Ⅲ-03 両親の想い





 夜はしずかに更けてゆく。

 ランプの灯のゆらめきと、研磨盤の音だけが工房を包んでいる。


「あなたはなぜ、研磨師を目指しているの?」


 オリーブ色に艶めき、ひかりを帯びてゆく橄欖石ペリドットを眺めながら、彼女はしずかに口を開いた。


「父が研磨師だったので、幼い頃から宝石を身近に感じて育ちました。

 だからせめて、父の……想いを継いで、生きてゆきたいとは、思っています」


 この質問への返答は、まだ確固たるものができあがっていなかった。

 憧れ。両親への想い。外の世界を知りたい、働きたいという想い。


 けれどこれらは、きっかけに過ぎない。

 あの日、ジェミニと共に研磨カッティングをおこなったとき―――わたしは初めて、生きることを認められた気がしたのだ。


 あの夜、わたしは本当の意味でこの世界に生をけたのだ。


「いまは、わたしにとってこれが、生きる意味のひとつとなっています。うまく言えなくて、すみません」

「あなたにとっての、第二の人生セカンドライフってことね」

「そのとおりです」


 本格的にこの世界に足を踏みいれたいまとなっては、石と語らうことが、生きがいとなっている。

 まっすぐに石と向き合えることを、なによりの幸福だと感じている。


「最後に仕上げ磨きポリッシングをします。

 あと少しで作業は終わりますが……あの、追われていて危険なのであれば、職人を呼んできましょうか」


 もうしばらくすると、わたしも乗り合い馬車で帰る時間になる。


 工房の裏手には住み込みの職人用の寮がある。声をかければ一人くらいは、彼女の護衛として出てきてくれるだろう。


「あぁ、いえ、大丈夫。そろそろ迎えが来ると思うから……巻き込んでしまってごめんなさい。

 今日は、家出みたいなものなの」


 彼女は伏し目がちに、誤魔化すように笑った。


「大切なひとを亡くしたの。それで、ちょっと……現実から逃げたくなっちゃった」

「ご家族……ですか?」

「えぇ、祖父よ。親を早くに亡くした私たち姉弟を、我が子同然に可愛がってくれた。

 祖父は、私のいちばんの理解者だったわ」

「それは……おつらいですね」


 こういうとき、どんな風に言葉をかければ良いのかわからなかった。

 彼女の悲しげな表情は、変わらない。


「あなたも、ご両親と離れるのはつらかった?」


 彼女に聞かれて、わたしはこの数年間のことを思い返す。

 両親に見送られ、泣きながら祖国を発ったあの日のことは、今でも忘れられない。


「そう、ですね。長いこと……悔やんでばかりいました。

 あのまま最期まで、両親と国とともに命を散らすべきだったのではないかと」


 養父に心配をかけまいと、サウスハルではただただ前を向き、必死に生きた。


 それでも瞬間的に、かなしみと後悔、死んでしまいたいほどの自己嫌悪に襲われるときがあった。

 なぜここに居るのか、なぜ両親を捨てたのか、と。


「でも、ここに来て……考えが変わりました」


 わたしが言うと、彼女は眉を下げたままわたしを見遣る。


「わたし、知らなかったんです。外の世界のことを。

 人が人を迫害することが当然で、性別や生まれで全てが決まる……そんな世界しかないと思ってた。

 だからこの国に来て、本当に……おどろいたし、嬉しかったんです」


 魔女として、クエニ人として。

 生きることを否定され続け、価値がないものとして扱われ、それが当然だと思っていた。


 でもここでは、魔女は魔女として、女性は女性として、人は人として、生きることが認められている。


「クエニでもサウスハルでも、みな懸命に、必死に生きていました。

 ニューアミリアの人も、おなじように懸命だけど……でもここの人はみんな、輝いているんです。生きることを謳歌してる。

 それはきっとこの国が、愛と希望に満ちた、命が輝く国だからだと……思っています」


 だれもが自由という権利をもち、人との和を大切にしながら、生きている。

 こんな世界があるだなんて、ここに来るまでは思いもしなかった。


「そう思うと、両親は……わたしに、生きてて欲しかったんだなって。

 わたしに、こういう幸せな世界があるってことを教えたかったんだろうなって……思うんです」


 両親への後悔は尽きないけれど、いまなら、両親の想いが理解できる。

 だからわたしは、なにがなんでも幸せに生きなければならない。


 わたしは、幸運だ。いま、生きていてよかったと、心から思えるから。


「……って、すみません。わたしの話ばかりで」


 謝りながら彼女を見ると、その青い瞳から涙をボロボロとこぼしていた。


「え!? だ、大丈夫ですか!?」

「いえ、あの、つい……すみません」

「え、え、なんで……」

「ちがうの。大丈夫、本当にごめんなさい」


 ハンカチを差し出してなだめるものの、「大丈夫、作業を続けて」と言いながら彼女はしずかに泣き続けている。

 どうしたらよいものかと戸惑いながらも、わたしは作業を再開した。


 それからしばらくすると落ち着き、ときどきしゃくりあげながらも橄欖石ペリドットの研磨が終わるのを最後まで見届けてくれた。


「できあがりました」


 スティックから石をはずして洗浄し、柔らかい布で拭きあげる。

 彼女はわたしの手の中の橄欖石ペリドットを覗きこみ、興奮したようすで声を上げた。


「すごい、すごい! ほんとうに美しいわ。手に取って見てもかまわない?」

「もちろんです」


 先ほどまでの涙はどこかに引っ込んだのか、彼女は満面の笑顔で石を受け取った。


「きれい……こんなにも美しく煌めく宝石は、見たことがない。

 新緑の若葉のあいだから差し込む、お日様みたい。なんだかあたたかくて……見ていると、優しい気持ちになれるわ。

 内包物インクルージョンも、こうして内側から光らせるとまるで星のしずくのようね」

「ありがとうございます」


 子どものようにはしゃぎながら石を眺める彼女を見ていると、つられて笑顔になる。

 はじめは戸惑ったけれど、彼女に研磨を見てもらったことで、わたしまで元気をもらった気がした。


「よかったら、差し上げます」

「えっ、いいの? 本当に!?」

「褒めてくださった、お礼です」


 その時、工房の外からゆったりとした馬の足音と、りんりんという鈴の音が聴こえた。

 彼女は「迎えがきたわ」と、ふたたびスカーフを巻いた。


 橄欖石ペリドットを厚手の小袋に入れて渡すと、大切そうにポケットにしまった。


「あなたと話せて……ほんとうによかった。

 いつか必ず、お礼をするわ」

「またいつでも、遊びにきてください。今度はあなたのお話も、聞かせてくださいね」

「ふふっ、わかった! 今日はほんとうに、ありがとう!」


 扉を開けると、通りの向こうに2頭の馬がおり、それぞれに男性が1人ずつ跨っていた。

 暗がりでよく見えなかったが、男性2人は高貴な身分の方の服装のように見えた。


 彼女はわたしに手を振ると、元気よく2人のもとへと駆けていき、男性の手を借りながら後ろに跨った。

 その姿を見送り、わたしは工房の扉を閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る