第2話 バントとピッチングマシン
私が高校に入学した頃は、甲子園の常連校は公立校にも結構あった。小学校から野球をやっていた私は、甲子園の常連である地元の公立高校の野球部に何の
中学までチームメイトだった捕手志望の友人も、暗闇迫る帰路の途中でポツリと言った。
「俺、辞めるわ」
あくる日の練習に出てきた一年生は、17名だった。そして、ひと月もしないうちに、私以外は推薦枠の連中だけになっていた。辞めた連中はレギラーは無理だと判断したのだろう。賢い選択だと思った。だが、私には辞めようという気は起らなかった。野球が心底好きだったんだろうと今更ながら思う。
ふた月ほど経った頃、監督に願い出た。
「バントの練習だけさせてください。だめなら辞めます」
てっきり、退部の申し出だとばかり思っていたのだろう。監督は、驚いた顔をした。そして、しばらく考えていたが、
「ええやろ、そうせんかい」
と、一言、吐き捨てる様に言った。
打撃や守備ではどうしてもかなわない。だが、三年間、球拾いで終わるのもしゃくだ。マスコミが補欠の選手を縁の下の力持ちなどと美談に仕立てるが、しょせん、球拾いは、球拾いだ。やるからには、レギラーを目指したい。先発メンバーは無理だとしてもベンチ入りメンバーにはなりたい。考えた挙句、バントならどうにかなるのではないかと思ったのだ。
その日から、私の練習メニューは変わった。グランド整備、球拾いは、他の一年生部員と同じくするが、守備練習、走り込みは一切しなくなり、バントと25メートルのダッシュだけを繰り返した。10球ほど打たしてくれる打撃練習は、すべてバントをした。そして、練習が終わって家に帰った後は、ピッチングマシンを相手にバント練習をした。子供の頃からよく通ったバッティングセンターが閉鎖することになり、ピッチングマシンが売りに出されていたのを買ったのだ。中古だったがまだ二年しか使っておらず、値段は30万円と格安だった。格安と言っても高校生に手が出る金額ではない。手元にあるのはお年玉を貯め続けた10万円があるだけ。20万円を親父に借りようとしたが、あっさり断られた。出してくれたのは祖父だった。
「これで買ってこい」
と言って、30万円をポンと出してくれたのだ。
「わしも、昔、野球やっとってのう」
買ったピッチングマシンを乗せた軽トラックで帰る途中、運転していた祖父が突然話し始めた。初めて聞く話だった。祖父も、旧制中学四年までは野球部だったそうだ。
「四年の時、戦争が激しなって、甲子園が中止になってしもたんや。そんで、野球部も廃部じゃ。グランドは、あっという間に芋畑よ」
「へぇー」
「爺ちゃんらのチーム、強かったんぞ。中止にならんかったら、甲子園行けとったやろな」
「うそー」
「嘘やない。一年先輩に剛速球投手がおってのう。誰も打てん。かすりもせん。カーブなんか、背中の後ろから回ってくる。バッターがのけ反ってよけた球が外角低めに決まるんや。あんなピッチャー今まで見たことないわ」
「へぇー。それやったらその人プロに行ったんやろね」
「いや、卒業してすぐ予科練行って、終戦のひと月ほど前に特攻で死んでしもたわ」
祖父は、それ以上は何も言わなかった。
五年前に閉めた祖父の自動車修理工場がバントの練習場になった。祖父は、熱心に協力してくれた。昔の甲子園への夢が再燃したのかとも思ったが、単なる暇つぶしだったのかもしれない。
毎晩、祖父がマシンを操ってくれた。マシンは優れものだった。当時の最新式のもので、ストレートは優に150キロは出た。カーブ、スライダー、シンカーも自由自在だった。定価で買えば250万円とバッティングセンターの親父が言っていたが、その価値は十分あった。一年ほど経った頃には、どんな球が来てもほぼ思ったところに転がせるようになっていた。バットも変えた。25メートルダッシュだったら誰にも勝てる様になっていた。
ある日、スポーツ用品店に行って、
「飛ばない木のバットが欲しい」
と言ったら、店主が驚いた顔で、
「飛ぶバットをくれという客は多いが、飛ばないバットをくれと言ったのはあんたが初めてや」
と言って笑った。
倉庫から薄汚れた中古の木のバットを出してきて、金は要らないと言って渡してくれた。木のバットは他に三本あるけど、これも持っとけと云われたが、ポケットの三千円を渡した。店主は「頑張れよ」云って、にっこり笑った顔が忘れられない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます