第4話 ホームスチール

「やったぁー、やったぁー」

 美奈子は、叫びながら私の周りを万歳をしながら何度も回った。ベンチ入りの事を告げると、我が事のように喜んでくれたのだ。

 夏の予選は、第二シードではあったが、相変わらずの貧打線で、一点差、二点差の苦しい試合が続いた。毎試合、必ず出番が回ってきた。確実に送りバントを決め勝利に貢献した。バットマンをもじってバントマンなどと陰口をたたいていたチームメイトも何も言わなくなった。

 決勝戦は、春の選抜出場校のA高校だった。息詰まる投手戦となり、ゼロ対ゼロのまま延長12回まで来た。表に1点を取られたのだ。投手の児玉は一回戦から全部一人で投げている。疲労が頂点になっていてボールがお辞儀している。延長だとしても十三回はおそらく大量点になると予想できた。

 12回裏ワンダウンの後、次の打者がファーボールで出塁した。出番が回ってきたのだ。ここで確実に送りバントを決めて、得点圏にランナーを送り、次のバッターのヒットで1点を返すしか甲子園への道はない。木のバットを手に持ち、緊張を抑えるようにゆっくりとウェイティングサークルに向かう。そこで手とバットにロージンを丁寧に付ける。素振りなどしない。敵も味方も送りバントだと分かっているからだ。

 ふと、応援席を見ると、校旗がはためいている。旗を持っているのは、あのバスケット部の田村だった。ガ体の大きさを買われ、にわか応援団の旗持ちにされたのだろう。そして、その側でタオルを持って田村の額の汗をかいがいしく拭いているのが美奈子だった。ちょっと妬けた。だが、

「妬けとる場合か」

 と独り言を吐いた時、自然と笑みが浮かんで緊張が解けた。

「バッター、吉田浩二君に代わりに……」

 場内アナウンスが聞こえた時、美奈子は、田村の汗を拭くのをやめてこちらを見た。目と目が合った。軽く頷くと美奈子も軽く頷いた。

 バッターボックスに立って驚いた。敵は、とんでもないバントシフトを敷いてきたのだ。内野手全員が極端な前進守備を取り、ライト、センターが一塁、二塁のすぐ後ろまできている。どう考えても転がすところはない。確実に成功させてきている送りバントへの対策を考えていたのだ。ベンチを見たが、サインの変更はない。初球が来た時、一塁手と三塁手が猛然とダッシュして来た。バットを引いた瞬間、次の球はバスターに決めていた。送りバントのサインは無視をした。

 打った。ふらふらと右中間に上がったボールは、すぐに落ちてコロコロと無人の外野を転がっている。ランナーはホームを駆け抜けている。自分はセカンドを蹴ってサードに向かい滑り込んだ。サードベース立ち、応援団に向けてガッツポーズをした。無論、ガッツポーズの向こうにはタオルを回している麦わら帽子の美奈子の姿があった。

 ベンチを見ると次のサインはスクイズであった。1対1のスコアで、あと1点で甲子園の切符が届く。だが、敵も必死のスクイズ防御体制で一塁手と三塁手がダッシュして来る。敵は、敬遠気味の四球で満塁策を取った。満塁策ではホームホースアウトでダブルプレイのこともある。スコアはワンストライク・ワンボールだ。スクイズのサインがあった。だが、スクイズ失敗では三本間さんぽんかんでアウトが普通だ。私は、ホームスチールと決めたのだ。相手の左投手がセットポジションをするが、右足を挙げる前にホームに向かってダッシュした。打者のバントのボールは転がり、出て来た一塁手の右のグローブに入った、と同時にクラブトスでボールは出て来た。其処からは記憶にない。ただ、球場の保健室で母校の校歌が聞こえて来たのだけは記憶にある。

 ホームベースの衝突の際に脳震盪と鎖骨を骨折して、一週間ほど入院した。甲子園では、結局、スタンドで応援だった。だが、自分では甲子園出場を果たしたと思っている。

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