13 Realität





 目を開けると、俺は膝を抱えてフローリングに座っていた。

 隣にあるデスクは無機質なスチール製で、卓上にはパソコンとタブレットが置かれている。

 カーテンが、そよ風に吹かれてはためいた。

 俺は、ぼんやりとした視界と頭で、ここが類の部屋であることを理解しはじめた。


「目が覚めたか、望月」


 背後から声がかかった。

 振り返ると、類がベッドに仰向けになっていて、顔だけで俺の方を向いていた。


「ずいぶんうなされてたみたいだけど、大丈夫かい?」


 言われてみれば、嫌な汗をびっしょりとかいていた。

 息が荒い。

 口が渇く。

 心臓も、いつもより早鐘を叩いている。


「ああ大丈夫だ」

「嘘をつくんじゃない。声が震えてる」


 やっぱり気付かれるか。

 どうやら類に隠し事はできないらしい。

 それぐらい予想していたのに、反射的に、大丈夫、と答えてしまった。

 俺の悪い癖かもしれない。


「……実は、その……嫌な夢を見て」


「どんな?」


「……沙羅が、殺される一部始終だ」


 俺の脳裏には、いまだ夢で見た沙羅の死に際がこびりついていた。

 断末魔が耳の奥を渦巻く。

 目を閉じても、耳を塞いでも、逃れることはできない。


「まあ、昨日はいろんなことがあったからね。悪夢を見ても仕方がない」


「そうだな」


 昨日はいろんなことがあった。

 とうとう沙羅の仇を見つけ、彼女の操り人形になったつもりでライフルを構えた。

 心臓に風穴を開けてやろうと思った。

 思ったのに、類に笑われ、歌声に諭され、復讐を果たすという覚悟すら揺らいでしまった。

 それに……


 俺は慄然として立ち上がった。


「ってかお前、身体は大丈夫なのか!?昨日、血を吐いて――」


「君が心配する必要はないよ」


 穏やかに微笑む類。

 でも、嘘でも大丈夫とは言ってくれない。

 優しいけれど、俺を突き放すような言い回しだった。


「必要ないって……んなこと言われても、心配になるだろ」

「どうして?」

「……どうしても何も、人として当たり前だろ?」

「いや、君は死神じゃないか」

「そんなの名前だけだ。俺がつけたもんでもねぇし」

「今は堂々と『俺は望月の死神だー!』って名乗ってるじゃないか」

「んな言い方してねぇよ。通り名で名乗るのは、単に話が通じやすいからで……つーか、こんな話をしたいんじゃなくて……」


 話がどんどんそれていく。

 力が抜ける。

 こいつといると、調子が狂って仕方がない。


「そ、そうだ、何かしたいこととか、あるか?水を飲みたいとか、身体を拭いたいとか」


「えー?そーだなぁ……」


 そういう声のトーンは、極めて明るい。

 表情が楽しげにコロコロ変わっていく。

 それを見て、俺は反対に苦い顔をした。また面倒臭そうなことを考えてやがるな。


 ただ、呆れるほどいつも通りの姿が、俺を少し安心させる。


 ほどなく、目を輝かせて口にしたのは、いかにもマッドサイエンティストらしい答えだった。


「だったら、沙羅嬢の話、聞かせてよ」


「はあ?」


 ニコニコと悪魔の笑みを浮かべる類。


「君には辛いことだと思うけどさ、昨日の続きが気になるんだ。僕は途中で倒れちゃって、最後まで聞けなかったし」


 いろいろと心が痛むところをつついてくる。

 相変わらずモラルの低いやつめ。

 思わず俺は、キッと類をにらんだ。


 しかし、それが彼の望みとあらば仕方がない。


 視線を緩め、ため息をつく俺。

 こいつには過去を打ち明けると、昨日のうちに覚悟は決めてんだ。


 俺は、沙羅の最期を赤裸々に語った。

 今しがた夢に出てきた話だけれど、すべて実際に起こった哀しい現実だ。

 記憶をたどり、言葉を紡ぐ。

 その間、とても普段の表情を保つことはできなかった。

 俺は類から顔を背けた。


 それを知ってか知らずか、類もこちらと目を合わせようとはしなかった。

 ベッドに寝転がったまま、天井の一点を見つめている。

 眉間にしわを寄せて、静かに話を聞いている。


「沙羅は目の前で殺された。刺されて、倒れて、ぴくりとも動かなくなった。それでも俺は、まだ助かるって信じてた。信じようとした。だから、どうにか沙羅のところまで這いつくばっていって、抱き上げた……んだと思う。んで、そのまま病院に連れていって……いや、足が痛くてほとんど歩けなかったような気もする……ってことは、救急車で運ばれたのか?」


「ちょっと待って」


 類が口を挟んだ。振り返る俺。


「急に話が分かりづらくなってきたね。どうしたんだい?」 


「……悪い」


 俺は足元に視線を滑らせた。


「実は、沙羅が倒れてからのことは、よく覚えてないんだ。ところどころ記憶が抜け落ちてて、俺にも色々分からないことがあってな」


 明るい声で、大げさに肩をすくめて見せる俺。

 それでも、類は眉間にしわを寄せたままだった。


「それはやっぱり……精神的なことが原因かい?」


「まあ、原因の一つではあるだろうな」


 俺の中にも、自衛という本能がある。


 こんな苦しいだけの記憶、さっさと忘れてしまいたい。

 過去なんか捨ててしまいたい。

 現実から逃げ出してしまいたい。


 そういう罪深い本能が、記憶を蝕んだのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る