第8話

 島田らはせまい図書館の大テーブルで、坪田教授が話しはじめるのを待っていた。

 洒落た天窓から灰色の日の光が差し込み、この小さな図書館全体は、電灯が点いているにも関わらず、あまりにも暗くて陰険いんけんなものと化していた。内部の面積にふさわしくない大量の本棚が、今にも自分たちにのしかかってきそうである。というより、彼の心象がそのように感じたのだ。坪田教授は金縁きんぶちの丸眼鏡から、なにか本質を見極めているかのように、学生たちそれぞれの目をじっと覗いていて、奇妙にも島田にたびたび博識そうな鋭い視線を投げかけた。

「文彦君、君は文芸部かラヴクラフト研究会に所属しているね」

 これが、坪田教授の第一声である。

 島田はこの教授がいかなる手法を用いて、その結論に至ったのか、ちっとも予測できなかった。もしかしたら、事前情報でそのことを知っていたという可能性もある。それにしても、教授は「文芸部かラヴクラフト研究会」のどちらかだといっており、さらにはラヴクラフト研究会がメジャーでないことも考えると、どちらの部活かおぼえていないのはおかしい。

「それでいて、僕のファンのようだね」

「……なんで、わかるんです、か」

「荒井君と西村君がここに来るまでに、君はすでに集合時間より十五分はやく待っていた。そして、本棚から僕の文庫本ばかり取り出しているところを見て、君が僕のファンだとわかったよ。直接僕に話しかければいいのに、君はそうすることが、はずかしかったんだね。だから、それはいよいよ確信に至った。それから、部活についてだが、これは推測にすぎないよ。まず最初に、君が椅子いすに坐ったり、立ったりしているのは、君がこれからのことにそわそわしているからだと思った。本を持つ手も小刻みにふるえていてからだ。しかし、しばらく観察していると、君は立ったままで、集中して本を読むようになった。これは君が腰痛に悩まされているからではなかろうか。そして、二人が来てからも、僕は観察する姿勢に徹していた。すると、なかなか僕がしゃべらないことに、当然君たちは困惑していたが、本を閉まった君はほんの少し腰を浮かせて、前傾姿勢にならないように背筋をのばしていた。腰痛はこれで確かなものとなった」

 ここで、坪田教授は一息入れた。しばらく島田の反応をうかがってから、ふたたび話しはじめた。

「であるから、その原因として文章――それも長文――を書くのが君の趣味なのではないかと考えたのだよ。僕の書くような評論を読むのだから、特に小説や評論みたいなものを書いているのかもしれない、とね。ただし、この場合は勉強時間が長いから、という可能性もあったから、がいしてすべて推測の域を出ないがね。なんにせよ、さらに観察をつづけていたんだが、新しい発見がないものだから、君に問いかけてみたんだ。その反応を見るかぎり、どうやら当たりのようだね」

 坪田教授の推理は魔法のように見えて、実は小さな解釈の積み重ねで出来ているとわかると、その意外性と単純さに頭がくらくらした。ここまで普通のことだが、出来る人は依然としぼられてくるものである。「さて、僕がこの集まりを知ったのは、本当は一ヶ月ほど前のことでね。それまで安田道夫君がなぜ有名かも知らなかった。ところが、最近ある事情があって、彼について調べる必要が出てきたのだよ。そこで、このような会――非公式だがなかば公認――の存在を、ほかの教授におしえてもらったんだが、このメンバーを選んでいるのが、誰なのかを知っている人がいなかった。まさに森沢大学の闇としかいいようがない。わかったことといえば、この会は自主参加が基本だが、希望する人がいなければ、安田と面識がある者の中からランダムで選ばれること。そして、教師がどういうわけかひとり以上、メンバーに入ることだな。実際、僕が入ろうとしたら、ほかの教授も希望したから説得するのが大変だったよ」

「で、本当の目的はなんだったんですか」

「安田を連れ戻すことらしい」

 ここで、突然図書館の静けさが、暮夜ぼやの深まりに似ていたために、島田と坪田教授は顔を見合わせた。原因はなにであろうか。そう思ってから、島田は、荒井と西村が言葉を一度も発していないことに気付いた。喧嘩でもしているのであろうか――この楽観視が、彼の事件に対する解釈を誤導ごどうさせたのはいうまでもなかった。

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