レンズの向こう側

「それより、作品はどうするの。撮りたいものは決まった?」


「なんか・・・ダイナミックなの撮りたいですね。ぐわーってしてるけどなんかしん、としてるやつ」


「もうちょっと具体的に決めなよ」


先輩は呆れ気味に言う

だって先輩の去年の作品がそんな感じだったんだもん

森の中の、折れた巨木の写真だった

あの作品もここで撮ったんだろうか


「ま、食べ終わったらまた散歩しようか」


「そうですね」


「アスレチックエリアもいいかもね。許可を取れば人が入ってたっていいし・・・」


先輩が途中で言葉を切らした

掌を上に向けて、じっと上を向いている


「先輩?」


「・・・雨だ」


ぽつりと呟いた先輩の声が合図だったように、次第に雨が落ちてきた

雨脚はどんどん強まっていく

さっきまでよく晴れていたのに、いつの間に

慌てて子供に上着をきせる家族連れや、最悪だと言いながらものんびりくっつって歩いていくカップルの声が、やけに他人事のように聞こえた


「何してんの。彩羽」


「・・・先輩」


わたしがぼうっとしている間に、先輩はてきぱきと荷物を片付け終わっていた


「車戻るよ。急いで」


「・・・はい」


結局車に戻る頃には、台風レベルの雨になっていた

先輩の短い髪は雨を吸い込んでびしょびしょになっている


「今日はもう止まないね」


「そうですか・・・」


先輩は運転席でスマホを見ながらきっぱりとそう言った


「行くよ」


「わかりました」


先輩はあっさりスマホを手放すと、車のエンジンを回した

そのまま駐車場から出ていく

他の利用者はまだ、公園内で雨宿りでもしているのか、道は空いていた

でも


「あれ・・・」


駐車場を出て先輩が向かったのは、来た道とは逆の方

わたしが戸惑っている間にも、先輩は迷いなく車を走らせている


「先輩?道、逆じゃないですか?帰るんでしょ」


「何言ってんの。帰らないよ。アンタまだ作品撮れてないでしょ」


「え・・・」


公園から出て五分ほどだろうか

先輩の車は高台の岬のような場所へ入って行く

晴れていればここから青い海を見渡せるのだろう

岬のギリギリに設置された柵の手前にはベンチがあり、そのさらに手前には駐車スペースがある

他の車が居ない事を良い事に、先輩はベンチぎりぎりに車を横づけにして駐車した


「あんたはそこに居て」


「ちょ、先輩⁉何してるんですか⁉」


先輩は助手席の窓を全開にしてからエンジンを止めると、運転席から降りて行った

上着を脱ぎ、代わりに後部座席からレインコートを取り出して着ている

助手席側に回ってきた先輩が傘を差すと、車の中には雨が入って来なくなった


「ここからなら撮れるでしょ、海」


台風並みのゲリラ豪雨

それに荒れる、海


「で、でも先輩!危ないですよ!早く戻って!」


「出すんでしょ⁉作品!」


先輩は出来の悪い子供を叱責するように言った


「自信、付けるんでしょ!」


「・・・は、はい!」


「なら早くしなさい!私の望遠レンズ、多少防水だからそれ使って」


「はい!」


先輩のレインコートは、激しくはためいていた

大きな声でなければ互いの声も届かず、先輩の下ろした髪は乱れて顔にへばりついている

傍から見れば、意味の分からない二人組だろう

真っ当な大人が通りかかれば、危ないから止めなさいと叱るだろう

でもそんな事は放置して、わたしはカメラを握っていた

先輩の望遠レンズを借りて、海を覗き込む

雨で荒れる海

海岸に打ち付ける高波

風で岸から離され波に弄ばれる無人ボート

撮るべきものはいくらでもあった

目の前の光景を、これを見た感情を、どうやったら誰かに伝えられるだろうか

ここに居ない誰かに、わたしが撮った一枚で何か伝わるだろうか

すっ、と経験した事がないくらいに、わたしの心は凪いだ

外に居るままの先輩も、車に入ってくる雨風も

なんだか認識出来ないもののように感じた

ただ、レンズの向こう側だけがわたしの眼に映っていた

そうしてわたしは、シャッターを押す

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る