11 Traum
◆
祇園は夢の中にいた。
今宵迷い込んだのは、古ぼけた映画館だった。
昭和レトロな雰囲気を醸し出す、こじんまりとした館内。
えんじ色の座席には、祇園以外に人はいない。
近くの席に座ると、正面の大きなスクリーンに映像が映し出された。
はじめはモノクロームだったものに、やがて、色がついてくる。
細部まで鮮明になっていく。
音も流れはじめる。
*
フィルムの中では、高校生だった頃の祇園と沙羅が、田んぼのあぜ道を歩いていた。
肩を並べる二人の瞳は、夏の空に負けないぐらい青く澄んでいる。
「沙羅、また依頼が入ったぞ」
変声期特有のかすれた声で、祇園が告げる。
沙羅は、制服のリボンを揺らして振り返った。
依頼について説明をはじめる祇園。
今度の依頼は、とある暴力団からのものだった。
依頼人いわく、敵対する組織のトップを殺してほしいとのこと。
敵対する組織の名は、ウロボロス。
その総帥である土方崇が、今回、殺害するふりをして逃がすターゲットというわけだ。
「さっそく役割分担しよっか。ターゲットを狙撃して逃がすか、ウロボロスに潜り込んでアシストに回るか、祇園はどっちやりたい?」
「そうだな……俺は前回スパイ役だったから、今度は狙撃する側がしたいかなぁ」
顎に手を当て、ぼんやりとつぶやく祇園。
彼は正直、どちらでもいいと思っていた。
だから早く決めてしまおうと、適当に理由をこじつけた。
「りょーかい! じゃあ私は、ウロボロスに潜入する準備を進めておくから」
沙羅は弾ける笑顔を見せて、親指を立てた。
「ああ、頼む。まあ今度の依頼もテンプレート通りだし、心配することは何もねぇさ」
「だね」
にこやかに顔を見合わせる二人。
祇園の言う通り、二人はのちに、この依頼を難なく成功させていく。
*
そこで、映像が途切れた。
何も描かれていない白紙のフィルムが映し出される。
ほどなくして、また別の場面に切り替わった。
*
今度は、祇園が大手カフェチェーンを訪れていた。
テーブルにノートを広げ、勉強しながら待つ。
彼は、沙羅からこの店に呼び出されていた。
しばらくすると、祇園の後ろの席に、沙羅が座った。
彼女は依頼を成功させたものの、立場はまだウロボロスに潜入中のスパイだった。
そのため、他人のふりをして密かに接触する必要があったのだ。
ガラケーを取り出し、メールの画面を開く沙羅。
画面は窓ガラスに反射して、祇園からも見ることができた。
沙羅がメッセージを打ち込む。
「組織内では、土方を撃った犯人を躍起になって探してる。気をつけて」
祇園は、
続いて、ノートに返事を書く。
これも窓ガラスを通じて、向こうの目に届いた。
「お前も、狙撃犯の仲間だとバレたら危険だ。早めに戻ってこいよ」
沙羅もまた、靴のかかとで床を一回鳴らす。
それから頭をかくと、うーん、とうなった。
ガラケーを耳に当てる。
電話をしていると見せかけて、祇園に直接話しかける。
「それなんだけど、このまま一緒に家に帰っちゃうってのは、どう?おじさんたち、やったらピリピリしてるからさぁ。強硬手段になるとは思うけど、まっアリかなー……なんて」
言葉を探しながら、もごもごと話す沙羅。
彼は眉をひそめた。
ノートに走り書きをする。
「言いたいことははっきり言え。今から俺と一緒に逃げて、むりやり組織を抜けることにしたのか」
「いや、ちゃんと決めたわけじゃないけど……今回はそれでもいいかなって、提案しただけ」
「なんだ提案か。だったら、俺からも提案させてもらう」
祇園はカチカチッと、シャープペンシルの芯を出した。今度は二回、
「急に組織から姿を消したら怪しまれる。余計に危険だ。早めに、とは言ったが、ほとぼりが冷めるのを待ってからにしろ」
窓ガラス越しに、沙羅の様子をうかがう祇園。
Jaという言葉を、あるいは一度だけ打ち鳴らされる音を待つ。
しかし、沙羅はひたすらに床の一点を見つめて、声も文字もほんの合図さえも、何も伝えてこようとしなかった。
沈黙を貫いて、祇園の指示を受け入れようとしない。
彼には、沙羅が、やたら頑なになる理由が分からなかった。
ただ、彼女は真剣だということだけは悟った。
視線を緩める。頬杖をつく。
頭を回転させると、連動して指先がペンを回しはじめた。
十周したところで回転は止まり、祇園が紙に文字を書いていく。
「土方は一命を取り留めたことにして、組織の元へ返しておくか?殺されてはいないと分かれば、おっさんたちもピリピリする必要なくなるだろ」
沙羅は両手でガラケーを握り、口を開いた。
だが声を上げることはない。
瞳が揺らぐ。言葉を飲み込む。
……コンッ。
控えめだが、確かにJaという返事だった。
「オーケイ、また進めておく。他に気になることは?」
ぎこちない笑みを浮かべる沙羅。
ガラケーを二度こづき、Neinと答える。
弾かれるように席を立つ。
スカートを翻して去っていく。
祇園はその行動を、毅然とした態度だと、無事に用が済んだという意味だと解釈した。
雑踏の中に消えていく背中。
それを彼は、視界の片隅に入れるだけだった。
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