ツンデレ幼馴染は「勝ち確」なんかじゃないっ!

只野夢窮

本文

 ゴミ袋が力を失った手からすり抜けて、どさり、と音を立てる。

「な、なんであんたがキスしてるのよ……」

 体育館裏でキスしているのは、あたしの幼馴染の――

 力男はその野球部特有の丸刈り頭を、こちらに向けて言った。

「勝手にのぞいたのはお前だろ、それともセンコーにチクるか?」

 その後ろにいる女は顔も見たことない、地味なおさげにあたしより低身長の女だ。はっきり言ってあたしより不細工だと思うし、あと乳も平たい。それに異様にオドオドしている。オドオドしたいのは私のほうだ。


 夏休みを目前に控えて、あたしたちのクラスも部活の最後の大会や高校受験で浮足立ち始めた。けれども日常がなくなるわけじゃなくて、私は当番で体育館裏にあるゴミ捨て場にゴミを捨てに行った。放課後の差すような西日の中で、誰かと誰かがキスしてるのが見えた。体育館裏がそういうこと――告白とか――に使われるのは、私も知ってた。こんな時期に暇だねえ、と思った。影になって顔が見えなくて、覗いてからかってやろうと思って、ほんの少し近づいたらあの顔が見えて。


「だ、誰よその女……」

 自分ってこんなテレビドラマの棒読み芸能人が言うようなチープなセリフを言うんだって思った。

「聞いたらどうすんだよ」

「あ、あの……花子と言います……。二年生です……その、お二人は……」

「成美。同じクラスの三年生で、俺の幼馴染。たまたま家が隣で、家族ぐるみで付き合ってた。それだけだよ」

「そ、それだけってアンタねえ……」

 私と力男が出会ったのは五歳の時だった。駅に近く、イオンはあるぐらいの適度な田舎に、新興住宅地ができた。あまりにも整然に並んだ建売のマイホームたちを買って、たまたま隣どうしになったのがあたしたちの両親だった。同じ年の子供がいて、彼らは意気投合して、私たちはよく遊んでいた。だから、はっきりとしたイメージも、告白も、何もなくたって、ずっとそういう関係が続くものだと思ってた。今年のバレンタインチョコだってあげたのに。

「そうよ、バレンタインチョコだってあげたじゃない!」

「お前クラスの全員に配ってただろ」

「はあ!? あんたのだけ手作りなんですけど!?」

「いやわからんて」

「わかれや!」

「だいたいさあ、花子の顔を見たことないってことは野球部の試合全然応援に来てくれてないってことじゃん。花子は野球部のマネージャーで、毎試合手伝ってくれるんだぜ。それで俺の彼女面するわけ?」

「り、力男くん、そこまで言わなくても……私も影薄いし……」

「はあ? あたしにだって部活はあるんですけど」

「たった一人で大会に出るために登録した水泳部を、よく部活とか言えるよな」

「なんだとぉ!?」

「とにかく、センコーやオヤジに言いたければ言えばいいじゃねえか。それで俺が夏の大会に出られなかったらお前は満足か? だけどな、お前は俺の彼女じゃねえし、だから、花子と付き合ったって俺の自由だからな」

「……うるさいバカ」

 あんまりにも突き放すから、私は泣きながらその場を離れるしかなかった。

 あとに残ったのは気まずい空気と、ゴミ袋が二つ。

「あ、ゴミ袋、私が捨てておきますね……」

「いやいや花子には関係ないだろ、俺が捨てとくよ」

「いえ、私のせいでもありますし……」

「じゃあ、二人で捨てに行こうか」と、力男が大きいほうのゴミ袋を持った。


「なるみ、どうしたの。そんな顔して」

 泣きはらしながら帰ったから、パパとママと三人で晩御飯を食べる時にひどい顔になってたのは仕方なかった。特に目元が真っ赤っかだ。

「まさか、学校で喧嘩でもしたのか」

 パパもママも真剣そうな顔をしてあたしのことを心配してくれる。でも、話したくない。なんでかはわからない。親に言って解決することでもないし、解決してほしいわけでもない。

「ううん、なんでもないの。ごちそうさま」

 おかわりをせずに自分の部屋に引っ込む私。整理整頓されている、薄いグリーンをメインに統一された部屋、のベッドに体を叩きつける。スプリングが嫌な音を立てる。もちろんそんなことをしたところでなんかなるわけでもない。

「あああ~~~」

 うつぶせになって取りとめもなく考える。グルグルと考えが同じところを回って、一緒に天井もグルグルと回る。そりゃあ、力男が野球部に入ってからはあんまりいっしょに遊びにいけなかったけど、それは野球部の練習が土日もあるのが原因だし、夏祭りとか一緒に行ったのはあいつの中ではなんでもなかったのかな。野球部が忙しいって言って一緒に遊べないって言って、野球部の中では後輩の女に鼻の下伸ばしてたんだ。ばーか。もっと真剣に野球してるチームに負けちゃえ。

 その日は一睡もできなかった。


 次の日、同じクラスで力男と顔を合わせることになるのはよく考えれば当たり前のことで、私はどんな顔をしていいかわからなかったので、むんすと押し黙っていた。けれどもどんな顔をするべきかわかっていても、私は一晩中起きていたからどうしたってひどい顔だっただろう。幼馴染として少しは同情してくれていいんじゃないだろうか。昨日は言い方が悪かったと謝ってくれたっていいじゃないか。けれども力男は知らぬ存ぜぬで、何も引け目なんてありませんよという顔をしている。なおさら頭にくる。そっちがその気ならこっちだって完全に無視してやる。


 私が水泳の大会で負けた後も、力男のチームは勝ち進んでいた。力男は四番として沢山打っているらしかった。


 だからパパが、「明日、力男くんの試合を見に行かないか」と言ったのは、気晴らしに誘う善意なのはわかった。けど私は、堰が切れたように泣き出してしまった。慌てるパパに私は、全部を話した。力男が私のことよりも、野球部で彼女を作ったこと。キスしているのを見てしまったこと。もう力男とは会いたくもないこと。止めるママを制して、パパが力男の両親と話そうと隣家に歩いて行った。



 子供の喧嘩に親が出るなよ、というのは俺と親父で同意見だった。

 鳴海が怒っているのは俺だってバカじゃないから顔を見れば分かった。でも、それはおかしいだろ。成美は別に俺の彼女じゃないし、俺を束縛する何の権利があるんだ? なんで、俺が成美に謝らなくちゃならない。

 親父は「気にしなくていいぞ」と言った。当たり前だ。誰が気にするものか。隣近所で仲良くしているだけの家族が、そこまで本気で俺と成美が一緒になるのが当たり前だと思っていたのが怖い。ただ、いろんなところから人が来る新興住宅街で、思い違いや行き違いからくるトラブルというのは、意外と多いらしい。まさか、俺が当事者になるとは思ってなかったけど。

 俺は花子を全国大会に連れていきたい。野球部員が五十人ぐらいいるなかで、花子がなぜ俺のことを好きなのかはわからない。けど、花子はどんなに暑くても寒くても練習や試合を手伝ってくれた。俺の彼女である前に、間違いなくチームの一員だし、一度も試合を見に来ない成美なんかより、今となってはよほど大事な人だ。

 だからこんな日――決勝の前日に、眠れなくなるなんておかしいんだ。


 天気予報の言う通りのとんでもない陽射しが容赦なく照り付ける。俺たちも相手チームもダラダラと汗を流しながらアップして、休憩ごとにスポーツドリンクをがぶ飲みする。中学生の試合とはいえ、地方大会の決勝ともなればそれなりに立派な球場で、両翼91m、センター120m、観客席も一塁側と三塁側にそれぞれ百席以上はある。

 試合前のミーティング。花子がタオルとスポーツドリンクを持ってきてくれる。汗をぬぐいながら監督の話を聞く。と言っても、昨日話したことの再確認だ。相手の投手はフォークがいいからストレート一本に絞れ、とか。

 円陣を組み、試合前の挨拶をし、そして試合が始まる。観客席からの熱い声援をバックに俺たちのエースが投げる一回表。三振、ショートゴロ、三振。外野で守っている俺のところまで打球が飛んでこない。流石にいい投手だ。俺たちは名門野球部じゃないが……あいつと一緒なら、全国大会に行けるかもしれない。普段は大きな声なんてあげない花子がはしゃいでるのが外野からでも見える。まだ一回表なのに大げさだなと苦笑して、駆け足でベンチに戻る。

 俺たちの攻撃だ。一回裏、先頭打者がフォークを見逃して四球で出塁する、だけで応援席が熱狂する。俺たちよりもよほど興奮している。メイクが汗で流れ落ちた、誰かの母親も。髪が乏しくなった誰かの父親も。日本中を見渡せば、俺たちよりもうまい野球選手や、もっと見ごたえのある試合は沢山ある。でも俺たちのことを誰よりも応援してくれる人たちがいる。俺は自チームの応援席を右から左に流し見して――成美がいることを期待したのか、俺は? もちろんいるはずがないだろう。成美が試合にきたことなんて一度もなかったし、成美は俺の彼女じゃない。いったい何を期待したんだ? 試合に集中しろ。

 二番打者がバントを成功させた。相手の投手が目の色を変える。ギアを一段上げたストレートで三番打者を三球三振に切って取り、俺の出番が来る。二死二塁。初回からチャンスだ。初球をフルスイング――真横に曲がるスライダーだ。バットの先に当ててセンター定位置へのフライでスリーアウト。なるほど、フォークだけじゃなくてスライダーも一級品だ。

 そこからはどちらも得点圏にランナーを進められず、0-0の投手戦になった。外野にいる俺のところまでボールがほとんど飛んでこない。じりじりとした暑さが集中力を切らそうとしてくる。滝のような汗が滴り落ちる。ベンチに戻るたび、花子が持ってきてくれるスポーツドリンクを秒でがぶ飲みする。

 九回の表を抑えたエースが、ベンチに戻るなり倒れ込んだ。顔色は悪くないが利き足が痙攣している。花子が慌ててアイスノンを持ってくる。監督が別の投手に声をかける。本人はいけると繰り返しているがもう無理だろう。マウンドに仁王立ちする相手のエースは平然とした顔をしている――平然としているふりだ。この暑さの中、ものすごい汗をかきながら九十球も投げて、疲労していないわけがない。二番から始まる好打順。俺が打たなければならない。

 二番打者に2ストライク2ボールの平行カウントからフォークで三振。三番打者を三球ストレートでファールフライ。ネクストバッターズサークルからバッターボックスに向かう「がんばれー!」するはずのない声がした。

 応援席を見る。成美がいる。遠すぎて表情はわかりづらい。なぜ? 俺は一瞬固まってしまった。審判が、俺に早く移動するよう警告する。俺は動揺したまま従う。相手のエースはこれ幸いとストレートをポン、ポンと投げ込んできた。動揺したまま、すぐツーストライクになる。なぜだ。なぜ成美がここにいる? あんなにひどい言葉をかけたのに。違う、集中しろ。俺は花子を全国大会に連れて行くんだろ。

「ボール!」

 スライダーがやや外側に外れる。ツーストライクノーボールからは一球外すというセオリー。俺は助かった。今ストレートが来ていたら確実に空振りしていた。

 なんか腹が立ってきたな。九回裏だけやってきて、アリバイ作りか? 誰もがこの暑さの中、戦っているのに。花子は試合中ずっと忙しくしているのに。

「ボール!」

 フォークがほんの少しだけストライクゾーンの下に決まった。ほんの少しでも打ち気が俺にあれば手を出していただろう。これは成美のおかげか? お前は勝利の女神なのか? 違うだろう。違う。違ってあれ。

「ボール!」

 ストレートが明らかに高めに浮いた。動揺しているのか? ツーストライクと追い込まれてから、やや外れたスライダーにも、完璧なフォークにも手を出さない。相手からしたら不気味なのかもしれない。それなら次は完璧なストレートで来る。そうだろう。

 相手のエースがサインにうなずく。勢いよく振られる右腕。ストレートを確信して俺はフルスイングした。

 低めのストレートを、腕を畳みながら完全にとらえきった。ガキンという鈍い金属音がした一瞬、流れ落ちる汗ですら止まった。引っ張った打球がきれいな放物線を描いて左中間のスタンドにバウンドする。左右からの歓声と悲鳴。俺はゆっくりとダイアモンドを回った。サヨナラホームラン。整列。挨拶。自軍側の応援席は沸いている。空が青い。俺たちはベンチに引き上げて、監督もみんなも俺を口々に褒める。相手チームはみんな泣いている。俺自身は上の空で荷物を片付ける。俺の様子に気付いたやつもいる。一足早くロッカーに引き上げてアイシングしていたエースの田島だ。

「おい、どーした、サヨナラホームランを打ったのに、まるで負けたみたいな顔じゃねえか」

「ん、まあ、ちょっと疲れがどっと出てさ……」

「そりゃ、俺が足つったのと同じように、熱中症かもしれないぜ。よく冷やして水分とらなきゃな」

「ああ、ありがとな」

 球場を出ると、成美が先回りしていた。まるで偶然会ったかのような顔だが……汗の量からして、俺を待っていたんだろう。

「やるじゃない」

「どういう風の吹き回しだ?」

「ん、まあ、あんたの言った通りだったしね。あたしはこれまであんたの試合なんて見に来たことがなかった……部活があったからね。でも、あたしは大会で負けた。時間があったから、来ただけよ。これからは毎回あんたの試合を見に来る、約束する」

「都合がよくないか?」

「過ぎた時間は戻らない。けど、これから積み上げ直すことはできると思わない? あたしはあんたと同じ高校に行ったっていいわ。あの子は二年生だから、一年間は一緒にいられない。デートだってほとんどできないでしょうね。あたしはその間あんたと一緒にいられる」

「そんなことしたって、俺は浮気したりなんかしない」

 花子が、遠くで俺を呼ぶ声がした。

「ああ、今行く」

「次も打ちなさいよ」

「お前に言われなくてもさ」


「何を話してたんですか?」

「たいしたことじゃないさ、待ち伏せされてたんだよ」

「……全国大会が終わって力男先輩が卒業したら、いったん離れ離れになっちゃいます。でも、私も勉強頑張って、力男先輩がどんな高校に野球推薦で行っても、同じ高校に行きますから」

 花子が心配してることはわかった。成美の言う通り、二年生と三年生じゃ一年間離れ離れになる。それはとても長い時間だ。大人が言うように、一年がすぐに過ぎてしまうことなんて、あるわけがない。一日でさえ、こんなに長いのに。

「でも、よかった」

「何が?」

「とても不安だけど、私、力男先輩に思いを伝えて本当に良かった。一年間会えないとしても、それでもやっぱり我慢できなかったから」

 俺はたまらず彼女を抱きしめて、唇に――




「長い長い長い! 尺を考えてくださいよ!」

 司会の芸人が突っ込みを入れる。そう、俺は今地元ローカル局のテレビ番組に出演していて、「今オフ結婚するそうですが、どんなお相手なんですか?」と質問されたところだった。結局、全国大会では一勝もできなかったが、そこでのプレーが評価されて地元の強豪校に行った俺は、甲子園こそ出られなかったが地元球団のドラフト下位指名で高卒プロ入りし、二年間体づくりをした後の三年目に一軍デビューすると.291 7本 33点の成績を残し新人王を受賞した。そして成人したことと一軍で活躍したことを節目に、ずっと付き合っていた彼女と結婚することにしたのだった。

「これでも結構要約したつもりなんですけどね~」

「いや球団通した発表では『ずっと支えてくれた一般人』としか言ってへんのに、いきなり三角関係聞かされるとは思ってへんのよ! そうはならんやろ!」

「で、結局今回結婚されるお相手はどちらの方なんですか? それとも、まさかどちらでもないとか?」

「まさか。俺と結婚してくれるのは、ずっと支えてくれた――――――――」

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