第2話 バントとピッチングマシン

 私が高校に入学した頃は、甲子園の常連校は公立校にも結構あった。小学校から野球をやっていた私は、甲子園の常連である地元の公立高校の野球部に何の躊躇ちょうちょもなく入部した。入部したのは自分を含めて20名。内、推薦枠で入ったのが8名。最初の身体測定と体力テストで衝撃を受けた。推薦枠で入った連中はほとんどが170~180前後の身長があり、163センチの自分からすれば、皆、見上げるような奴ばかり。また、その身体能力の高さにも唖然あぜんとしたのだ。走るのも多少は自信があったが、30メートルまで追い付くのが限界で、それからは差を開いて行く。100メートル走は12.5秒だったが、推薦枠の奴らは全員11秒代だった。

 中学までチームメイトだった捕手志望の友人も、暗闇迫る帰路の途中でポツリと言った。

「俺、辞めるわ」

 

 あくる日の練習に出てきた一年生は、17名だった。そして、ひと月もしないうちに、私以外は推薦枠の連中だけになっていた。辞めた連中はレギラーは無理だと判断したのだろう。賢い選択だと思った。だが、私には辞めようという気は起らなかった。野球が心底好きだったんだろうと今更ながら思う。


 ふた月ほど経った頃、監督に願い出た。

「バントの練習だけさせてください。だめなら辞めます」

 てっきり、退部の申し出だとばかり思っていたのだろう。監督は、驚いた顔をした。そして、しばらく考えていたが、

「ええやろ、そうせんかい」

 と、一言、吐き捨てる様に言った。

 打撃や守備ではどうしてもかなわない。だが、三年間、球拾いで終わるのもしゃくだ。マスコミが補欠の選手を縁の下の力持ちなどと美談に仕立てるが、しょせん、球拾いは、球拾いだ。やるからには、レギラーを目指したい。先発メンバーは無理だとしてもベンチ入りメンバーにはなりたい。考えた挙句、バントならどうにかなるのではないかと思ったのだ。

 その日から、私の練習メニューは変わった。グランド整備、球拾いは、他の一年生部員と同じくするが、守備練習、走り込みは一切しなくなり、バントと25メートルのダッシュだけを繰り返した。10球ほど打たしてくれる打撃練習は、すべてバントをした。そして、練習が終わって家に帰った後は、ピッチングマシンを相手にバント練習をした。子供の頃からよく通ったバッティングセンターが閉鎖することになり、ピッチングマシンが売りに出されていたのを買ったのだ。中古だったがまだ二年しか使っておらず、値段は30万円と格安だった。格安と言っても高校生に手が出る金額ではない。手元にあるのはお年玉を貯め続けた10万円があるだけ。20万円を親父に借りようとしたが、あっさり断られた。出してくれたのは祖父だった。

「これで買ってこい」

 と言って、30万円をポンと出してくれたのだ。


「わしも、昔、野球やっとってのう」

 買ったピッチングマシンを乗せた軽トラックで帰る途中、運転していた祖父が突然話し始めた。初めて聞く話だった。祖父も、旧制中学四年までは野球部だったそうだ。

「四年の時、戦争が激しなって、甲子園が中止になってしもたんや。そんで、野球部も廃部じゃ。グランドは、あっという間に芋畑よ」

「へぇー」

「爺ちゃんらのチーム、強かったんぞ。中止にならんかったら、甲子園行けとったやろな」

「うそー」

「嘘やない。一年先輩に剛速球投手がおってのう。誰も打てん。かすりもせん。カーブなんか、背中の後ろから回ってくる。バッターがのけ反ってよけた球が外角低めに決まるんや。あんなピッチャー今まで見たことないわ」

「へぇー。それやったらその人プロに行ったんやろね」

「いや、卒業してすぐ予科練行って、終戦のひと月ほど前に特攻で死んでしもたわ」 

 祖父は、それ以上は何も言わなかった。

 

 五年前に閉めた祖父の自動車修理工場がバントの練習場になった。祖父は、熱心に協力してくれた。昔の甲子園への夢が再燃したのかとも思ったが、単なる暇つぶしだったのかもしれない。

 毎晩、祖父がマシンを操ってくれた。マシンは優れものだった。当時の最新式のもので、ストレートは優に150キロは出た。カーブ、スライダー、シンカーも自由自在だった。定価で買えば250万円とバッティングセンターの親父が言っていたが、その価値は十分あった。一年ほど経った頃には、どんな球が来てもほぼ思ったところに転がせるようになっていた。バットも変えた。25メートルダッシュだったら誰にも勝てる様になっていた。  

 ある日、スポーツ用品店に行って、

「飛ばない木のバットが欲しい」

 と言ったら、店主が驚いた顔で、

「飛ぶバットをくれという客は多いが、飛ばないバットをくれと言ったのはあんたが初めてや」

 と言って笑った。

 倉庫から薄汚れた中古の木のバットを出してきて、金は要らないと言って渡してくれた。木のバットは他に三本あるけど、これも持っとけと云われたが、ポケットの三千円を渡した。店主は「頑張れよ」云って、にっこり笑った顔が忘れられない。

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