第5話


「なんということであるか……ああ、なんということであるかぁあああ!」


 ダァン! と、魔神官シーン・ハイがテーブルを叩いた。

 でっぷりと太ったオークの腕が、テーブルをめぎぃっと割ってしまう。


「誇りある魔王軍幹部が、こんなにも、こんなにも腐敗していたとは! おお嘆かわしいのである、腹立たしいのである、それもこれもニンゲン共が悪いのであぁあるッ!!」


 暴れまわるシーン・ハイ。無理もない、仲間である幹部7人のうち5人が崇拝する魔王様を裏切っていたのだから。


「ぬぅう、どうするどうするどうする……! このままでは魔王軍崩壊の危機である!」

「新たに将軍を選抜し、幹部に加えるしかないでしょう」

「そっ、そうであるな! では、早速候補を見繕うのである」


 ぷひぃー、ぷひぃー、と荒げた息を整えるシーン・ハイ。


「その前に……シーン殿。貴方は……貴方も大丈夫でしょうか?」

「む? なんのことである?」

「いいえ。これほど裏切者が居たのです。シーン殿も裏切ってはいないか、と」

「……この我を、魔王様を信仰する我を、疑うというのであるか? リー殿?」


 静かな怒りを燃やし、目を赤く光らせ威圧するシーン・ハイ。


「落ち着いてください。私も不安なだけです。なにせ魔王軍7幹部のうち5人が裏切っていたわけですから」

「……それを言うなら、リー殿も疑うことになるのであるぞ!」

「ええ。勿論です。私も魔王様への忠誠を再度示す必要がある、と、考えています」

「当然である。魔族の神、魔王様を疑う事は――魔族にあってはならぬこと。魔王様こそが唯一の神である!」


 両手を掲げて天を仰ぐシーン・ハイ。それは魔王への信仰を示すポーズだ。


「しかし、しかしですよ。実は私、とある噂を聞いたのです」

「噂?」

「はい。シーン殿。貴方が、ニンゲンを匿っている、と……」

「なっ……何をバカな。我がニンゲンを? 冗談はよすのである」

「――戦災孤児院」

「ッ」


 シーン・ハイが反応した。その反応を、リー・ウラギは見逃さない。


「魔王軍に滅ぼされた村。そこに取り残された子ども――」

「ち、ちが……っ、違うのである!」

「魔神官シーン殿は、随分とお優しい」

「あ、あ、あやつらは、魔王様を信仰している! 故に、ニンゲンであろうが魔族の仲間なのである!!」


 ぶるん! と太った体を震わせて反論するシーン・ハイ。


「おやおや。ではこちらはどうしましょうか。その、子どもがもっていた聖印です」

「……ッ!!」


 ぽい、と床に放り投げられたのは。

 シーン・ハイが保護した子の一人が大事にもっていたはずの、親の形見。光神教の聖印であった。


「こ、これをどこで……」

「……さぁて。しかし魔王様を信仰する貴方であれば、このような聖印、踏みにじることもできるでしょう?」

「ほ、ほう! 我、魔神官シーン・ハイに魔王様への信仰を示せと!」

「ええ。どうぞその邪教の聖印を踏みにじってください」

「ふんっ、その程度造作もない。簡単なことである!」


 そう言って、シーン・ハイは足を上げ、聖印を踏みつけ――


   ――……しんかんさま、これ、おかーさんの、かたみなの……――


 ――足が、固まった。


「な、なぜ……わ、我の足よ、なぜ動かぬ……!?」

「どうしたのです、シーン殿? 邪教の聖印を踏めぬと?」

「い、いや。そんなことはない。直ぐ踏みにじってくれる」

「ああ、勿論貴方が踏みにじった後は、責任を持って処分いたします故」

「……処分、か。邪教の聖印だ、当然であるな」

「ええ、溶かして、ニンゲンを殺す武器にでもいたしましょう」

「ハハハ、それは傑作なのである」


 しかし、シーン・ハイの足は動かない。下ろせない。

 この聖印を大事に持っていたニンゲンの子の、寂しそうな笑顔が頭にちらついてしまう。


   ――……しんかんさま、いいの……?

    ……ああ。絶対に秘密にするのであるぞ?……――


 コッソリ所持することを許してしまった自分。

 唯一の形見を手に、笑顔を浮かべるニンゲンの子。


「くっ……!」

「どうしました? さぁ、さあ! 魔王様への忠誠を示すのです!!」

「ぐ、ぐぅううう!!!」


 ダン!! と足を踏み下ろすシーン・ハイ。


 ……しかし、その足は聖印を踏み外していた。


「う……ぐっ、くそ……! わ、我はっ、魔神官ッ! 魔王様を唯一神と崇める魔王教の! 最高神官である! このような、邪教の聖印など!!」


 ダン、ダン、ダン! とただ床を、聖印を避けて床を踏みつけるシーン・ハイ。

 踏めない。魔王と敵対する、勇者を称える光神教の聖印が。どうしても。



「もう良い」

「……魔王、様……」


 魔王がシーン・ハイを止める。


「魔王様。ご覧の通り、シーン殿も……魔王様を裏切っていたようでございます」

「構わぬ。シーンは昔から心優しき雄であった。聖印が踏めぬのではない、そこに込められた想いが踏めぬだけよ」

「し、しかし魔王様! その聖印は、ニンゲンの幼体のもの! つまり、シーンはニンゲンの味方をするという事でございます!」

「……ああ、リー殿の言う通りである。我は、魔神官失格である……」



 ――魔神官、シーン・ハイ。彼は、優しすぎた。

 その優しさは、魔族のみならず、敵であるはずのニンゲンにすら……



 丁度、ウシャ・ナイツを牢屋に叩き込んで兵士が戻ってきた。


「おいっ! 我は……背信者である! 牢屋へ案内するのである!」

「えっ? ちょ、魔神官様!?」


 帰ってきたばかりの兵に、シーン・ハイは自らそう言った。


「シーンよ……」

「止めないでくだされ魔王様。……これはけじめである。我は、我は魔王様より、子供たちの笑顔を優先してしまったのである。ニンゲンに同情してしまうなど、明確な裏切りである。……ただ、ひとつ頼みがあるのである、できれば」

「よかろう。その聖印は、子に返しておく」

「……ふふ、ありがとうございます、魔王様」


 最後に、両手を掲げて天を仰ぐシーン・ハイ。

 それは魔王への信仰を示すポーズだった。


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