11 Traum





 祇園は夢の中にいた。


 今宵迷い込んだのは、古ぼけた映画館だった。

 昭和レトロな雰囲気を醸し出す、こじんまりとした館内。

 えんじ色の座席には、祇園以外に人はいない。


 近くの席に座ると、正面の大きなスクリーンに映像が映し出された。

 はじめはモノクロームだったものに、やがて、色がついてくる。

 細部まで鮮明になっていく。

 音も流れはじめる。





 フィルムの中では、高校生だった頃の祇園と沙羅が、田んぼのあぜ道を歩いていた。

 肩を並べる二人の瞳は、夏の空に負けないぐらい青く澄んでいる。


「沙羅、また依頼が入ったぞ」


 変声期特有のかすれた声で、祇園が告げる。

 沙羅は、制服のリボンを揺らして振り返った。


 依頼について説明をはじめる祇園。

 今度の依頼は、とある暴力団からのものだった。

 依頼人いわく、敵対する組織のトップを殺してほしいとのこと。

 敵対する組織の名は、ウロボロス。

 その総帥である土方崇が、今回、殺害するふりをして逃がすターゲットというわけだ。


「さっそく役割分担しよっか。ターゲットを狙撃して逃がすか、ウロボロスに潜り込んでアシストに回るか、祇園はどっちやりたい?」


「そうだな……俺は前回スパイ役だったから、今度は狙撃する側がしたいかなぁ」


 顎に手を当て、ぼんやりとつぶやく祇園。

 彼は正直、どちらでもいいと思っていた。

 だから早く決めてしまおうと、適当に理由をこじつけた。


「りょーかい! じゃあ私は、ウロボロスに潜入する準備を進めておくから」


 沙羅は弾ける笑顔を見せて、親指を立てた。


「ああ、頼む。まあ今度の依頼もテンプレート通りだし、心配することは何もねぇさ」


「だね」


 にこやかに顔を見合わせる二人。

 祇園の言う通り、二人はのちに、この依頼を難なく成功させていく。





 そこで、映像が途切れた。

 何も描かれていない白紙のフィルムが映し出される。

 ほどなくして、また別の場面に切り替わった。





 今度は、祇園が大手カフェチェーンを訪れていた。

 テーブルにノートを広げ、勉強しながら待つ。

 彼は、沙羅からこの店に呼び出されていた。


 しばらくすると、祇園の後ろの席に、沙羅が座った。

 彼女は依頼を成功させたものの、立場はまだウロボロスに潜入中のスパイだった。

 そのため、他人のふりをして密かに接触する必要があったのだ。


 ガラケーを取り出し、メールの画面を開く沙羅。

 画面は窓ガラスに反射して、祇園からも見ることができた。

 沙羅がメッセージを打ち込む。


「組織内では、土方を撃った犯人を躍起になって探してる。気をつけて」


 祇園は、Jaうん、と答える代わりに、テーブルをコンッと小突いた。

 続いて、ノートに返事を書く。

 これも窓ガラスを通じて、向こうの目に届いた。


「お前も、狙撃犯の仲間だとバレたら危険だ。早めに戻ってこいよ」


 沙羅もまた、靴のかかとで床を一回鳴らす。

 それから頭をかくと、うーん、とうなった。

 ガラケーを耳に当てる。

 電話をしていると見せかけて、祇園に直接話しかける。


「それなんだけど、このまま一緒に家に帰っちゃうってのは、どう?おじさんたち、やったらピリピリしてるからさぁ。強硬手段になるとは思うけど、まっアリかなー……なんて」


 言葉を探しながら、もごもごと話す沙羅。

 彼は眉をひそめた。

 ノートに走り書きをする。


「言いたいことははっきり言え。今から俺と一緒に逃げて、むりやり組織を抜けることにしたのか」


「いや、ちゃんと決めたわけじゃないけど……今回はそれでもいいかなって、提案しただけ」


「なんだ提案か。だったら、俺からも提案させてもらう」


 祇園はカチカチッと、シャープペンシルの芯を出した。今度は二回、Neinダメだ、の意だった。


「急に組織から姿を消したら怪しまれる。余計に危険だ。早めに、とは言ったが、ほとぼりが冷めるのを待ってからにしろ」


 窓ガラス越しに、沙羅の様子をうかがう祇園。

 Jaという言葉を、あるいは一度だけ打ち鳴らされる音を待つ。


 しかし、沙羅はひたすらに床の一点を見つめて、声も文字もほんの合図さえも、何も伝えてこようとしなかった。

 沈黙を貫いて、祇園の指示を受け入れようとしない。

 彼には、沙羅が、やたら頑なになる理由が分からなかった。


 ただ、彼女は真剣だということだけは悟った。


 視線を緩める。頬杖をつく。

 頭を回転させると、連動して指先がペンを回しはじめた。

 十周したところで回転は止まり、祇園が紙に文字を書いていく。


「土方は一命を取り留めたことにして、組織の元へ返しておくか?殺されてはいないと分かれば、おっさんたちもピリピリする必要なくなるだろ」


 沙羅は両手でガラケーを握り、口を開いた。

 だが声を上げることはない。

 瞳が揺らぐ。言葉を飲み込む。



 ……コンッ。



 控えめだが、確かにJaという返事だった。


「オーケイ、また進めておく。他に気になることは?」


 ぎこちない笑みを浮かべる沙羅。

 ガラケーを二度こづき、Neinと答える。

 弾かれるように席を立つ。

 スカートを翻して去っていく。


 祇園はその行動を、毅然とした態度だと、無事に用が済んだという意味だと解釈した。

 雑踏の中に消えていく背中。

 それを彼は、視界の片隅に入れるだけだった。



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