すれ違うこころ
震えを呼び覚ますような声音に弾かれたように振りむけば、そこにはエセルバートが居た。
シャノンの口から何故ここにと零れたのを聞いたエセルバートは、シャノンが庭園に行くといって暫く戻らないと聞いて探しにきたという。
蒼い双眸に燃え盛る暗い激情を宿して、エセルバートは一歩、また一歩とシャノンに近づいて来る。
その底知れない気迫に飲まれたように、思わず後退ってしまう。
「……兄上と、何を話していた……?」
「何を、って……」
浮かんだ疑念もあって、シャノンは先程あった事を話そうとした。
しかし、と言葉を飲み込む。
もし万が一にこの人も知らぬ事だったとしたら。この人にも秘密にされていたとしたら。
その一瞬の逡巡を見て、顔を歪めたエセルバートは呻くようにして、再び問う。
「こんなところで、二人隠れるようにして、何を」
その言葉に、シャノンはエセルバートが何を考えているのかを知る。
人目を避け、人に言えぬ会話をしていたのだと勘違いしている。
おそらく、エセルバートはシャノンとベネディクトが何かよからぬ事をしていたのだと思っているのだ。
つまりは、兄とシャノンが不貞を働いたのではないかと……。
馬鹿らしい、とシャノンの心の裡に火花が生じる。
「お話するほどの事では、ありません」
確かに状況的に迂闊だったかもしれない。
けれども、こんなにも容易く疑いをかけられた事に腹が立った。
如何に仮初の間柄といえども、今までの日々でそれなりに確かな信頼を築いてきたと思ったのに。
シャノンは顔を背けながら、努めて淡々とした声音で告げた。
しかし、それがエセルバートの中の疑念……シャノンが自分にいえない『隠し事』をしたのだという疑いを強めてしまったようだ。
視界の端に見えた、今までとは別人に思えるような苛烈な怒りの形相に、思わずシャノンは息を飲む。
思わずまた一歩後退り俯き、そのまま唇を引き結び黙ったものの、すぐに肩に痛みを感じて顔を顰める。
いたい、と裡に呟いたシャノンの耳に、叩きつけるようなエセルバートの言葉が飛び込んでくる。
「俺に言えないような事を、話していたのか……!?」
責める言葉に非難を込めて眼差しを向ける。
そこには、暗い焔のような激情を宿した双眸がある。
思わず寒気にを覚えて、全身に震えが走る。
でも、自分だってあの女性と密かに話していたくせに。
そう言いたかったけれど、言えなかった。
シャノンの口は塞がれていたのだ――エセルバートの唇によって。
口付けはしないと、約束していたのに。それが、この関係の前提の一つだったのに。
逃れようとしても、エセルバートの両の腕はシャノンを捕らえて離さない。
抗議を込めて叩いても、その抵抗すら封じ込めてしまう。
逃れられない。何処へも行けない。
苦しい、呼吸が出来ない。
吐息も何もかもが絡めとられて、奪われる。
目尻に薄っすらと涙が滲む。
脳裏が白くなっていく。ぼうっとして、何も考えられなくなっていく。
なぜ。
約束したのに、そういう決め事で始まったのに。
垣間見えた暗い焔が嫉妬に感じられるなんて、有り得ないのに。
この人が自分に対してそんな感情を抱くなんて、有り得ないのに。
透明な雫がシャノンの瞳の端に浮かんだと思えば、次々に頬を伝い、地に吸い込まれていく。
漸く顔を離したエセルバートの視線が、涙に留まる。
注意がそちら向くと僅かに抱く腕後から力が失せたのを感じ、シャノンは渾身の力を込めてエセルバートを突き飛ばす。
ようやく戻ってきた息に、肩を大きく上下させながらシャノンはその場に膝をついてしまう。
呼吸を整えようと必死になりながら見上げて先、こちらを見下ろすエセルバートと眼差しが交差する。
――酷く傷ついた少年の顔をした人が、そこに居た。
シャノンはもう幾度目かわからない、何故を心の中で呟く。
理由がない筈だ。自分に拒まれたからといって、この人が何故こんな顔をするの。
途方にくれた表情で見つめてくるシャノンに対して、エセルバートは表情から感情の色を消し去り告げた。
「……役割以上の事は求めない。だから、不貞の醜聞に繋がる事は止めてくれ」
それだけ言うと、踵を返す。
未だ言葉なく座り込んだままのシャノンへと表情を歪め一瞥すると、そのままその場から消えていってしまう。
何がどうなっているのか、わからない。
何かが崩れて落ちていく気がする。踏みしめていた大地が、崩れて、奈落に落ちていくような。
置き去りにされた事が酷く哀しくて。
向けられた眼差しが酷く辛そうに見えて。
心は様々な何故が渦巻き綯交ぜとなり、言葉の欠片すら紡ぐ事も出来ずに。
シャノンはただ、暗い夜空を仰いだ。
先程まで輝いていた月は、暗い雲に隠れて、見えなくなっていた。
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