幕間3

入学した当初から、やたら眼に付く人ではあった

特に悪い意味では無いけれど、惹かれていた訳でも無い

確かに高校の時好きだった同級生も少しボーイッシュで、わたしは同性愛者だけど

でも女性全員を、下心ありきで見ている訳では無いんだよ?

ともかく当時は『少し目立つ先輩』くらいの認識だった

いつも一人でいるけれど、いつも真剣そうな顔をして何かに取り組んでいる

そんな印象の人

先輩と初めて会話したのは、四月の終わり頃だった

降水量8ミリの放課後。七分間

その七分が、わたしの人生を狂わせた

その日、当直で遅くなったわたしは人気のないバス停で待ちぼうけをくらっていた

一応は屋根とベンチがある小さなバス停

次のバスまではあと八分

濡れた傘を畳んでベンチの横に掛け、首元のネックレスをいじっていた

手遊びでなにかを雑にいじるのは悪い癖だとは思っている

無意識に金具を痛めつけていたのが悪かったのだろう


「いたっ」


ぷつん、とネックレスが弾けた

チェーンが切れたのか、するりと首筋を伝って床へ落ちていく

それを拾い上げた時だった


「壊れたの、それ」


振り返れば一つ上の先輩がいた

学校からこのバス停までは歩いて五分

傘も差さずに来たのか、黒い髪と羽織ったパーカーは濡れていた


「ちょっと触って良い?」


先輩の視線はわたしの手に握られたネックレスに向けられている


「は、はい」


わたしがネックレスを手渡すと、その人は何も言わず隣に座った


「丸カンがちょっと歪んでるだけだね。手、加えていい?」


「どういうことですか?」


「直せるけど、直していい?」


「え、はい!お願いします」


わたしの返事を聞き届けるやいなや、先輩は鞄からペンチを漁って取り出した

わたしがぎょっとしている間にも、先輩はペンチを使って器用に金具を直していく

しげしげと手元を覗き込むと少しやりにくそうにしていたけれど、何も言わなかった


「はい。これでいい?」


「わ!ありがとうございます!」


再びわたしの元に戻ってきたペンダントは一度壊れたと分からないくらい、綺麗に直っていた


「あの、お礼といってはなんですが。あ、未使用なので安心してください」


わたしがタオルと差し出すと、先輩は「ありがと」と言って受け取った

そのまま髪を絞ってべたついた顔を拭いている所を見ると、化粧はしていないようだ


「実は二つほど聞きたい事があるんですが、いいですか」


「なに?」


「なんでペンチ持ってるんですか」


「学校で使うの。君、うちの学校の一年生でしょ。わたし、動物風景ゼミだから」


なにが「だから」なのかは正直今でも分からない

入学して一か月未満の初々しいわたしは素直にそういうものか、と思った


「じゃあもう一つの質問なんですが、なんで傘持ってないんですか」


今日は朝から雨が降っていた

傘を忘れるという事はあり得ないだろう


「めんどくさかったから」


「めんどくさかったから?」


わたしは思わずオウム返しをした

学校からここまで走ってくる方がめんどくさくないだろうか


「傘折れたの。買うのめんどくさかったから」


「ああ、なるほど・・・」


そういう場合、まず「折れたから」と言わないだろうか

よく分からない人だ


「バス、来たよ。乗らないの」


「あ、乗ります」


気が付けばバスは一つ手前の信号まで来ていた

わたしは慌てて、先輩はゆっくりと立ち上がった


「じゃあ」


「先輩は?乗らないんですか?」


わたしがバスに乗り込んでも、先輩はまだバス停の屋根の下に居た


「私、バスは逆方向だから」


その言葉を断ち切るように、バスの扉は閉まり始めた

逆方向のバス

つまりバス停は道路を挟んで向こう側

横断歩道はここのバス停すぐ手前

わたしを見かけて、寄り道をしたのだ

あの七分は、ただただわたしのためにあったのだ

こんなに冷たそうな顔をして

他人なんて興味ないみたいな顔をして

フシューという空気音と共に、バスの扉は完全に閉じた

その人は、まだそこに立っていた

ドアのガラス越しにその顔を見た瞬間

わたしはあの人に、恋をした

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