第2話 始まりと出会い 1
「全く、アイツらは……」
朝食を食べ終え、後片付けも終えたタクマは椅子に腰を下ろした。ここに来て二週間が経ちだいぶこの生活にも馴れてはきたが、やはり主である邪神様のお世話は中々に苦戦している。
「二週間、か……」
もうそんなに経ったのかという思いと、まだ二週間しか経っていないのかという思いが交錯する。
あの日の出会いが、頭の中で思い起こされていった。
*****
ある日の休日。俺こと
(今日は意外と人がまばらだな……)
天気が曇りというのもあり、公園には人がまばらだ。今日は少し海も荒れているみたいで、普段なら沢山いる釣り人も碌にいやしない。少し離れた所でママ友と思しき女性たちが井戸端会議をしていて、その周りで年端もいかない子どもたちが楽しそうに遊んでいた。
「……ん?」
その中で、一人だけ離れて海との境界線として設置された塀に捕まって遊んでいる子どもがいた。母親たちは気付いていない。子どもが塀を登ってしまった。風に煽られ、体が揺れる。
「っ、危ない……!!」
叫び、全速力で走る。琢磨の声で話に夢中だった母親たちも異変に気付いたが、子どもと距離がある。母親たちはどうやっても間に合わない。琢磨は落ちかける子どもの襟首をなんとかすんでで掴み、遠心力を駆使して後ろに向かって腕を振った。反動で振り替えった琢磨の目には、地べたに尻もちをついた子どもと、その子どもの母親と思われる女性が駆け寄ってきている姿が映しだされた。
(よかった……)
ホッと安堵に息を吐き、琢磨の体が塀を乗り越える。全速力で走って子供を助けたのだ。反動は自分に返ってくるのはわかっていた。でも、それでも体が勝手に動いたのだ。
「っ、君……!」
子どもに駆け寄った母親が琢磨に手を伸ばす。だが、その手は届かず、琢磨は荒れる海に落ちていった。
脳裏に浮かんだのは、最愛の母と新しく家族として迎えてくれた父、そして、義理の妹となった優美の笑顔だった。
(ぐ、息が……)
波に呑まれながら、琢磨は海面に上がろうと必死に藻掻く。だが、潮の流れが激しく泳ぐこともままならない。息が苦しい。このまま、死ぬのだろうか――。
(死なせんよ、絶対に)
死を覚悟した瞬間、頭に直接声が響いた。酸欠で翳む意識の中、目の前に金の瞳の子どもが表れる。そっと子どもの顔が近づいてくる中、琢磨は意識を手離した。
頬に雫が当たる感触に、意識が浮上してくる。瞳を開けると、石の天井が見えた。どこかかび臭く、じめじめとした空気。此処は何処なのだろうか――。
ゆっくりと上体を起こし周囲を確認すると、鉄の柵に、石の壁。壁には蝋燭の明かりが一本灯っているだけで、辺りは薄暗く碌に見えない。どうやら、ここは檻の中のようだ。
あの時、確かに海に落ちた筈……なのに体は一つも濡れてないし、どこも怪我をしている感じはない。そして、このよくわからない状況……夢でも見ているのか?
「……いてぇ」
頬を思いっきり抓ってみたが、普通に痛い。だとすると、これは夢ではないらしい。もしかしなくとも、今小説や漫画で流行りの異世界トリップでもしてしまったのか?そんなことが頭をよぎったが、琢磨は頭を振り頬を叩く。
(んな訳あるかっての。あれは物語だから成立するだけであって、現実に起こるかよ)
兎も角、今は情報が欲しい。琢磨は起き上がり、鉄の柵に手をかけ声を張り上げた。
「おーい! 誰かいないか!」
数秒待ってみるが、返事はない。柵越しに檻の外を覗いたが、他にも檻が沢山あるようだった。となると、ここは監獄か何かなのかもしれない。
「おい! 誰もいないのか!」
「――あの」
突然の声に、背後を振り返る。蝋燭の明かりが乏しく見えていなかったが、この檻には自分以外の人がいたらしい。
そっと、ゆっくりと近付いてくる気配がする。ペタペタと石の床を歩く音と先程の声からして、少女のようだ。
「…………君は……」
表した姿に、言葉を失ってしまう。セミロングの黄緑の髪に、白い陶磁のような肌、端正のとれた容姿。思わず目を奪われた。見に纏っている服は簡素な薄汚れた白いワンピースだが、深い新緑のような瞳から目が離せない。
「あまり、大きな声は出さない方がいいです。鞭で叩かれてしまいます……」
視線を逸らしながら、小さな声で言葉が紡がれる。澄んだ声は小鳥のさえずりのように美しく、小声でも琢磨の耳に届いた。ぼぅっと彼女の姿と声に心奪われてしまっていたが、ハッと我に返った琢磨は少女に尋ねる。
「なあ、此処はどこなんだ? 俺はいつからここに?」
少女に近付くと、ビクリと大きく肩を揺らし後ろに後ずさられてしまった。怖がらせるつもりはなかったが、どうやら怯えさせてしまったらしい。
(見ず知らずの人間が急に話しかければ、当然か……)
うーん、と少し悩み、床に腰を下ろす。薄暗くて見えずらいが、近くに居る少女に向けて床を軽く叩いた。
「俺、琢磨って言うんだ。座って話そうぜ」
「……」
少女は躊躇っているようだが、ニッと笑みを向けて待つ。暫くすると、おずおずと少し離れた所に腰を下ろしてくれた。良かった。
「君の名前は?」
「……ミルファリア」
俯きながら、恥ずかしそうに答えてくれる。そんな仕草も可愛らしかった。つい頬が緩んでしまう。恐らく、いや、確実に俺はこの子に一目惚れしたようだ。
「ミルファリア、か……いい名前だね」
「えっと、その……あ、ありがとうございます……」
口元に手を当て頬を紅潮させながらお礼を言うミルファリア。つられて此方も頬が紅潮してしまうが、今はそれ所ではなかった。琢磨は小さく頭を振ると、先程聞こうとしていたことを尋ねる。
「なあ、此処は? 俺はいつから此処にいたか、わかるか?」
「此処はドラウソの街のオークション会場にある地下牢です。オークションに賭けられる商品が置かれる場所。貴方は、ほんの少し前に此処に入れられたの」
琢磨の言葉に、ミルファリアはゆっくりと順を追って話していく。地下牢。中世の建物を思い起こさせる造りだとは思ったが、地下牢だったとは……。一つ疑問は晴れたが、琢磨はそれ以上に気になる言葉があった。
「……ドラウソ? それにオークション会場って……」
知らない地名に、首を傾げてしまう。ミルファリアは目を瞬かせ、タクマ同様に首を傾げた。
「ドラウソはセコードの中でも大きな街ですが……ご存知ないですか?」
「さっぱり」
再び知らない単語が次々に出てくるが、どれもさっぱりわからない。ミルファリアは口元に手を当て、少し悩む仕草をする。
「……もしかして、タクマさんは異邦の方なのですか?」
「え?」
ハッとした表情を浮かべ、ミルファリアは顔を寄せてくる。可愛らしい顔が近づき、頬が赤くなっていく。
「すごいすごいっ、お伽話じゃなかったんだ!」
「ミ、ミルファリア、落ち着いてっ」
「あっ、ご、ごめんなさい……っ」
キラキラと瞳を輝かせて興奮するミルファリアに、琢磨は若干たじろいだ。慌ててミルファリアは姿勢を戻し、頭を床に擦り付ける。そんなミルファリアの行動に、今度は琢磨が慌ててしまった。
「ミルファリア、頭を上げてくれっ。別に怒ってもないんだから」
「でも……」
「寧ろ顔を上げて貰わないと、色々と教えて貰えないよ」
笑みを向ける琢磨に、ミルファリアはゆっくりと姿勢を直した。ホッと安堵し、話を戻す。
「その、異邦の方? って、どういうものなんだ?」
「異邦の方とは、この世界のお伽話に出てくる言葉なんです。この世界とは違った世界から来た来訪者の事をそう伝わっています」
「お伽話、ねえ……どうして俺が異邦の人間だなんて思ったの?」
琢磨の言葉に、ミルファリアは口元に手を当てながら、笑みを浮かべて答える。
「だって、タクマさんは知らない格好をしてますし……何より
「え……?」
それってどういうことだ? そう聞こうとした瞬間、外から足音が聞こえてきた。ハッと意識を外に向けたと同時に、現れた男達が琢磨達のいる牢屋の前で止まる。
「うるせえぞ!」
ガシャン!と大きく鉄の柵を蹴りつけられ、地下牢に大きな音が響く。咄嗟に琢磨はミルファリアを庇うように移動し、男を睨み付けた。漫画RPGゲームに出てくる盗賊のような、そんな格好をしている。体格からして、琢磨よりも年上。服の上からでもわかる張り出た筋肉からしても、太刀打ちなんて出来そうにない。だが、それでも前に立ちはだかる。
「その目……気に入らねえな」
言いながら、男が牢の鍵を外して中に入ってくる。外には三人。逃げるのは難しそうだ。
「これは元々だっての。おっさんよりは目つき悪くねえと思うよ」
そう返答した瞬間、左頬に強い衝撃が走る。足で踏ん張ったのが幸いし体が吹き飛ぶことはなかったが、頬が次第に熱くなっていく。口の中は血の味がした。
「商品が偉そうに口答えするんじゃねえ! 連れてけ」
男が言うと、牢の外で待機していた男たちが中に入ってくる。一人が後ろ手に羽交い締めにし琢磨を押さえつけると、残りの二人はミルファリアの元へと歩を進める。
「きゃあっ」
「っ、ミルファリア!」
両腕を捕まれ、手錠をかけられたミルファリア。牢の外まで引きずられていく。琢磨は暴れて拘束を解こうとするが、最初に入ってきた男に再び頬を殴られた。
「タクマさんっ」
意識が朦朧とする中、ミルファリアの悲痛な声が耳に届く。このままでは、きっとミルファリアはオークションに賭けられてしまう。
「さっさと連れていけ」
「了解っす」
男たちの声が遠ざかろうとする。嫌だ。絶対に嫌だ。
「此処にいたか」
不意に、凛とした声が地下牢に響いた。
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