気付いてしまったこと

 夜会の日以来、シャノンとエセルバートの関係は変わっていた。

 あからさまに無視をするわけではないが、以前のように会話を求める事はしない。

 変わらずシャノンが何かを願うと、その通りにはさせてくれる。

 けれども、以前のように微笑んでくれる事は無い。ただ機械的に、冷淡な口調で諾を告げるだけ。

 二人の関係は、契約による仮初の関係と呼ぶのに相応しいものに変わってしまっていた。

 伸ばした手が触れあう事は、なくなっていた。


 シャノンとエセルバートがすれ違いの日々を送る中、定期的に開かれている王妃様主催の園遊会の時期が近づいてきた。

 決まった時期に貴族の夫人や令嬢方、功績があった臣下の妻や娘を招いて盛大に行われる催しである。

 当初、園遊会の采配は何とシャノンに任される事になっていた。

 先だって王家に迎え入れられた王子妃に花を持たせ、王宮に馴染みやすくする為、という事ではあったが……。

 近く息子の嫁となり王太子妃となるキャロラインを通り越しての指名は、少しばかり不自然だった。

 恐らく王妃は嫁となるキャロラインの能力に対して不安を覚えていたのだろう。

 しかし、それに異を唱える者が居た。他でもない王太子ベネディクトである。

 彼はキャロラインが王宮入りしてからずっと努力を重ねていること、良くない噂を払拭する為にも、キャロラインに彼女の努力の成果を披露する機会を与えて欲しいと懇願した。

 それに折れる形で、王妃様は予定を変更し、次の園遊会はキャロラインが任される事となった。


 そして。

 キャロラインは、本日蒼玉宮の姉のもとを訪れていた。

 きちんと先触れを寄越したうえの、形式にのっとった正式な訪問である。

 園遊会での演出などの相談をさせて欲しいと言うのだ。

 蒼玉宮に姿を現わしたキャロラインは落ち着いた様子でシャノンに感謝の意を伝え、礼をとった。

 人前では姉と言えども関係を弁えるその振舞いはとても上品で洗練されていて、シャノンは妹が受けた教育を確実に自分のものにしている事を知る。

 この子はやはり、やれば出来る子だったのだと心に呟く。

 キャロラインは積極的にシャノンに質問し、シャノンは持てる知識は経験を総動員してそれに応えた。

 今までジョアンナの言いなりになって何もさせずに自分の功績で塗りつぶしてしまった事を後悔するほど、妹は成長していた。

 そしてキャロラインが方向性を無事定められた後、お互い一番の側仕えのみ残して人払いをすると、久方ぶりに二人は姉妹に戻る。

 キャロラインは、開口一番にごめんなさい、と口にした。

 呆気にとられたように目を瞬くシャノンに、キャロラインは苦笑して言う。


「……お姉様がどれだけ大変な思いをして、私の代わりに色々な事をしてくれていたのか。自分でするようになって漸くわかったから」


 いつかの夢を見て、自分で努力することもなく、ただ母の言うがままにしてきた。

 その影にどれ程の姉の尽力があったのかを知らずに、恩恵だけを受けてきた。

 人の手柄をわが物とする事を恥とも思わなかった。

 それがどれ程愚かな事だったか、身をもって思い知ったとキャロラインは哀しそうに話す。


「……ベネディクト様は、何て仰っているの……?」


 キャロラインの名声を聞きつけて妃に迎えようとした王太子。

 彼は真実を知って、何を思ったのか。

 夜会などの様子を見ると関係は冷えては居らず、寧ろ良好に見えたものだが。

 キャロラインは少しだけ困ったような、嬉しそうな、とても複雑な色を滲ませて応える。


「安心した、って……」


 その言葉を聞いて、きょとんとした表情になってしまうシャノン。

 そんな姉を見ながら、キャロラインは続ける。


「噂に聞いていたとおりの完璧な人だったら、正直気が重いと思っていた。自分と同じように出来ない事がある、ふつうの人で良かったって」


 話によると、理想の令嬢と名高いキャロラインを妃に迎える事を決めたのは、王太子ではなくその周囲であるらしい。

 完璧とすら噂される女性を妻とする事に、王太子は気が進まなかったのだと話してくれたという。

 それが本心からなのか、それともキャロラインを安心させるための優しい作り話なのかは、知る由もないけれど。

 王太子が慈悲深く、懐の深い人物であることと。

 キャロラインを好ましく思い、受け入れようとしてくれる事だけは確かに思えた。

 そして、キャロラインもまた来たる日に夫となる人に想いを寄せていることも……。

 キャロラインは頬を染め、幸せそうに微笑みながら言葉を紡いだ。


「ベネディクト様の為に、あの方の妻として恥ずかしくないように頑張りたいの……!」


 キャロラインが希望と喜びを込めて言い終えた次の瞬間だった。

 突然、侍女達の戸惑いの声があがる。

 お姉様? と心配そうなキャロラインの見つめる中、シャノンは目を見開いたまま、涙を流していた。


 羨ましい、と思ってしまったのだ。

 躊躇う事なく、夫の為に頑張りたいと、言えるのが。

 素直に、恋しい人の為……想い人の為に頑張りたいと言えるキャロラインが羨ましい、と思ったのだ。


 ああ、そうなのだ。

 私は、あの人が――エセルバートが好きなのだ、とシャノンは気付いた。

 今になって、ようやく。

 伸ばした手が触れあう事が出来なくなってしまった、今になって……。


 今はもう、少しでも通ったと思った心は、冷たい壁の向こう側。

 望んでも届かない場所にある、本当に欲しいものに気付いてしまったシャノンは、ただ静かに涙した――。


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