もう一度

天気は生憎の快晴だった

もう少しわたしの気持ちに寄り添ってはくれないだろうか

いつも通りみたいな顔をして、わたしは学校へ行く

大丈夫

ちゃんと笑えている

クラスメイトへの挨拶だって自然にできた

昇降口で靴を履き替えた時、何かがパサ、と足元に落ちた

拾い上げれば、手帳のメモ部分を切り取ったもの

折りたたまれた紙を広げると、見覚えのある字で「放課後いつもの喫茶店で待ってる」と書かれていた

メールではなく置手紙なのがあの人らしい


「喫茶店とか、マジで別れ話じゃん」


冗談で口にしたつもりだったのに、自分で自分が言った言葉に衝撃を受けた

そうじゃん、別れ話じゃん

先輩は、わたしと別れるつもりなんだろう

だって元々そういう話だったし

わたしの事好きじゃない先輩が、これ以上面倒事に関わりたいとも思わないだろうし

心の平穏

凄く大事

下らない恋愛ごっこで余計なエネルギーを使わないのも、立派な生き方だと思う

疲れるの、恋するって

結局その日は上の空だったらしい

先生たちには「いつものうるささはどうした」といじられるし、クラスメイトには何かあったのかと気を使われる始末

姉の言う通り、わたしは分かりやすい人みたいだ

先輩も、どうせなら放課後に置手紙を入れといてくれればいいのに

長かったような短かったような授業が終わり、放課後となった途端にわたしは教室を出て行った

後ろから向けられる、気遣うようなクラスメイトの視線が痛い

胸が重いような、頭がふわふわするような、自分がそこに立った感覚がロクにしないまま、わたしは例の喫茶店へと向かった

出迎えてくれた店員さんに待ち合わせだと伝えて店内を見渡せば、あの人はもうそこに居た

午後はゼミの授業が無かったはずだ

一体どのくらい、ここにいたんだろう

席はあの時と同じ

そういう所まで、この人らしい

ねえ先輩

わたしはそんな細かいところまでこの人らしいって感じるくらい、あなたの事知ってるんだよ


「お待たせしました。先輩」


「うん」


先輩は静かに頷いた

いつもと変わらないように見える調子

でもこの人の装いの下はわたしと一緒だって、そう考えてしまうのはおかしいだろうか

席に座ってすぐに、店員さんがお冷を持ってきてくれる

わたしは前回の反省を生かして、アイスコーヒーを注文した

今日は特に、ゼリーなんて飲み込める気がしない

先輩は既にブレンドコーヒーを飲んでいた


「先輩。話があるんでしょ?」


「大体察しは付くでしょ」


「・・・いじわるな事聞きますね」


「・・・そうだね。意地悪だった」


テーブルに重い空気が流れる

これが店内中に広がらないか心配だ

喫茶店の皆さん、平穏なお茶の時間を邪魔してごめんなさい


「まずは、謝りたくて」


目を伏せながら先輩が切り出した

テーブルに置いた手は、珍しく落ち着きが無い


「あなたの気持ちを考えずにあんなことをして、ごめんなさい」


先輩は一度顔を上げてわたしの眼を見てから、頭を下げた

どこまでも誠実な人

でもこんな所、見ても嬉しくない


「それは、良いです。許します」


あんな事は、キスの事

確かにあの時は、わたしは先輩を拒絶した

先輩がわたしと向き合う事を放棄されたようで、嫌だった

でも、嬉しくなかったと言えば嘘になる

だって好きな人からのキスなんだもん

そこにどんなしがらみが有ったって、嬉しいものは嬉しい

だからわたしも、同罪だ


「まずはって事は、本題があるんですよね」


「・・・彩羽」


先輩はまた、眼を伏せたまま

わたしだって、前なんか見えない


「別れよう」


「・・・・・・」


「今まであなたを縛って、ごめん」


「・・・ごめんってなんですか」


急に目頭が熱くなる

なんだよ、ごめんって

みんな揃って、わたしにごめん、ごめんって

なんでわたし、謝られてるのよ

なんでわたし、勝手に可哀そうな子になってるのよ

ふざけんな


「勝手に今までの全部、駄目だった事にしないでよ。わたし・・・わたし、楽しかったもん。先輩と居るの、楽しかったんだもん」


あなたに恋をしていたの

それまで、悪い事みたいに言わないでよ


「恋って、先輩が思ってる以上に苦しいよ。やるせないよ。いつだって行き先がある訳じゃない。一人で抱えるしかない恋だってある。でも、先輩が思ってる以上に楽しいの。幸せなの」


ただその姿を見るだけで、心が躍る人がいる

その人の笑顔を見るために、なんだって出来るようになる

もっと知りたい、って

もっともっと、近づきたいって

自分がその人でいっぱいになる

そんな感情、幸せじゃ無きゃなんなのよ


「わたしが先輩に苦しめられてるのは、先輩が好きな証拠だよ。辛いのは、その分いっぱい幸せを貰ってる証拠だよ。恋の苦い部分だけ否定しないでよ」


「・・・・・・」


先輩は両目を右手で覆うようにして、項垂れていた

その様子からは、先輩が何を考えているのか読み取れない

先輩のカップが、静かに揺れる


「・・・あんたはもっと、自分を幸せにしてくれる人と一緒にいればいいのに」


「いいよ。勝手に幸せになるもん」


「報われないって分かったでしょ」


「知ってるよ。そんなの初めから知ってるよ」


ああもう、この人は

さっきからずっと、わたしの話ばかり


「先輩の話をしてよ」


「・・・私?」


「先輩、全然先輩の事教えてくれないじゃん」


ねえ、今何を考えてるの

なんでそんなに苦しそうなの

教えてよ


「先輩はいいの?このままでいいの?」


「・・・・・・」


「無性愛者だってきっと、誰かの手を取る権利はあるよ」


「・・・ないよ」


絞り出すような声だった

小さな子供が、何かを必死に我慢するような声だった


「私だって悔しいよ。恋って言う、誰でも幸せになれる権利が一つ、私には備わってないんだよ。なんで皆にはあって私には無いの。ずるいよ。悔しいよ。でもしょうがないじゃん。そう産まれてきちゃったんだから」


「・・・・・・」


先輩

先輩は今までそれで、どれだけ苦しんできたの?

恋って代替が効かないもの、生まれて来た時から奪われた先輩は、どれだけ苦しかったの?


「教えてよ。先輩の事」


わたしはテーブルに投げ出された先輩の手を握った


「私、私さ」


ぽつり、ぽつり、と一つずつ

一つずつ丁寧にトゲを抜いて、並べていくような話し方だった


「孫の顔も見せられないんだよ。一人っ子なのに」


「・・・うん」


「楽しそうに恋する人を見るとさ、羨ましかった。恋出来るのが羨ましかった。そんなに大切な人が出来るのが、ズルいって、ずっと思ってた」


「・・・・・・」


「大切にしたいって思う人が出来たって、完全に同じ気持ちにはなれない。そのせいで、あんたを傷つけて、なんで、普通に生きられないんだろうって」


「それは違うよ、先輩」


確かに傷ついたよ

わたしは先輩に、傷つけられたよ

でもそんなの


「完全に同じ気持ちになれないのなんて、他の人達も一緒だよ。普通に生きれてる人達だって、大切にしたくても傷つけちゃうときだってあるんだよ」


異性愛者同士の、普通のカップルだって

他人同士だもん

価値観の違いとか、認識の違いとか、傷つけてしまう要因なんていくらでもある


「わたしたちと変わらないじゃん。ならわたし達だけがこんなにビクビクして閉じこもってる義理なんて、無い」


そうだ

わたし達だって権利はあるよ

普通に恋が出来なくたって

一緒に幸せになる相手を見つける権利は、ある


「・・・でも、私は絶対にまたあんたを傷つけるよ」


「でもじゃない!先輩の分からず屋!」


思わず立ち上がって、先輩を上から怒鳴りつける

先輩は単純にびっくりしたのか、顔を上げてまばたきをしていた


「わたしは!どうせ傷つけられるなら先輩が良いって言ってるの!」


「なっ・・・!」


先輩はわたしを咎めるためか口を開いて、しかに何も言えずにパクパクとさせている


「傷つけた事にビビって逃げないでよ!わたしから逃げないでよ!先輩でしょ!」


どうせ恋なんて全部苦しいんだ

なら、この世界で一番残酷な恋を、まるごと受け入れてやる


「わたしの事、傷つけて良いから側に居てよ!」


わたしは、馬鹿だ

先輩も馬鹿

みんなバカ

恋する人間はみんな、狂っている

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