再告白


「ねえ先輩、わたし調べたんですよ」


「なにを」


「無性愛者」


先輩の眉がぴくりと動いた


「先輩、教えて下さいよ。ネットでは・・・」


やっと真面目な話が始まった所だけど、わたしは一旦言葉を区切る


ブレンドコーヒーと珈琲ゼリーを持った店員さんを見つけてしまったからだ


「お待たせいたしました」


やっぱりそれはわたしたちの注文だった


卓の上に商品が二つと伝票が増えて、店員さんが立ち去るまで、わたしも先輩も押し黙っていた


「ネットでは、一応調べたんですけど。やっぱりわたし、先輩から教えて欲しいです」


「調べたんでしょ。ならそれでいいじゃん」


コーヒーを啜る先輩は、実に億劫そうだった


いつもはブラックで飲むブレンドコーヒーにミルクを入れてかき混ぜている


「でも個人差があるって。人によってケースバイケースだって」


「・・・そうだね」


「・・・・・・触れて欲しく、ないですか」


「別にそういう訳じゃ無いけど・・・」


別に、って今日は良く言う


いつもはもっとズバズバハキハキ喋るくせに


流石の先輩にだって、デリケートな部分がある


「先輩がなんで億劫か、わたし分かりますよ。めんどくさいんでしょ」


「・・・・・・」


めんどくさい


正確には、どうせ分からないからめんどくさい


時間と労力の無駄


「でも先輩、聞きますけど。わたしの事『あ、こいつ女が好きなんだな』って思ったでしょ。少しでも思わなかったなら、引き下がりますよ」


「・・・・・・何が聞きたいの」


わたしと先輩は同じ土俵


めんどくさい同士で行こうじゃないか


「先輩は、男にも女にも興味ない人って事ですよね」


「人としての好感はあるよ。ただ、恋愛的に好きになることが無いだけ」


先輩は気だるそうにコーヒーを啜りながらそう答えた


今まで一体何回、先輩の中で反芻した言葉なんだろう


無性愛者は本人の趣味嗜好の話ではない


わたしたち同性愛者と同じ、生まれた時からそう決まっている


普通の人が自然と異性を愛すように、わたしたちは自然と同性を愛す


わたしたちが自然と同性を愛すように、先輩は自然と誰も愛さない


多分生まれ変わっても変わらない、魂に刻み込まれた人格要素なのだ


本人の意識次第でどうこう出来る問題じゃない


だからわたしも先輩も、鉛を飲み込んだみたいに胸が重くて喉が硬い


「私、あなたたちの事が分からない」


今日初めて、先輩がわたしへの返答以外で言葉をくれた


「友情も親愛も私の中にはあるのに、恋だけが無くて、あなた達の中にはある。・・・食べないの?」


「え?・・・あ、食べます」


先輩の視線は、運ばれたまま動かないわたしの珈琲ゼリーに向いていた


わたしはとりあえずスプーンですくってもしょもしょと咀嚼するが、細かな欠片が口に散らばって気持ち悪かった


ゼリーって、こんなに食べにくいものだったっけ


わたしも先輩と同じように飲み物にしておくんだった


「なに聞かれても、なに言われても、私はあなたの感情を理解出来ないよ。知らないから、そんなもの」


「・・・じゃあ」


わたしは頑張って珈琲ゼリーを飲み込んで、恐る恐る先輩の顔を覗き込んだ


「じゃあ、嫌でしたか」


あの告白が


「別に?」


先輩は当然のように答えた


「わたしの事・・・嫌いですか」


「私、嫌いな人とわざわざお茶しないよ」


「じゃあ好きですか?」


「まあ、後輩として」


先輩は若干口ごもるように答えた


それが余計に真実味を増して、わたしの心は一気に浮足立つ


「えー、わたし先輩に好かれてたのー?うれし」


「調子乗らない」


先輩はわたしをじとっと睨んだ


分かってる。そういう人だ


「それなら、一つ提案なんですけど・・・」


浮足立ちついでに言ってしまおう


先輩、怒るかな


「わたし達、お試しで付き合いませんか」


「お試しって、あんたねぇ・・・」


先輩は呆れたような眼でわたしを見た


無性愛者とか抜きにしても多分硬派な恋愛観の人だし、これが若者の感覚か、とでも思ったんだろう


「言っときますけど、マジの話です」


「マジの話ね」


はいはい、とでも続きそうな先輩に、わたしはぐっと身を乗り出して顔を近づけた


「わからないのって、悔しくないですか」


「・・・まあね」


「でしょう。わたしだって、先輩の事分からないの悔しいです。だから、少しでも何かわかるかも知れないなら、やってみたらいいじゃないですか」


「・・・・・・」


無言で先輩が居住まいを正した


呆れたようにわたしを見ていた眼の色が、変わった


いける


「先輩に好きな人がいないなら、わたしにキープされてくれたっていいじゃないですか。先輩がわたしの事嫌になったら引き下がります。なんの問題も無いでしょう?」


「ま、一理あるね」


「わたしは、わたしはね。先輩」


少しだけ前向きになり始めた先輩に、わたしは必殺技をかけることにした


「ただ、一人っきりで先輩を好きでいたくない。それだけなんです」


必殺技は泣き落とし


もちろん本心純度100%


だからこそ、この泣き落としには価値がある


「わたしが先輩を好きだって気持ちを、先輩に半分だけでも一緒に背負って欲しい。自分の気持ちを自分だけでしまい込むのは、もう限界なんです。嫌なんです」


「・・・それは、私があんたの好意を素直に受け取れば、それでいいってこと?」


「はい」


「私はあんたになにも返せないよ。絶対に報われない。それでも?」


「・・・はい」


「そう」


先輩はふむ、と呑み込むように、またコーヒーを啜った


「そういうもんか」


「そういうもんです」


ツンと鼻が冷えたけど、わたしは笑った


恋って、そういうもんなんです


「・・・わかった」


先輩はコーヒーカップをゆっくりと置いて、わたしを真っ直ぐ見据えた


「前提として、私は多分、なにがあってもあんたを好きにはならない」


「はい」


「主導権は私が握る。私が拒否した事には従って貰う」


「そのつもりです」


「よし、じゃあ・・・」


先輩は、やっと今までの億劫さから解放されたようだった


「付き合おうか。お試しでね」


「・・・本当に?」


「本当に」


「や、やったー!」


その瞬間、今までの気まずさも恥ずかしさも情けなさもどこかへ飛び去り、わたしは勝利の両手を掲げた


店内の数名がわたしたちへ視線を向け、一拍後に戻す


「ちょっと」


先輩は咎めるようにわたしを見る


でもそれは年長者としての注意じゃなくて、恥ずかしいからだ


「明日から、いいえ、今日からよろしくお願いしますね。先輩」


「・・・まったく」


先輩は出来の悪い飼い犬を見るような眼でわたしを見た


そういえば、わたしは良く周りからアホだのバカだの言われるが、素直さは長所だと思ってる


愛すべきバカというやつだ


わたしは今、二ヵ月憧れ続けた先輩と五秒前に付き合い始めた最強無敵状態


この世のどんなものも、わたしにかかればポジティブに変換されるだろう


ちなみにこの後完食した珈琲ゼリーは、多分この世で一番美味しかった

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