第一部 2章 「生ける屍」001
二章 「生ける屍しかばね」
大森林に入って、三時間は歩いただろうか。迷い入ってから、そこそこの数の魔物や獣達に襲われはしたが。それが、進行に影響したのは多く見積もっても、十分あるかないかだろう。
なのでアルル。
アルル=エルセフォイ十二歳は、森に入ってから三時間の間、ずっと歩き続けている。
歩き続けているが、疲れは微塵も無い。入ってきた時と変わらない速度で、森の中を進んでいるのだ。
しかし、流石に自分の無計画さに気付いてきたのか。
「おーい! 誰かいませんかぁぁっ!」
無駄とは分かりつつも、呼んでみる。
耳を澄ませば、自分の声が微かに反響しただけだった。
ーーだよなぁ。おじいさんの所を離れて5時間か6時間位は経ったか? 午前中には出たから、もうそろそろどっか見つけないと野宿か……。まぁ、いいけど。
森の奥深くで野宿する事は、そんな苦にはならないらしく。やはりどこか緊張感に欠ける。
と、そんな時に草木が、がさっと鳴った。
音の鳴った方向に目を向けると、微かに藪や木の枝が揺れているのを確認。
しばらくそちらを注視する。
一呼吸の後に、何かが遠ざかる音がした。がさがさと。明らかに何かが、この場より離れる為に、藪や小枝をかき分けていく音が聞こえるのだ。
ーーなんだ? また魔物? いや……にしては、なんとなく雑な逃げ方だな。
アルルはその音の方向に。、その音の正体を確かめる為、走り出していた。
少し行った所で、若干開けた場所に出る。音の正体もアルルがついてきているのが分かったのか、その場所で止まった。
ーー人っぽく見えるな。木陰で分かりにくい。
「あ、あのー。失礼ですが……」
そう聞いた瞬間にちょうど夕日が、この若干開けた場所の木々の間を縫って、その人影を照らし出す。
そこにはゾンビが一体、居た。
人の形はしていたが、見るに衣服はぼろぼろ。
片方の眼窩は落ち窪んでいて、真っ黒な闇が覗いている。
所々、肉が削げ落ちていて骨が見えてる始末だ。
「ゾ、ゾンビ? ……え?」
ーーゾンビ……だよな。映画とかゲームとかで見たものと似てるような……多分? うーん、分からん。
もはや生前あっただろう性別すらも、判別ができない程のぼろぼろのゾンビであった。
ゾンビにぼろぼろというのも、それはそれで見当違い《ナンセンス》な事かもしれないが……
アルルは、人である可能性を捨てきれなかったから追ってきたが、まさかそれがゾンビだったとは。
ーーこの世界って、ほんとに何なんだろう。
そんな逡巡の間に、目の前のゾンビはぐるぐると音を鳴らして。多分、口からだと思われる。
アルルに襲い掛かってきた。
結局襲ってくるのに、何故初めにここまで来たのだろう。とか、森の中にゾンビって居るものなのか、とか。群れてないゾンビなんて、居るのか。はぐれゾンビって奴なのだろうか。などと、色々考えられる程、そのゾンビはのろのろと、アルルに襲い掛かってくるのだった。
「ふぅ……、倒せばこの人の供養になるかな」
一応、ゾンビには極力触れないように、腰のロングソードで一刀のもと斬り伏せようとアルルは思う。
のろのろと進行しているゾンビを、悠長に眺めながら。
が、その時。
ゾンビは、急に素早く地面を蹴って飛ぶ。
空中で器用に体を反転させながら、左で手刀を繰り出した。
「なっ!」
間一髪。
アルルはぎりぎりでそれを避け、バックステップで距離を取る。
ゾンビはそのまま滑空してア、ルルがいた場所に突き刺さった。
ーーな、んだ?
その後見事に体をひねって、飛んで、着地したゾンビは舌打ちをする。
したように聞こえたが、多分気のせいだろう。ーー気のせい、だよな? しかし、この世界のゾンビはこんなに早く動けるのか? すこし侮って反応が遅れた。
「あなた、結構やりマスネー」
ーーこの世界のゾンビは喋れるのかぁ……。
「へっ?」
アルルは、育ての親のハロックがかつて出したのと同じような、とても間抜けな返答をしてしまう。
「ノロノロと寄って行って、油断を誘って素早く倒す攻撃! が、破られたのは初めてですヨー」
「ゾンビが喋ってる……」
「アハー、そうデスヨネー。喋るのは珍しいでしょうネー」
ゾンビはなんとも人らしい仕草で、頬をポリポリと掻いた。皮膚がちょっと剥がれるのが見える。
「あ……、その。ゾンビ……なんですか?」
実にこれも間抜けな質問だなぁと、思いながら。つい、アルルは聞いてしまう。
「ハイ。ゾンビデス」
ーー映画で見たゾンビと、なんかえらく違うなぁ……。ぽつりと口に出すアルル。
「エッ?」
「え?」
「エッ? あなた今、何と言いマシター?」
「えっ? 何って……オレが知ってるゾンビと、えらく違うなぁと」
「イエイエ。その前デス。その前」
「え? ……その前? ……え、えいが……?」
「映画ーー!」
ゾンビが驚いている。表情の筋肉が、あらかた無くなっているので、分かり難くはあるのだが、アルルはそう感じた。
ーーん? え、映画……を知っているのか!?
「アハー! 巨大スクリーンで映し出されるものを、大勢の人が享受できる。娯楽の最たるヤツですヨネー?」
ーー知っている! ……映画を、映画館を。
「アアァ。この世界に来て初めて会いマシター。私と同じ境遇。同じ転生者トー」
結局アルルは、森の中で野宿を選択した。
そして今は、唯一持ってきていた一食分の夕食を食べ終えて、焚火を囲んでいる。
ゾンビと一緒に。ゾンビに焚火は大丈夫なのかと思ったが、アルルは思っただけに留めた。
「それで、その……オレらの、その……この状況というのは。異世界転生というもの、なの?」
「ハイ。そうだと思いマスヨー」
ゾンビは、その落ち窪んだ闇を思わせる眼窩とは裏腹に、朗らかそうに言うのだった。
「私は日本のアニメや漫画が好きすぎて、日本に住んでましたカラー。それなりに詳しい自負はありマスヨー」
「アニメや漫画って……。それに詳しいと、今の状況が分かるの?」
「エエ、エエそうデス。これはまごう事なき異世界転生デスネー。しかし……まさか自分が、ゾンビに転生するとは思っても見ませんでシタガ―。」
マ、異世界に転生するとも思ってませんでシタガ―。とゾンビは続けた。
「うーん、まぁいいか。とにかく詳しいのなら、単刀直入に聞くんだけど。オレらは元の世界。日本とかには、どうやって戻ったらいいのかな?」
「わかりまセーン」
「え?」
「エッ?」
「な……なんで?」
「わからないからデース」
「詳しいんじゃないの?」
「詳しいのは、日本のアニメや漫画の知識がデスネー」
ーーなんだこいつ。
「正直ワタシもこの世界に来て、長い事ふらふらしてましたが。今の所、皆目見当もつきまセーン」
「長い事って。ど、どのくらい……?」
「わかりまセーン。何といってもゾンビですカラー。わら。人里に入れた事がありまセーン。転生してから、日の出を数えていましたが、五十回位で数え間違えてそこから辞めまシタ―。わら」
ーーなんか腹立つなこいつ。
「戻れない……って、事は無いよね?」
「……それもわかりまセーン」
へっへっと、ゾンビは両手を合わせてゴメンねの仕草をしている。何と言っていいかが分からず、アルルは黙った。少しの沈黙。
焚火の炎は、ぱきぱきと小さな音を立てて、小さな火の粉が風に巻かれて夜の闇へと吸い込まれていく。
「その……あんたを何て呼べばいいのかな。オレはアルルで構わない。あんたの名前は?」
「そーデスネー。折角なのでアルルさんが付けて下サーイ」
「え? ……なんで?」
「現実世界の名前は隠しておくのが、ネットゲームの基本デスヨー。アルルさんと同じくネー。そして初めての転生仲間に会えた幸運を祝して、アルルさんに名付けて欲しいデース」
ーーネットゲームって……。オレは別に隠している訳じゃ……。転生仲間?
「う、うん。まぁそういうことなら。……うーん。じゃあ、
「ダセーな」
「えっ?」
「イエイエ、リヴィン。いいでスネー。今日からワタシは、リヴィンで通しマスヨー。アハハ」
ゾンビは空笑いをしている。笑うゾンビは、それはそれで不気味ではあった。
ーーなんだこいつ。
アルルも一応、空笑いをしてみる。
「その……リヴィン、は……これからどうするつもりなの?」
「この世界を隈なく調べてみたいデスネー」
夢にまで見た転生デスシー、そんな事を言うのだ。
「帰りたいとかないの? 故郷に……。オレは帰りたい。どうしても帰らなくてはいけないんだ」
「なるほどぉ。理由は……まぁ、野暮ですカネー。フムフムー」
一呼吸おいて、リヴィンは続けた。
「アルルさんは、ウィンドウってご存知デス?」
「……窓?」
「プフッ。――イエイエ。これデース」
リヴィンはアルルに右手、――今にも腐って落ちそうな握り拳を向け、小指を立てた。そして、その手をそのまま内側にくるっと捻る。
ちょうど指切りでもするみたいな形になった。なっただけだったが。
「……え? それが何?」
「オ? オーウ……なるほど。これは他人には見えない仕様か。なるほどなるほど。ーーいいデスカ、アルルさん。今のワタシの動作を、ウィンドウと頭の中で念じて真似してみて下サーイ」
「ん? ……今のをウィンドウって念じて? ……念じる?」
やってみたらウィンドウが出た。小さい、窓が出た。小指に沿って、四角い何かが出たのだ。
「うおっ……な、なんだこれ……」
「ステータスウィンドウですよ。あ……えーと。自分の事が解る、不思議な窓デース」
その不思議な窓の中には、文字がずらっと並んでいる。
種族:人間。クラス:見習い魔法剣士。天与賜物ギフト:亡国の英雄。
「な、なにこれ……?」
「ワタシも発見したときは、爆笑しまシタ―。いえね、何かしらの転生したという印が、何処かにあるはずだと私は睨んでいたんですよ。例えば、ボインな女神や神が、そもそも最初に現れてこなかったですし。これは恐らく、説明無しの転生系だと思い。身振り手振りで、何かのスイッチがあるはずと思い、試すこと千二百五十六回。やっとこれを見つけたのです。他にも色々試したけど、発見したのは今の所これだけだけど、すごくない? アハハー」
一気に捲し立て喋ったリヴィンは、生き生きとしていた。ゾンビなのに生き生きとは、それなりに皮肉が効いている。
ーー日の出は五十回で断念したのに、これは数えられたのか。と、アルルは思ったが思っただけにする。
「その……つまり、どういう事?」
「どうもこうもないデスヨー。それだけデース」
「はっ?」
ーー殴ろうかな。
「待って待ってアルルさん。手を下げて下サーイ。冗談デス。冗談……テヘッ」
アルルは、手を握り拳の形にして、振りかぶってしまっていた。
それをリヴィンは、慌ててかわい子ぶる様に、笑って見せる。ボロボロの表情筋では、いまいち伝わりはしないが。
「エート、つまりこの世界はゲームの中の可能性がありマース」
「ゲームの中?」
「しかし正直、ウィンドウが出る世界なだけという可能性もありマース。魔法とかあるようですし、魔物やゾンビもいたら、もはや我々の知っている世界の物理法則は関係ありまセーン」
「何を言ってるのか全然分からない……ゲームの中なの?」
「ワタシもそこら辺の考察は色々してきまシタ―。しかしですね……」
「しかし……?」
「やっぱり分からないんデスヨー。ある程度のワタシの異世界転生知識は、そこそこ通用しそうですガネー。この世界が何なのか。私達は何なのか。……アルルさんは元の世界に居た時は知ってましたか? 地球が何なのか。何の為に私たちは存在したのか」
言葉に詰まる。
誰もが一度は考えた事がある、自身の存在理由と世界の在る意味。しかし、分からないから結局、端に置いて普通の生活を送っていく。そのうちに忘れる。それを思い出すのだ。
リヴィンの言葉によって。
「今分かっているのは、ウィンドウが出て。魔物がいて。ゾンビがいる。……それだけなんデース。可能性で言えば、いくらでも何でもこじつけは出来マース。悪魔の証明デース。無いものを証明することは非常に難しい。今の段階は……」
「そうか……その。ゴメン」
結局、同じ境遇の者同士。分からないものは解らないというのが、分かっただけである。
「……アルルさん。そんなに落ち込まないで下サーイ。逆に今は、どんな可能性もあるという事ですカラー。帰る方法が無いという証明もまた、今は無理なのですヨー」
「……そっか。そうだな。リヴィンは、良い奴……だね」
いやははっ、とリヴィンはちょっと照れているのかいないのか。焚火に枯れ木を放り投げた。
「そういえばリヴィンって、外国人なんだよね? このウィンドウの文字って、何語になってるの?」
「オオ、それワタシも気になってマシター。ワタシのは我が母国語に見えマース。しかし、日本語に頭を切り替えると、日本語にも見えてきマース」
「オレは日本語にしか見えないけど……と、すると。オレらは今、何語で話してるのかな?」
「多分ですが……。この世界の共通語のナントカ語で話しているのデース。多分」
「勉強してないのに? オレは何となく周りが認識できるようになった時には、もう言葉を話せて、人の言っている意味が分かったんだ」
ーーそして二歳で話をしてしまって、おじいさんをビックリさせてしまった。
「アハー、頭の中の認識が変換されて、自動で出力されているのか、認識した事をそう感じているからそう思っているだけなのか……それだと。うーん……面白っ!」
途中から尻切れトンボで、リヴィンはごにょごにょ言い出す。
「リヴィンのその口調って……その。何かの真似とかなんかなの?」
ちょくちょく気になったので、単刀直入に聞いてみた。
「オットー。これはただのキャラ作りでスヨー。ハッハッハ。異世界転生したからには、ちょっとでもキャラを付けたいじゃないでスカ―」
アルルは、面倒くさっ。と、思ったが思うだけに留めた。
焚火は煌々と燃えている。
それに照らされるリヴィンは、今やもうそんなに不気味には映らなくなっていた。
ーー何を考えているかは全然分かんないけど。……同じ境遇の仲間か。ふふっ……。
アルルはこの世界に来て、初めて笑う。それはほぼ、無意識で自然に
「リヴィンって結局、性別は男なの? 女なの?」
「ワーオ。アルルさん。そこは秘密にしときマース。このミステリアスが、後の伏線になるかもしれまセーン」
ーー面倒くさっ。
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