5・格安+工房付き-ボロ家=買うしかないでしょ

 どんよりと暗い空気をまとってカモミールがソファに座っていると、さすがに哀れに思われたのか、まだ取引もしていないのにお茶が出された。庶民が一般的に飲むのはハーブティーなのだが、珍しく紅茶だ。


「……いい香り」


 香り高い紅茶はそれなりにいい物なのではないだろうか。カモミールは仕事柄ハーブには詳しいが、紅茶のことは詳しくない。礼を言ってこくりと熱いお茶を飲むと、独特の渋みを持つ液体が喉を流れていった。これは苦手かもと思って、失礼にならない程度に残すことにする。


「ミリー、ミリー! ちょっと来て!」


 カップを置いたタイミングで興奮気味のヴァージルに手招きされる。何事かと行ってみれば、彼は売り家と書かれている一枚の紙を手にしていた。


「これ、元錬金術師の工房だって。前の持ち主が亡くなった後、器具も全部そのまま残ってるって書いてあるよ」

「えっ!? それ凄いじゃない!」


 とんでもない掘り出し物の物件だ。職員に話を聞いてみると、錬金術に使う道具は危険な物もあるので処理にお金がかかり、それを嫌がられて放置されるケースがあるのだという。

 錬金術師は基本的に徒弟制度であるから師匠の工房をそのまま引き継ぐか、独立するにしても新品の器具を揃えたいというのが当たり前だ。値の張る器具ならば中古で取引されることもあるが、ガラス製の品物も多く、割れたり欠けたりしているとただのゴミになってしまう。


 この家は更に条件が悪く、間取りを見る限りは生活スペースはほとんど無いので完全に工房としてだけ使われていたのだろう。そうするとなおさら価値が下がる。錬金術師以外には、住めない家は意味などないのだ。


「かなり城壁の近くね、街外れもいいところじゃない。この際立地は目をつぶるけど。売値は……うう、これは……いくら格安とは言っても350万ガラムかあ。敷地がそれなりにあるもんね……。ミラヴィアが私の収入源にならない今、これを買うとパンと水だけの生活になるかもしれない……」


 賃貸物件に住んでお金を貯め、時期を見てこの工房を買うべきか。しかし今後安定した収入がある保証は全くなくなった。ブランドを一から作るにしても、ある程度のラインナップとその素材を用意しなければならない分、お金はいくら節約しても安心出来ない。


 唸りながら悩むカモミールをヴァージルは心配そうに見ていたが、やがて手を上げて手近な職員を呼んだ。


「すみません、この物件について価格の相談ができる方とお話ししたいんですが。できれば個室で」

「ちょっと、ヴァージル!?」

「僕に任せておいて。これでも値下げ交渉してくるお客さんと日々やりとりしてるからね。交渉のプロだよ」


 全く力みのない笑顔を浮かべて、彼は年嵩の男性職員と一緒に相談用の個室へと入っていった。そして、それほどカモミールが待つこともなく、満面の笑みで戻ってくる。


「やったよ、ミリー。200万ガラムに下げてもらった」

「にひゃく……え? え? 150万ガラムも下げてもらったの? そんなこと可能なの?」

「可能だったよ」


 個室の中でどういうやりとりが行われたかは全く想像が付かない。ヴァージルも話すつもりがないようで、ただニコニコと笑っている。経験上、こういう表情を彼がしているときは追求しても無駄だとカモミールは知っていた。


「買います! この物件買います!」


 緊張で手のひらに汗を掻きながら、赤字で値段が修正された物件案内を職員に差し出す。

 改めて説明されたのは、この工房が建てられてから少なくとも500年ほどが経過しており、売りに出されてから30年ほど放置されている物件なので傷みが酷いということと、間取り図にはないが屋根裏部屋があるということのみだった。

 説明を聞いてなるほど、と思う。雨漏りなども覚悟しないといけないだろうし、少なくとも外壁は手を入れないといけないだろう。ヴァージルはそこを値下げ交渉のネタとして使ったのかもしれない。

 

 契約書にサインをして、即銀行で200万ガラムを小切手にしてもらい、それで支払いを済ませる。いくら貯金してあったとはいえ、普段扱うことがない大金にカモミールは始終心臓がバクバクと激しく鳴り続けていた。バッグの中に200万の小切手があることが人に知られたらどうしようと思うと、商業ギルドのはす向かいにある銀行からの帰り道も気が気では無かったのだ。


 支払いが済んで商業ギルドから物件の権利書を渡され、それを受け取るときにも手が震えた。それと同時に、自分の工房を手に入れたという喜びがじわじわと湧いてくる。


「私の工房……築500年でボロかもしれないけど、私だけの工房……どうしよう、ヴァージル、夢じゃないよね? なんかふわふわする」

「夢じゃないよ。僕も値引き頑張ったんだよ、思いっきり感謝してほしいな」

「うん……うん、ありがとう! ヴァージル大好き! いつも本当にありがとう!」


 権利書を手にしたままでヴァージルに抱きつく。ヴァージルは一瞬驚いたようだったが、嬉しそうに笑うとカモミールを抱きしめ返す。


 ――商業ギルド職員の間では、「あのふたり、熱烈でしたね」という噂がしばらく流れた。



 商業ギルドを出ると、今すぐにでも工房に駆けていきそうなカモミールをヴァージルが穏やかに止めた。


「今日は夕飯を買って帰って、ミリーは早く寝た方がいいよ。朝から大変だったし、今は興奮してるからわからないかもしれないけど、顔色もあんまり良くない。さっきも倒れそうになってたしね」

「確かにそうかも」


 やっぱりヴァージルの観察眼には敵わないと改めて思う。朝の葬儀から感情の上下が激しすぎたのだ。指摘されてカモミールも疲れを自覚した。彼女が素直に頷いたので、優しい幼馴染みは蛍石を思わせる綺麗な緑色の目を和ませた。


「明日も休みを取っておいて正解だったなあ。朝迎えに行くから、一緒に工房へ行って様子を見てみよう」

「助かるー! 今日のヴァージルの武勇伝、タマラにも話さないとね」

「それは内緒にしておいて。ね?」


 日が微かに傾いてきたせいなのか、薄い緑色のヴァージルの目に紫色が混じったように見えた。けれどそれはほんの一瞬のこと。幼馴染みは見慣れた笑顔で微笑んでいて、つられてカモミールも頷く。


「うん、わかった。タマラには内緒ね」

「さてと、ミリーの工房が決まったお祝いだから、何か美味しい物を買って帰ろうよ。ミリーは鱈が好きだよね、スタッツマンさんのお店の白ワイン煮は美味しいからあそこがいいな。僕は久々にジャガイモと鮭のパイ包みが食べたいよ」

「あと白ワインも買っていこう!」

「だーめ、今日はお茶で我慢しようよ。ミリーは気を抜くと飲みすぎるんだから。明日も大変なんだし、ね」

「えー、ワインなんて水と同じようなもんよー」

「でも前に僕が気づかない間に4本開けてて、次の日二日酔いになってたよね? ミリーは酔い始めたらタマラさんの家のワインを勝手にどんどん開けそうで怖いよ。あの人も酔うとそういうこと気にしなくなっちゃうし」


 痛いところを突かれて、カモミールは肩を落とした。唇を尖らせて「わかりましたー」と拗ねてみせる。そうすると眉を下げて少し困ったような顔でヴァージルは「1本だけだよ」と譲歩してくれた。結局彼はカモミールには甘いのだ。


 その日はお気に入りの食堂で料理を持ち帰り、三人でささやかにお祝いをした。

 ワインが1本で止められたのは、明日工房へ行くのが楽しみで仕方なかったからだ。

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