Ⅳ-04 ひさびさのお客様






 ホリデーシーズン明け。

 わたしはようやく、仕事を再開した。


「まさか、仕事を受けてもらえるとは思わなかった」

「お手紙を読んで、わたしでお役に立てるならと思って」


 仕事再開後、はじめて【Starly Jeweler】 スターリージュエラー のわたしのもとを訪れたのは、王宮の近くで皮革用品店を営むカーライルさん。

 50代くらいの男性で、ジェミニは顔見知りのようだった。






 カーライルさんは、休養中に手紙を送ってくださっていた。

 〖親愛なるピンクトパーズへ〗という書き出しの手紙には、「母の指輪の中石なかいしを新しく用意してほしい」との依頼が書いてあった。


 さっそく中石の外れた指輪を拝見し、サイズを確認する。

 そして、直径5.5mmのラウンドカット(輪郭が丸いデザイン)に仕上がりそうな原石をえらびだす。


「ピンクの宝石をご所望とのことだったので、いくつか用立ててみました」


 クンツァイト、ピンクサファイア、ピンクダイヤモンド、モルガナイト、ピンクトルマリン……


 ピンクといっても、その濃さも色味もさまざまだ。種類ごと、色の濃さに分けて、30個ちかい原石を並べていく。


「どれも……美しいけれど、これが一番良さそうだ」

「ピンクトパーズですね」


 カーライルさんが指したのは、発色の良いピンクインペリアルトパーズ。


「あぁ、そうか。ピンクトパーズというのは、あなたの本名かと思っていた」

「すみません。それは、愛称のようなもので」

「宝石には疎いもので、申し訳ない」


 カーライルさんは照れくさそうに、頭をかいた。


 加熱処理済のトパーズとはいえ、色が濃いため価格は跳ね上がる。

 しかしカーライルさんは価格を気にするようすもなく、「それでお願いします」と頭を下げた。






 今回のピンクトパーズは、ローズカットというカッティングをおこなうことになった。


 ドーム型のトップに、平らな底面をもつデザイン。

 ファセットは三角形で構成されていて、トップの中心が薔薇のつぼみのように尖っているデザインだ。


「母には、なにもしてあげられなかった」


 作業台のとなりで研磨のようすを見ながら、カーライルさんはぽつぽつと話す。


「父が戦死してからは、女手ひとつで私たち兄妹を育て上げてくれたんだ」


 カーライルさんがくれた手紙には、「母親の病気が進行しているので、指輪を直して最後の親孝行をしたい」という切実な想いが記されていた。


「母は、病気に伏せってからたびたび……『あの日の桜をもう一度見たい』って言ってたんだ」

「桜、ですか」


 だからピンクの石なのか、とようやく合点がいった。


「桜の咲く時期まで……もう、もたないかもしれないから」


 カーライルさんはそう言いながら、両方のこぶしをぎゅっと握った。


「いまは歩くことすらままならない。

 けが進んで、私たち兄妹のこともわからなくなることがある」


 大切な家族が弱ってゆくさまを、見ていることしかできない。自分たちのことすら、忘れてしまう。

 そんなカーライルさんの胸中を想うと、喉のあたりがきゅっと痛む。


「カーライルさんの想い、きっと伝わると思います」


 はぐらかし、その場をしのぐような返答しかできない自分が、情けなかった。






 それから1時間ほどかけ、ようやくトパーズの研磨を終えた。


「兄さん、連れてきたわよ」

「母さん。よかった、来られて」


 ちょうどそのタイミングでお店にやってきた、2人組の女性。

 腰を曲げたまま太い杖をつく女性が、カーライルさんのお母様らしい。


「妹と、母です。

 せっかくピンクトパーズが―――あなたが研磨するなら、裸石ルースの状態を見せたいと思って」

「ほら、お母さん。この宝石すごいわ、なんて美しく光ってるの……!」


 挨拶をするまもなく、妹さんは目を丸くして、研磨されたトパーズを覗きこむ。

 そしてお母様も、大きな瞳をますます大きくさせて声を上げる。


「まあ、まあまあまあ!」


 ケースにのせた裸石ルースのピンクの輝きが、お母様の瞳にうつる。


「すばらしいわ、光り輝いて……淡い、春の色ね。あたたかくて、やさしい色だわ。

 あぁ、なつかしい。いつかみんなで見た、あの桜並木のようじゃない?」

「桜並木って、なに?」


 お母様の腕を支えながら妹さんが尋ねると、お母様は2人の兄妹の顔を交互に見遣った。


「まぁ、ふたりとも忘れたの?

 お父さんと4人でピクニックに出かけた時に見た、あの桜並木よ」

「それって、すごく小さい頃でしょ? 憶えてないわよ」

「僕も、憶えてないなぁ」


 2人の反応を気にするそぶりもなく、お母様はうっとりと目を細めた。

 そして突然お母様が、歌うように言葉を口ずさみはじめる。


「青々ひかる春空に さくら百花ひゃっかに咲き誇る

 うすい花弁に透ける陽光 懐かしき春色の小径こみち

 あぁ あなたがたのこころにも

 久遠くおんに花が咲き満ちるよう―――」


 状況が掴めずにいると、妹さんはこらえきれない様子で笑いだした。


「ふふっ、母はむかし、趣味で詩を書いていたの」

「しかし、詩を詠むのは数年ぶりじゃないか?」

「そうね、ひさびさに聞いたわ」


 笑いながらも、2人の兄妹はどこか嬉しそうだった。

 病気が進んでいるとは思えないほど生き生きしたお母様の表情に、こちらまで元気をもらえたような気がした。







 研磨したトパーズは宝飾加工に回し、指輪の中石として埋め込む加工がおこなわれた。


 夕方には完成し、カーライルさんと妹さんが受け取りのためにふたたび来店した。

 指輪のできあがりに、お二人も満足してくださったようだ。


「最初のころ転売されていた【StellaMare ステラマーレ】の価格を見て、覚悟していたのだが―――本当にこの金額で良いのか?」


 支払いをしながらカーライルさんは、おずおずとジェミニに尋ねる。


「えぇ、【StellaMareステラマーレ】の研磨費については、当初からこの金額設定とさせて頂いております。これでも、通常の研磨費よりも割高ですので……」

「だが、しかし―――」

「ちょっと兄さん、購入したばかりでもう売ることを考えているの?」

「いや、決して転売を考えているわけではない」


 カーライルさんと妹さんのやり取りに、ジェミニは微笑みながらかぶりを振った。


「いえいえ、購入した宝石を売ること自体には問題はないのです。お客様の良きタイミングで売って頂いて構いませんよ。

 問題なのは、ですから」


 ジェミニの言葉に、2人は揃って首をかしげた。


「宝石というのは、還流かんりゅう商品という考え方もできます。

 さまざまな理由から宝石を手離すお客様がいらっしゃって、それを我々が買い取り、磨き直し、必要とされるお客様にご購入いただく。

 宝石を売ってくださる方がいなければ、我々の商売はいずれ停滞してしまいます」


 ジェミニが言うと、カーライルさんは納得したようすで「そうか……」と呟いた。

 ジェミニと目を合わせ、わたしも続けて言う。


「わたしは、あなたとあなたのご家族のためにこのピンクトパーズを磨きました。

 ですから、あなた方の生活のために役立つのであれば、この宝石をどう扱って頂いても構いません」


 それは、心からの想いだった。


「ほんのひとときでも、お母様のこころに咲く花と―――光となれば、本望でございます」


 先ほどのお母様の表情を見れば、わたしの想いはもう十分に届いていると確信できる。


「あなたに頼むことができて、本当に良かった。ありがとう」


 カーライルさんの言葉に、わたしとジェミニは揃って頭を下げた。







「手紙をくれたお客様からの依頼を請けるというのは……良い手だったな」


 店をあとにする2人を見送りながら、ジェミニはぽつりと言った。


「休養中にいただいたお手紙に、わたしも励まされたので……こうしてお返しできることが、うれしいです」


 転売対策をしながら、【StellaMare ステラマーレ】の販売を再開するには―――そう考えていたとき、休養中に頂いた手紙のことを思い出した。


 新たに注文を受けるのであれば、このをまず受けてはどうか。

 そう、ジェミニとお姉様に相談したのだ。


 お姉様からは、「お客様の身元も知れるし、手紙と対面でしっかりお話ができれば転売対策にもなる」と太鼓判をおしてもらえた。


 そして実際に手紙を送ってくださったカーライルさんと連絡を取り合い、仕事をお請けするはこびとなったのだ。


「体調は大丈夫か?」

「はい。むしろ少しくらい動いたほうが、元気が出ます」

「絶対に無理はするなよ。ティアひとりの身体じゃないんだ」


 冷たい風がひゅるりと吹いて、ジェミニはそっとわたしの肩を抱き寄せた。


(カーライルさんのお母様はきっと―――今年のうつくしい桜を、家族とともに見ることができるわ)


 確信めいた祈りを胸に、わたしはひさびさのお客様の背中を見送った。

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