一線
朝登校する時はまだ曇り空だったのに、昼過ぎからは台風並みの土砂降りになっていた
この雨続きの季節も、もうすぐ終わりだろうか
落合真央はそんな事を考えながら校舎を散策していた
各ゼミの校外授業は停止
これから夜にかけて更に雨脚は強くなるとの予報で、一年生も六限目以降をカットして下校したようだ
校内には電車が止まったと嘆くもの、迎えを待つ者がちらほらと居る
それ以外は早々に帰ったようで、校内はしんとしていた
激しい雨音に包まれるように、灰色の校舎は時間が止まったようだった
本当はさっさと帰りたい所だけど、そうもいかない
手のかかる後輩のお世話が残っている
「彩羽」
「・・・・・・」
赤黒い暗室
そこにいた人影はもぞりと動くが、返事は無い
今日は例のコンクールの、一次審査発表日
すぐ調子に乗るこの子は、結果が良ければ私の元へ飛んできてどや顔でマシンガントークを繰り出すだろう
そうしていないという事は、つまりそういう事だ
暗室の隅に縮こまるようにして床に座り、顔を伏せている
なんて分かりやすいヤツ
「彩羽」
私はもう一度名前を呼んで横に座る
「・・・先輩。先輩は、人を慰めるのは得意ですか」
「苦手な方じゃない?」
実際、落ち込んだ後輩一人前にして、気の利いた言葉は思い浮かばない
「じゃあ、手、握ってください」
「ん」
だらんと垂れた彩羽の右手に、軽く手を重ねた
どうやら無駄に喋らない方が良いようだ
「わたし、いけると思ったんです」
「うん」
「そりゃ、実力が無かったのかも知れないけど。未熟なのは分かってるけど」
「・・・うん」
重ねた手に、ぎゅっと力を込めた
「落ちた事も、悔しいけどさ。一番、一番悔しくて情けないのは・・・!」
ぽとぽとと、俯いた顔から床へ涙が落ちていく
自分の感情を誤魔化さない
悲しい時はちゃんと泣く
そういう所、長所だと思う
「先輩が、あんなにしてくれたのに・・・!わたしのために、あそこまでしてくれたのに、わたし・・・何も残せなかった!」
「・・・・・・」
こんな時、なんて言えばいい
わたしがしているのは、ただ手を握っている事
可愛い後輩で、一応恋人の女の子に、泣いている女の子に、私はなんて言えばいい
もし、私が男だったら何かが出来たのかな
もし、この子を好きになれるような人間だったら、何かが違ったのかな
こんなにも、どうにかしてやりたくて堪らないのに
その感情が愛だって事は、知っているのに
どうして私は、この子に恋が出来ないんだろう
どうして、そう産まれて来てしまったんだろう
私がもし、無性愛者で無かったら
真っ先にこの子に、恋をしていたのに
「先輩。ぎゅってして」
「・・・ん」
私は包み込むように抱き寄せてやる
これは、私は何を求められているの?
もしこの場に私じゃなくてこの子の友達がいたら、同じことを頼んだだろうか
本物の恋人がいたら、もっと満たせてあげたのだろうか
友達と恋人と、私の境界線は何?
私はこの子にとって、一体なんなのだろう
そんな事を考えると、本当に情けなくなる
これは私のせい
輪郭が曖昧な私のせい
「・・・彩羽」
「先輩?」
だから、魔が差したのだ
真っ先に抱いた感想は「ああ、良かった。気持ち悪くは無い」だった
私は彩羽に、キスをした
頬に手を添えて、俯いた顔を上げさせて、唇を重ねた
触れ合うだけのキスをした
ほんの数秒で顔を離す
眼にあの子の顔が映った、その瞬間
彩羽はもがくように私を突き飛ばしていた
「先輩・・・!」
紅潮した頬。その眼は私を、睨んでいる
照れもある
でも、ああ、これは確実に、怒っている
「なんで?なんでキスなんてしたの・・・⁉」
あの子は立ち上がって、座り込んだままの私を睨んでいる
「それ、は・・・」
「わたしの事、好きでも無いくせに!」
「違う、私は・・・!」
「違く無いでしょ!先輩の好きは、わたしの好きと違うくせに!」
なんで?
なんで私は、あんな事したんだろう
「おんなじ気持ちじゃ無いならキスなんてしないでよ!」
この子はこんなにも悲しそうな顔をしているのに
私は、一体何をした
「わたしと同じ気持ちになってくれないくせに・・・!」
私はちゃんとあの子を好いているのに
どうして手を取る事は、許されないんだろう
「先輩なんて嫌い!嫌い嫌い嫌い!大っ嫌い!」
ぴしゃりと鈍い音を立てて扉は閉じた
あの子はドアの向こう側
私は赤黒い暗室に取り残されたまま、ドアのガラス越しにその泣き顔を見ていた
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