12 Blume



 館内に放映された一部始終を見て、思わず前のめりになる祇園。


 彼はどうしようもなく、過去の自分を殴りたくなった。

 沙羅を追いかけなくては、引き止めなくてはならないと思った。


 沙羅はきっと、本当は「こんな怖いところから抜け出したい」と打ち明けたかったのだ。

 迷いながらも漏らしたSOSに、祇園は気づけなかった。

 祇園だけが、事の重大さに気づけなかった。


 けれど今なら分かる。

 ウロボロスは、土方の暗殺を宣戦布告ととらえ、怒り狂っていたことも。

 狙撃犯を弄んで、嬲って、辱めて、嘲笑って、仇討ちをしようとしていることも。

 この時すでに、組織内部にスパイがいるところまで突き止めていたことも。


 不意に、辺りが暗くなりはじめた。

 映画館の照明が、日が暮れていくように順に落ちていく。

 薄暗くも淡く彩られていた黄昏を超えて、終わりの見えない真夜中に向かっていく。

 祇園は、わずかな光もない闇に包まれた。


 館内に、トランシーバーを通した不明瞭な声が響く。



「……たすけて」



 沙羅の哀願だった。

 今も耳の奥にこびりついて離れない、心の悲鳴だった。


「待ってろ、いま行く……!」


 祇園は慄然として腰を浮かせた。

 座席の合間を縫って、スクリーンに駆け寄る。

 彼女の元へ走る。

 

 もちろん祇園は、そこに彼女はいないと分かっていた。

 けれど、いてもたってもいられなかった。


 画面には再び、別の映像が流れはじめた。





 見えてきたのは、夜更けの廃工場。

 がらんどうの汚れた建物の中央に、ぐったりとした沙羅が横たわっている。

 四肢は異様な方向に曲がり、スカートは不自然にはだけていた。

 怯えて震えることしかできない彼女を、強面の男たちが取り囲んでいる。

 硬い革靴で下腹部を蹴り、追い打ちをかける。


「何してんだ、てめぇら!」


 祇園は、成長痛の残る足で地を蹴り、男たちにぶつかっていった。

 むやみやたらに服を掴み髪を掴み、沙羅から引き剥がそうとする。


 右頬を殴りつければ、左頬を切りつけられた。

 銃を取り出せば、それを握る腕を折られた。

 それでも彼は、妹を、双子の片割れを、唯一残された家族を守るために戦い続けた。


「ぎ、おん……」


 倒れていた沙羅が、祇園に気がついた。

 口角が上がる。

 表情が緩む。

 安堵の息を漏らす。

 彼女は、身体の芯から力がみなぎってくるのを感じていた。


 沙羅は今日、ようやくはっきりと助けを求めた。

 妹だからと弱くみられること、庇護する対象としてみられることが屈辱だった彼女にとって、これは大きな一歩だった。


 勇気を出してこぼした弱音。

 それに祇園は応えた。


 彼女は笑みをたたえた。

 ならば、妹も兄のために戦わねばならないとも思った。

 それが、対等であるということだから。

 唯一残された家族との約束だから。


 沙羅は、血が噴き出す身体に鞭を打った。

 もう一度立ち上がる。

 霞む視界の中で、自分に手を伸ばす祇園を見つける。

 柔らかく目を細めて、赤黒く汚れた手を延べる。



「沙羅後ろ!」

「え?」



 沙羅の左胸から、銀色のナイフが飛び出した。

 ナイフを中心に、真っ赤な薔薇の花が咲く。

 豪奢なコサージュのように、花びらが鈍く光る。

 祇園は一瞬、そんな光景を見た。


 だが刹那、花の形はどろりと溶けて、コンクリートの床に滴った。

 瞬く間に、一帯が血の海に呑まれていく。

 彼女の背後には、返り血を浴びた男が立っていた。


「沙羅……?」


 そう呼んだ瞬間、彼女の身体は、糸が切れたように地面に叩きつけられた。


 背中に突き刺さったナイフ。

 それを、また別の男が踏みつけた。

 断末魔が虚空につんざく。

 刃がぐちゅりと身体の中に食い込む。

 引き締まった背筋を裂く。


「やめろ!!」


 祇園は男たちをはねのけて、沙羅の元へ走る。

 地面を蹴る。

 ふくらはぎの筋肉が盛り上がる。


 その足に、男の一人が銃弾を撃ち込んだ。

 もんどり打って転ぶ祇園。

 傷口からみるみる鮮血があふれていく。

 これで、彼は歩けなくなった。


 手を伸ばしたまま動けない祇園。

 手を伸ばしたまま動かない沙羅。

 その喉がゴロッと音を鳴らすと、二度と起き上がってくることはなかった。


 夏の晴天より澄んでいたはずの青い瞳。

 そこに、灰色の乾いた砂が貼り付いていた。





「もう、やめてくれ……」


 スクリーンにしがみついたまま、膝から崩れ落ちる祇園。

 彼の口からは、知らぬ間に、懇願の言葉が溢れていた。

 誰に対しての言葉というわけではなかった。

 ただひたすらに、何度心臓を抉ったかもしれない過去に、拒絶反応を呈していた。

 それでも、過去の記憶手放すことなんて、許されない。

 死者の苦しみを忘れ、俺だけが生の喜びを享受することなんて、決して許されない。


「望月?」


 背後から、男の声がした。

 祇園にはうざったいほど聞き慣れた声だ。

 振り返ると、遠くに人影が見えた。

 映画館の重い扉を開け放ち、背中に光を受ける人影。

 闇に閉ざされていた館内に、一筋の光が差した。


「望月、大丈夫かい?」


 そう声をかけつつ、ずかずかと祇園の方へ近づいてくる。


 こいつは、そういう人間だった。

 好奇心を満たすためだけに、祇園の心を土足で踏み荒らすマッドサイエンティスト。

 逃がし屋の仕事も、沙羅のことも、すべて鼻で笑い飛ばす薄情者。

 沙羅を失った穴を埋めるかの如く、祇園と対等でいられる類いまれな存在。


「類……」

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