第一部 1章 「亡国の英雄」004



 アルル=エルセフォイは十二歳になった。


 育った生家から、少し離れた場所にアルルは来ている。丁度、霊峰シヴィルオが見渡せる切り立った崖の上。そこに積まれた石の前に来ていた。(人の頭位もある大きさの石が、三つ程縦に積まれている)

 そんな石の前で、膝をつき手を合わせていた。


 墓石である。碑銘はうたれてはいない。それに手を合わせ、アルルは目を瞑り黙祷をしている。

 墓石に手を合わせる風習が、このアルゼリア地方には無い。が、アルルは元いた世界の風習で手を合わせてしまうのだ。


「おじいさん。ようやく墓を建てれる運びになりました。遅くなって申し訳ございません」


 静かに手を合わせる、少年の黙祷は深く。

 いたんでいる。

 おじいさんが安らかであるように。深く静かに、現世の痛みをどうか忘れて貰えるように。

 アルル=エルセフォイは両手を合わせて、祈りを捧げた。


 ハロック=エルセフォイがこの世を去ったのは、アルルが九歳になったばかり。

 突然の事であった。今思えば若干の異変はあったのかもしれない。

 しかし、アルルにしてみれば突然の事だが。ハロック本人にしてみれば、覚悟はできていたので、早いか遅いかの違いでしかなかった。


 いつかは誰かが経験する。そんな当たり前の行事を、アルルはただその時に経験しただけの事だ。


「アリアはどこかに行ってしまいました。どこに行ったのか……。彼女のお陰で、なんとかこの山の浄化は終わりました。とても助かりましたが……うーん。どこに行ったのだろう。おじいさんを紹介したかったのにな……」

 

 アルルは九歳から十二歳に至る三年間。それは、長い戦いの三年間であった。

 ハロックが浄化で抑えていた悪霊が、亡くなると同時に死霊霊王しりょうれいおうーーエビルロードの顕現けんげんを引き起こし。

 それの浄化を、アルルは引き継がざるを得なくなった。

 それをアシストしてくれたのが、アリアである。

 弓使いの女ハーフエルフ。アルアルア・アリア=ビュッセンであった。


 しかしアリアは、アルルが死霊霊王しりょうれいおうを倒してすぐに、アルルの元から去ってしまう。

 三年をかけたその戦いに、一番近くでアルルを補佐してくれていたのだが。弓使いのアルアルア・アリア=ビュッセンは、静かにいなくなっていた。

 アルルには、その理由は分からない。

 分からない謎のままに、アルアルア・アリア=ビュッセンはアルルの前から姿を消した。

 ーーそれはそれでしょうがない。こうなることは分かっていた。と、アルルはそう思うことにする。

 何につけて自分の事は語らない女であったから、アルルも特に気にはしなかった。



「遺言は果たしました。オレは今から旅に向かいます。どうぞおじいさん。見守ってくれると嬉しいです」

 この世に生まれた時は確かに焦ったし。ーーどこも何かも分からなったから。

 結婚式のあの日から、気づいたらこの世界だったから。

 ーー今でも本当に、よくは分かってないけれど。

 分からないなら分からないなりに、急がず慌てず。今を見極めろと、教えてくれたのがハロック=エルセフォイその人であった。確かな愛情を持って、接してくれていた事を、アルルは知っている。


 アルルという名前も、最初は受け入れられるものではなかった。日本での三十二年間培った本名があったわけだし、いきなりその記憶を持って、アルルであると言われても許容しにくかったのだ。

 ーー三十二年間の記憶を持って、いきなり良く分からない世界に来て。誰かを家族と、見なせるものなのだろうか。分からなかったけど……


 しかし、ハロックの事は年を追って好きになっていった。実際、一緒に過ごしていたのは九年弱という所。

 

 ーーおじいさんが名付けてくれたアルル=エルセフォイ、という名前。

 アルルは、ハロックとの数年を思い出す。


 ーー本当によく分からない、この世界だけど。

 それは、心を暖かくしてくれる。


 ーーこの名前を。……名乗っていきます。

 立ち上がって、膝の泥を払う。少しの伸びをして、空を見上げた。


 アルル=エルセフォイ。おじいさんを感じれるこの名前は、もはやアルルにとって悪いものではなくなっていたのだ。


「では、行ってきます」

 颯爽とハロックのお墓を背に、この十二年間育った山を後にした。

 とはいえ、特に何処を目指すということは無いのだけれど。生前にハロックは、自分に何かあればアルゼリア公国を頼れと言っていたのだったが、死霊霊王しりょうれいおうとの三年間のあれやこれで、アルルはすっかり忘れていた。

 アルゼリア公国とはまったく真逆の道を、アルルは歩き始めてしまう。

 

 雪の山を南下してすぐに、ちょっとした平原が顔を覗かせた。

 ーーあぁ。おじいさんが言っていた通りだ。

 雪山を降りると、そこは雪の積もらないただの平原と遠くに見える大森林。

 雪が積もる所がアルゼリア公国の領地で、雪が途絶えた所からまた別の領地になる。

 国同士の取り決めによれば、ここからはリン・ダート共和国連邦預かりの土地のはずだった。

 特に整備されているという風はあまり見えないし、人が生活している痕跡も認められない。


 ーー周辺の地理は、何となく頭には入れてきたけど。一応教科書にはここら辺に遊牧民が多少いたはずなんだけどな……。特に何も見当たらない。

 おじいさんから貰った地図を広げつつ、アルルは首を傾げる。

 ーー日が沈む前には、何処か人里に着きたいんだけど……。この地図もどこまであてにしていいものやら。この地図ってなんか見た事あるんだよなぁ。……まぁ、なんでもいいか。とにかく人里を目指そう。

 地図を器用にくるくると丸めて、背負うリュックサックに押し込む。

 

 アルルの装備は、いわゆる軽装の部類であった。

 まだ十二歳には大きそうな胸当てに、腰にはロングソード。若干地面をロングソードの鞘はずっているが。

 リュックサックには、最低限の着替えと寝袋をしまっている。

 ハロックから生前、旅に行くときに持って行けと言われた金貨が二百枚。皮の巾着袋に入れて、リュックの奥底に仕舞っておく。

 ――この金貨の貨幣価値は、幾らになるんだろう。正直そこら辺はまだ、いまいち良くは分かってないんだよな。


 ハロックに一人旅のあれやこれは教わってはいるのだが。

 今一つ緊張感と経験に欠けたアルルは、人里を目指そうとして平原の奥。

 眼前の、見渡す限りの大森林に歩を進めていった。

 自殺志願者のように迷いなく迷って、その広大な森に入って行くのだ。


 リン・ダート共和国連邦の加盟している国々が、開拓を進めたくても進められない、いわく付きのその大森林に。アルルは、迷い込んでしまったのである。



 入って早々に、猪種のブルボウに遭遇戦闘エンカウントした。

 これは因果改変:誘致のバッドステータスが働いた為だろう。

 興奮しきったブルボウは、荒い鼻息と共にアルルへ一直線に突撃。――と、思ったがアルルは片手でブルボウの鼻をつかんで、突撃を止めた。

 進むも退くもできずに、ブルボウは苦しそうに踠いている。


「どうしよう。……今はお腹は空いてないんだよなぁ。無駄に殺すのはしたくないんだけど」

 ――手を放しても、きっとまた攻撃してくるんだろうなぁ。

 アルルは狩猟に関しては、天才的によく獲物を見つけられる。否、向こうからやってくるのだ。


 因果改変:誘致のせいではあるのだが、アルルは自身の能力を知らない。

 食べきれないほど狩ってしまって、よくハロックに怒られた。

 狩りたくて狩ったというよりは、次々にアルルを襲って来るのだから、止む無く狩ってしまっただけなのだが。

 それとは別に、アルルは獣や魔物に特に恐怖を感じない自分を不思議に思っていた。ーーよく分からない世界に居すぎて、恐怖心というものが麻痺してしまったのかな。程度に思っている。

 しかしそれは、単純にアルルのレベルが桁違いになってしまっていて、低レベルの者に対する畏怖を、感じないだけなのだった。


「ていっ」

 やさしく、ブルボウの(ブルボウにとっては優しくはないが)脳を揺らすような掌底を下顎に当てた。

 白目をむいて、ブルボウはその場に倒れる。

「ごめんね」そう言い残し、さらに奥へとアルルは進む。

 獣を気絶させても、結局は保護しなければその後、違う獣の糧になる可能性は高く。

 この行為に意味があるのかないのか。アルルは考えてはいない。


 その後も、獣や魔物をちょくちょく倒したり、気絶させたりしながらどんどんと森の奥へと進んでいく。

 素手で。腰のロングソードを抜いたりせずに、アルルは進んでいる。

 因果改変:誘致の効力は四方3㎞程。その中でも敵意を持った相手に限定される。

 異変を感じた獣は、出来るだけ遠くに。敵意を喪失した魔物は、息を潜ませ、何かが通り過ぎるのをじっと待つ。

 そのような有様であるから、アルルの道を阻むものは一応の終息を見た。

 ほんの少しの間ではあろうが。

 


 程なくしてアルルは、のちに長く長く一緒に苦楽を共にする友人と出会う。

 この世界で初めての友人と呼べる相手と。

 人の手が入らない森の奥地で、アルルと同じく迷って遭難しているらしいその者と。

 アルルと同じく異世界に転生した者と。

 

 アルルは出会う。


 森の奥で。


 ゾンビと。

 生ける屍とアルルは出会った。

 異世界転生しちゃったらゾンビだったゾンビに、アルルは出会ってしまうのだ。


 そして英雄らしく、エルフの国を救ってしまう。

 因果に絡めとられ、気付いたら救ってしまうのだ


 だが、まだそんな事になるとは、思ってもみないアルルは。

 ――森に入ったのって失敗だったかなぁ。

 なんて悠長に思っていただけであった。

 

 

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