 先程のキスの感触がよみがえって、耳まで熱くなる。

 腹を立てた苺は、つかさを追い越して歩き出した。

「死ね!」

「口が悪すぎるなあ」

 つかさはのんびり歩いたが、あっという間に早歩きの苺に追いつく。というのも、おそらくコンパスの差だ。つかさは身長が高い分、足も長い。

「全部台無しだ。今頃、涼宮が私のことを攫いに来ていたはずなのに」

 つかさに聞こえないくらいの小声で、苺はつぶやく。

 だけど、どこかほっとしている自分もいた。

 自信のなかったテストの点数を見る前に、答案用紙が風に飛ばされ、川に着地して、さらさらと流されていってしまったような、そんな気分。残念なような、これでよかったような……。夜風が頬を撫でていく。苺は涙が零れそうになるのを、ぐっと堪えた。

 歩道橋を抜けて、駅の構内へ入っていく。隣を歩くつかさが、苺の手に、指をくっつけてきた。ほんの僅かに触れる程度なのに、苺はむずがゆくて居ても立ってもいられない気分になる。

「ねえ苺ちゃん、私の好きな人、知りたい?」

「は? ああそうだ。いるんだろう、お前。それなのに私にあんなキスするなんて、お前の好きな人に対しても失礼じゃないか!」

「女同士はノーカンって言ったの、苺ちゃんだもん」

「だからってなあ!」

 あんなのされたら、忘れられないだろうが……!

「ヒント寄越せ」

「うーん、甘酸っぱくて、とーっても美味しいもの、かな?」

「お前、ふざけるなよ。今更お前の好きな食べ物なんか訊くか」

「はあ……教えません、苺ちゃんには。一生ね。知らなくていいこともあるもの」

「……死んでも暴いてやる!」

「フフッ、期待しているよ」

 つかさが笑った。それだけなのに。

 どうしてこんなに顔が熱くなるんだ?

 よく晴れた星空の下、二人は同じ列車に乗って帰路に着く。つかさの隣に座って、彼女の匂いやぬくもりを確かめながら、苺は感じていた。自分の中で、何かが変わった気配を。

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ポメラニアンは狼にならない! 真木庵 @iorimakimaki

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