12 Blume
*
館内に放映された一部始終を見て、思わず前のめりになる祇園。
彼はどうしようもなく、過去の自分を殴りたくなった。
沙羅を追いかけなくては、引き止めなくてはならないと思った。
沙羅はきっと、本当は「こんな怖いところから抜け出したい」と打ち明けたかったのだ。
迷いながらも漏らしたSOSに、祇園は気づけなかった。
祇園だけが、事の重大さに気づけなかった。
けれど今なら分かる。
ウロボロスは、土方の暗殺を宣戦布告ととらえ、怒り狂っていたことも。
狙撃犯を弄んで、嬲って、辱めて、嘲笑って、仇討ちをしようとしていることも。
この時すでに、組織内部にスパイがいるところまで突き止めていたことも。
不意に、辺りが暗くなりはじめた。
映画館の照明が、日が暮れていくように順に落ちていく。
薄暗くも淡く彩られていた黄昏を超えて、終わりの見えない真夜中に向かっていく。
祇園は、わずかな光もない闇に包まれた。
館内に、トランシーバーを通した不明瞭な声が響く。
「……たすけて」
沙羅の哀願だった。
今も耳の奥にこびりついて離れない、心の悲鳴だった。
「待ってろ、いま行く……!」
祇園は慄然として腰を浮かせた。
座席の合間を縫って、スクリーンに駆け寄る。
彼女の元へ走る。
もちろん祇園は、そこに彼女はいないと分かっていた。
けれど、いてもたってもいられなかった。
画面には再び、別の映像が流れはじめた。
*
見えてきたのは、夜更けの廃工場。
がらんどうの汚れた建物の中央に、ぐったりとした沙羅が横たわっている。
四肢は異様な方向に曲がり、スカートは不自然にはだけていた。
怯えて震えることしかできない彼女を、強面の男たちが取り囲んでいる。
硬い革靴で下腹部を蹴り、追い打ちをかける。
「何してんだ、てめぇら!」
祇園は、成長痛の残る足で地を蹴り、男たちにぶつかっていった。
むやみやたらに服を掴み髪を掴み、沙羅から引き剥がそうとする。
右頬を殴りつければ、左頬を切りつけられた。
銃を取り出せば、それを握る腕を折られた。
それでも彼は、妹を、双子の片割れを、唯一残された家族を守るために戦い続けた。
「ぎ、おん……」
倒れていた沙羅が、祇園に気がついた。
口角が上がる。
表情が緩む。
安堵の息を漏らす。
彼女は、身体の芯から力がみなぎってくるのを感じていた。
沙羅は今日、ようやくはっきりと助けを求めた。
妹だからと弱くみられること、庇護する対象としてみられることが屈辱だった彼女にとって、これは大きな一歩だった。
勇気を出してこぼした弱音。
それに祇園は応えた。
彼女は笑みをたたえた。
ならば、妹も兄のために戦わねばならないとも思った。
それが、対等であるということだから。
唯一残された家族との約束だから。
沙羅は、血が噴き出す身体に鞭を打った。
もう一度立ち上がる。
霞む視界の中で、自分に手を伸ばす祇園を見つける。
柔らかく目を細めて、赤黒く汚れた手を延べる。
「沙羅後ろ!」
「え?」
沙羅の左胸から、銀色のナイフが飛び出した。
ナイフを中心に、真っ赤な薔薇の花が咲く。
豪奢なコサージュのように、花びらが鈍く光る。
祇園は一瞬、そんな光景を見た。
だが刹那、花の形はどろりと溶けて、コンクリートの床に滴った。
瞬く間に、一帯が血の海に呑まれていく。
彼女の背後には、返り血を浴びた男が立っていた。
「沙羅……?」
そう呼んだ瞬間、彼女の身体は、糸が切れたように地面に叩きつけられた。
背中に突き刺さったナイフ。
それを、また別の男が踏みつけた。
断末魔が虚空につんざく。
刃がぐちゅりと身体の中に食い込む。
引き締まった背筋を裂く。
「やめろ!!」
祇園は男たちをはねのけて、沙羅の元へ走る。
地面を蹴る。
ふくらはぎの筋肉が盛り上がる。
その足に、男の一人が銃弾を撃ち込んだ。
もんどり打って転ぶ祇園。
傷口からみるみる鮮血があふれていく。
これで、彼は歩けなくなった。
手を伸ばしたまま動けない祇園。
手を伸ばしたまま動かない沙羅。
その喉がゴロッと音を鳴らすと、二度と起き上がってくることはなかった。
夏の晴天より澄んでいたはずの青い瞳。
そこに、灰色の乾いた砂が貼り付いていた。
*
「もう、やめてくれ……」
スクリーンにしがみついたまま、膝から崩れ落ちる祇園。
彼の口からは、知らぬ間に、懇願の言葉が溢れていた。
誰に対しての言葉というわけではなかった。
ただひたすらに、何度心臓を抉ったかもしれない過去に、拒絶反応を呈していた。
それでも、過去の記憶手放すことなんて、許されない。
死者の苦しみを忘れ、俺だけが生の喜びを享受することなんて、決して許されない。
「望月?」
背後から、男の声がした。
祇園にはうざったいほど聞き慣れた声だ。
振り返ると、遠くに人影が見えた。
映画館の重い扉を開け放ち、背中に光を受ける人影。
闇に閉ざされていた館内に、一筋の光が差した。
「望月、大丈夫かい?」
そう声をかけつつ、ずかずかと祇園の方へ近づいてくる。
こいつは、そういう人間だった。
好奇心を満たすためだけに、祇園の心を土足で踏み荒らすマッドサイエンティスト。
逃がし屋の仕事も、沙羅のことも、すべて鼻で笑い飛ばす薄情者。
沙羅を失った穴を埋めるかの如く、祇園と対等でいられる類いまれな存在。
「類……」
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