第3話 不安は商機

 一日の始まりを告げる朝日が照らし始めた。その光を反射した湖はまるで宝石のように輝き始める。

 ガルグノス王国の外れに広がった森、その最奥には喧騒から外れたように悠々とした湖が鎮座している。またこの湖は普通のそれとは違く、精霊がもたらす魔力によって湖とその周辺の草木には神秘的な生命力が溢れていた。


 湖の麓に建てられた小屋の中では、ヨウが椅子に座りガサガサと新聞を広げて、じっくり文字に目を通していた。

 そこに小屋の扉を開けて呆れたような複雑な顔をした湖の精霊がやってくる。精霊は十二歳程の髪の長い少女の見てくれなのだがこれでも年齢は千を超えるほどだ。

 ヨウが精霊に気づいて目を合わせると、精霊は口を開いた。


「……戻ってきたということはお主の商売の話も終わったのじゃな」

「そうなんだよ! もうちょっと引っ張れると思ったんだけどな。せめて在庫は捌きたかったが」

「今度は何があったんじゃ? まさか今回も自分でエモノを倒したからなんて言わんじゃろうな」

「いや、俺から行ったわけじゃないんだぜ? 向こうから来たから仕方なく倒したんだよ。だからちょっと居させて貰うよ、ニカル様」

「はぁ……。全く、世話が焼けるのうお主は」


 精霊ニカルは無造作にドサッとベッドに腰掛けた。


「お主は今何をしておる」

「時勢を見てんのよ。今この世界は、魔族をまとめあげていた魔王がいなくなって近頃の魔族は大混乱、それによって魔物が好き勝手暴れだしたから人間も大混乱、ついでにクリードが死んでガルグノスも大混乱だ。面白いことになってきてるぜ」

「ほとんどお主のせいではないか?」

「冗談よせよ! 魔王もクリードも俺に殺されたからこうなったんだろ? つまりそいつらが俺より弱かったのが原因だっての」


 と言ったところでヨウは椅子から立ち上がった。そして丸めた新聞紙を自分の手で軽くパタパタと叩く。


「それよりも、だ。こんなに世の中が荒れてるのはイイコトなんだぜ? 不安を煽った方が商品は売れるんだ。盗賊に襲われる不安から護身用の剣を買うみてーにな。世の中がこうじゃ不安がちになった人間が腐るほどいる、これはすなわち商機が山ほどあるってことだ!」

「知らんが、喜ばしいことなのかの?」

「当然だろ? この新聞ひとつからでも金を稼げそうな話が転がりまくってる。商人にとってこれほど嬉しいことはねーな」

「……変わったのう」とニカルは目を伏せて言う。


 ニカルはまだヨウが駆け出しの勇者だった時に魔力の基礎を叩き込んだ、言わば師匠にあたる存在だ。

 当時のヨウは魔力が存分に使えないことに悩んでおり、その時に森の奥にある湖の水を浴びれば魔力を貰えるという噂を聞いた。だがその森はニカルの敷いた結界によって湖に辿り着けなくなっており、森の中で迷った末に外に出てしまうようになっていた。

 しかしヨウは諦めずに突き進んだのだ。日が暮れて追い返されようが何度でも挑戦し続け、その姿勢がニカルの興味を引いた。その時の彼と今目の前にいる彼を見比べてニカルは軽くため息をつく。


「出会った時のお主は目を輝かせて、それはもう世界を救う決意と慈愛に溢れとった。あの頃のお主はまだまだ未熟じゃったがそれでも期待に胸が躍ったものよ」

「いつの話してんだよ。ニカル様と出会った時って言うと、この世界に来て二、三年辺りか。そっから魔王をぶっ倒して二年も立ってんだぜ? 人は変わるもんだよ」

「一丁前にものを言えるようにはなったんじゃな。じゃが背丈が大きくなった割には、昔のお主の方が生きる活力に溢れとった」

「やめてくれよ。あの時の俺は騙されたことにも気づかねーで英雄になるつもりでいたただのバカだぜ」

「……。お主は英雄じゃよ」


 ヨウは「フッ」と鼻で笑った。

 そして彼はニカルに見せつけるように新聞を広げると、ある記事に指を差す。


「これ見てくれよ。ホールデニア国近くのエルフの小国が他国の侵攻を受けてるらしい。小国と仲がいいホールデニアは援軍を送ったみたいだな。ここで商売をする」

「ほほう。お主はどの勢力の味方につくつもりじゃ?」

「味方なんて、そりゃ金に決まってるだろ? 何せ一番信用できるからな。さて、商品の仕入れと準備と移動の間にエルフの国が滅ぼされてなきゃいいんだがな」


 そう言うとヨウは新聞紙を机に置き、準備のためにそそくさと白金の鎧を装着し始めた。そのカチャカチャという音の中でニカルは話しかける。


「おい、ヨウ」

「なに?」

「お主は人は変わるものだと言ったな。それは間違っておらん。じゃが変われるというのなら戻ることも出来るとわしは信じておるよ。わしはあの頃のお主の輝かしい瞳が好きじゃった」

「え? 愛の告白?」とヨウは茶化す。

「バカ言え。年下はじゃないわ」

「見た目ガキのくせに……」

「ガキはお主の方じゃろうて」


 そうして話しているうちにヨウは聖剣を腰に差して準備を終えた。


「ヨウ。また失敗でもなんでもしたら戻ってこい。半ベソかこうがわしは迎え入れるでな」

「俺をなんだと思ってんだよ! これでも魔王倒してきてんだぜ?」

「ははっ! そうじゃったな」


 ニカルはその小さな口でクスリと笑った。

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