Ⅲ-09 かさなる愛






 自宅に着くと、わたしとジェミニはソファーに沈みこみ、同時に息を吐いた。

 あまりにタイミングが揃っていたので、お互いにふきだしてしまう。


「疲れたか?」

「精神的には。身体は元気です」

「すごいな、君は。どこからその体力が湧いてくるんだ?」

「魔封じをせずに過ごしてるからかな……

 たぶんそのおかげで、元気があり余ってるんです」

「ふはっ! そうか、元気ならなによりだ」


 背もたれに肘をつき、ジェミニが屈託なく笑う。

 その笑顔を見て、「あぁ、ジェミニが帰って来たんだ」とうれしくなる。

 あまりにもバタバタしていて、ジェミニとの再会を喜ぶ余裕すらなかったのだ。


「ティア」


 そしてそれは、ジェミニも同様のようだった。

 まだまだ課題は残っているけれど、今日はひと呼吸入れられる。お互いに、そんな気分だった。


「本当に……君には何度お礼を言っても足りないな」


 ジェミニはわたしの左手をとり、薬指にひかるピンクトパーズをゆるゆると指で撫でる。


「なにか欲しいものはないか」

「これ以上与えてもらったら、わたしの腕からこぼれ落ちます。もう、十分です」

「困ったな。

 君の望みをどれだけ叶えても足りないくらい、私は君に感謝しているのに」

「ジェミニが喜んでくれることが、今のわたしの一番のしあわせです」


 わたしが言うとジェミニは目をまるくして、それからうれしそうに笑った。


 そっと身を寄せて、わたしの唇にキスをする。ゆっくりと唇を離すと、わたしの身体を腕の中に包んだ。


「ずっと、ティアに会いたくてしかたなかった」


 その声はどこか切なさを含んでいて、なぜだか胸がぎゅっと痛くなる。


「わたしも、です」

「……こんなにも人を愛おしいと思うのは、初めてだ」


 そう言ってジェミニは、わたしを抱く腕に力をこめる。わたしの髪に頬をすり寄せ、息を吐く。


(寂しいのは、わたしだけじゃなかったんだ)


 かすかに、ジェミニの心臓の鼓動がきこえる。それと同じくらいに、わたしの心臓も大きくはずんでいる。また、胸が痛む。


「……本当は、出立前に言うべきだったんだが」


 そう言って名残惜しそうに、わたしを抱きしめる腕をゆるめるジェミニ。


 その真っ黒な瞳をきらめかせ、潤ませて。ときどき、恥ずかしそうに視線を揺らしながら。




「ティア、俺は……君のことが好きだ。

 世界でたったひとり、ティアのことだけを愛してる」




 瞬間、星のひかりが駆け抜けたかのように、またひとつ世界がかわった。


 揺らぐ瞳がいとおしくて、まるで初めて恋を知った男の子のようにあどけない、その言葉がやけに胸に沁みてきて。


 恥ずかしさをかくすかのように、ジェミニはもういちどわたしを抱き寄せる。


「毎日毎日、ティアのことばかり想ってた。病気にかかったみたいに、ティアのことが頭から離れないんだ。

 俺もこんな風に人を愛するんだって……正直驚いたよ」


 そのせりふがあまりにも愛おしくて、わたしもジェミニの背中に手を回した。


 ジェミニはわたしの髪を撫でながら、すこし甘えたように言葉を並べる。


「もう、離れたくない。

 今度遠征に行く時は、一緒に来てくれ。そうしないと俺が、困る」

「ぜひ、連れて行ってください」

「あぁ。もうここに残しては行かない」


 わたしの髪にキスをおとし、ジェミニはもういちど、わたしを抱きしめる腕に力をいれた。


 そして、いつもと変わらぬやさしい、甘い声で。


「2人でいろんな景色を見よう。世界はもっともっと美しいんだって、ティアに知ってほしい」


 あぁ、もう、このひとは。


 いつだってわたしが望む以上のことばを、くれる。こんなにも多くの愛を与えてくれているのに、それ以上のやさしさをくれる。


 希望を、生きるちからを、ひかりを、与えてくれる。

 わたしが知らなかった世界の、すべてを見せようとしてくれている。


「ティア? 泣いてるのか」

「ごめん、なさい」


 うれしくて、苦しくて。

 ジェミニの前ではいつも、涙腺がゆるんでしまう。

 おさえていた感情が、かんたんに露わになってしまう。


「ほんとうに、わたし……ジェミニに出逢えて、よかった。

 ジェミニのことが、大好きです。どうしようもなく、好きで、好きで……」


 想いが、爆ぜる。

 そうだ。わたしもちゃんと、伝えないといけなかった。


「わたしに出逢ってくれて、ありがとうございます。あなたを、世界でいちばん、愛しています」


 溢れ出る想いに、溺れそうだった。

 こらえきれず、それから何度も、何度も、キスをした。

 お互いの唇のかたちを覚えてしまうくらいに、何度も、何度も。

 ずっと胸が痛くて、呼吸さえも苦しくて。しあわせで、しあわせで、しあわせで。


 

 




 その夜、わたしとジェミニははじめて、結ばれた。

 あまく、優しく、痛いほどの愛がかさなって。わたしたちを隔てるものは、なにひとつ存在しなかった。


 いつ死んでも後悔しないと思うほどの幸福感で満たされて、これ以上欲しいものなんてあるはずがなかった。


 もしも願うとすれば、生きているかぎりこのしあわせが永久に続き、死んでもなおジェミニと魂をともにして居られるようにと、ただそればかりだった。






 幾度となくからだを重ねたあと、ジェミニは布団に沈みこんだ。


「元気があり余ってるってのは、ほんとうだったな……」

「でも、もうおしまいです。明日からが本番だもの」

「俺ももう、出せるモンがない」


 ベッドに横たわったまま、ジェミニは肘をついてこちらにからだを向ける。わたしの目にかかった前髪をすくいながら、まぶたにキスをおとす。


 なんとなく気持ちが落ち着かないのは、いちばんの大仕事が待っているからだろう。ジェミニのからだに身を寄せ、窓の外の星空を見遣った。


「……やはりプレッシャーか?」

「はい、とても。でも、最高の宝石にするって言っちゃったから、やるしかありません」

「ははっ、工房長の教えか? 言葉ってのも、一種の魔法だな」

「本当にそう思います」


 会話をしながらも、ジェミニのまぶたはほとんど閉じかけていて、ひとつ小さく欠伸をする。


 サラ王女の想い―――

 工房では、そればかりをずっと考えていた。


(自由な国の象徴。国民、みんなの指針、目印となるような―――)


 そう考えて、ふと、ジェミニが以前話していた言葉を思い出す。


「……星」

「ん?」

「星です! ジェミニが出立前に、船の上で指針になるって言ってた……」


 初めて研磨をさせてもらったあの夜、ジェミニが言っていた。

 星が、船上で方角を見失わないための指針となると。


「あぁ……ポールスターのことか」


 ジェミニは欠伸を噛み殺しながら、ぽつりと言った。

 聞いたことのない星の名前。わたしは慌てて身体を起こし、ジェミニの顔をのぞきこむ。


「教えてください! ぽーるすたーとは、なんですか!?」

「…………」


 すると、先ほどまで起きていたはずのジェミニが、目を閉じてわざとらしく寝息をたてていた。


「寝たふりしないでください、気になって眠れません~!」

「明日だ、明日! ちゃんと明日教えてやるから、今日はもう寝ろ!」


 がばっとジェミニに羽交い絞めにされて、わたしはそのまま身動きがとれなくなった。

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