Ⅲ-02 静夜の来訪者





 外で軽く昼食を済ませると、保管庫に足を運んだ。

 休日でも保管庫には、見張りの当番が交代でついている。


「よう、ピンクトパーズ。休みの日まで、精が出るな」


 日中に泥棒なんて来ないとタカをくくっているのか、見張りの職人は輸入したての紅茶をたしなんでいる。


「少しでも早くみなさんに追いつきたくて」

「研磨師の手は全く足りてねぇからな! 期待してるぜ」


 実際、採掘や輸入により次々と運び込まれる原石の数々に、研磨師の仕事はまったく追いついていなかった。


 ヴァンダーヴェルト商会では、じつにさまざまな原石を取り扱っている。

 なかでも多いのが、ニューアミリアで多く採掘されるダイヤモンドだ。


 クエニ王国  祖国  では、「採れない宝石がない」といわれるほど多様な宝石の鉱山があったが、ダイヤモンドだけは採掘されなかった。

 宝石の産出に関しては、ニューアミリアとクエニ王国は対極といえるかもしれない。


 石の中でもっとも硬いダイヤモンドは、研磨にもコツがいる。

 おかげでニューアミリアには自然と優秀な宝石研磨師が集まり、研磨技術の発展においても世界で一目置かれているという。


 逆にいうと、高い技術をもつ研磨師は簡単には育たないし、簡単には集まらない。

 だからいつだってうちの工房は人手不足なんだ、というのは、工房長の口癖だ。






 保管庫から研磨練習用の原石をいくつか持ち出し、午後も研磨の練習を続けた。


 窓に差し込む西日が、長い影をつくりはじめた。


 ふと手を止めて、研磨し終えた宝石を眺める。

 練習用とはいえ、石は石。磨けば輝くし、西日を浴びればより一層のひかりを放つ。


 透明感の高いブルーのアイオライト。

 爽やかなイエローのシトリン。

 女性らしくやさしいラベンダージェード。

 清々しく淡いピンクのクンツァイト。

 ひかりの分散がうつくしい褐色のタイタナイト。


 そのゆたかな色彩を眺めながら、そろそろ灯りをつけようかと考える。

 そのまま椅子にもたれかかると、うっかり目を閉じてしまった。






 コンコン、と。 

 工房の扉のノッカーが鳴らされる音で目を覚ます。


 椅子に座ったまま、居眠りをしてしまったようだ。

 外はすでに、夜の帳が落ちている。わたしが研磨した宝石だけが、暗闇のなかうっすらと光を放っている。


「すみません。中に入れてくれませんか」


 聞こえたのは、女性の声だった。


 なにごとかと慌てて扉を開くと、部屋着のような心許ない格好の若い女性が立っていた。

 頭にはスカーフを巻いており、ランタンもなにも持っていない。


「夜分にすみません、灯りが見えたもので。

 ちょっと追われていて、かくまってもらえませんか」

「え、えぇ、構いませんけど……」


 追われていると言うものの、女性からは強い切迫感は感じなかった。

 とりあえず中に引き入れて、扉に鍵をかけた。椅子に座らせるとカーテンを閉め、光源となっている宝石を箱にしまいふたをした。


「暗いけど、少し我慢してください」

「えぇ、ありがとう」


 しばらくすると、馬が駆ける足音と男の人の声が通り過ぎた。女性はそっとカーテンをあけ、隙間から外のようすを覗き見る。


「……行ったみたい」

「よかった。灯りをつけるので待っていてください」


 騎馬に追われるなんて何者だろうと思いながらも、追い返すわけにはいかない。手さぐりで工房内を進み、ランプに火を灯した。


「ここは、ヴァンダーヴェルトの宝石工房ですよね」

「はい、そうです」


 明るくなった工房内を見回し、女性は言う。ここが研磨工房とわかって、彼女は中に入ってきたようだ。


「あなたはもしかして……ヴァンダーヴェルト家にとついだお嫁さん?」

「は、はい。ティアナ・ヴァンダーヴェルトと申します」


 言い当てられるとは思わず、つい身を固くする。

 しかし彼女のほうは安心したように、ふっと笑った。


「こんな時間まで、ここでなにを?」

宝石研磨カッティングの練習をしていたんですが……居眠りしちゃって」

「ふふっ。女性の研磨師とは、珍しいですね」

「まだ、見習いですが。

 その……お茶でも飲まれますか?」

「まぁ、ありがとう」


 矢継ぎ早に質問され、わたしは彼女が何者なのか尋ねるタイミングをなくした。


(お客さまか、商会関係の方かしら……粗相のないようにしないと)


 お茶を淹れて戻ると、女性は頭に巻いたスカーフを外していた。


 同い年くらいだろうか。うつくしいブロンドの髪と青い瞳。ふっくらと艶やかな珊瑚色の唇が愛らしい、綺麗な女性だった。


 「ありがとう」とお茶を受けとると、丁寧な所作でひとつ口をつける。


「まだ練習をされるの? 研磨のようすを見てみたいわ」

「えっと……」


 どのような相手かもわからないのに、むやみにこの力を見せるべきではないことは、わかっていた。


「あの、ここで見たことを、秘密にしてくれるなら」

「えぇ、秘密は守ります」


 しかしなぜか、と感じた。

 自分の直感を信じて、わたしは研磨の準備を始めた。


 





「その緑の石は?」


 手もとが暗くならないように灯りを置くと、女性が興味深そうに覗きこんでくる。


橄欖石ペリドットです。色合いは良いのですが、内包物が多く透明度が低いので、研磨の練習用にしています」


 研磨盤を回し、盤に少量ずつ水が落ちるようレバーを調節する。


「まずは、砥石のついた研磨盤をつかっておおまかに形をつくります。

 最初は頂点にあたる、テーブル面から」


 小さな原石を指先でつまみ、研磨盤にあてる。

 宝石の天井部分にあたるテーブル面を、平らに削る。


「水を流すのは、なにか意味があるの?」

「摩擦熱をおさえるためです。熱をもつと、石が割れてしまうことがあるので」

「へぇ。じゃあ、その棒は?」

「小さい原石なので、石をスティックの先に固定して研磨をおこないます」

「たしかにこんなに小さいと、手で持って研磨できないものね」


 ワックスを温めてスティックの先に塗りこみ、テーブル面をスティックに固定する。ワックスが冷めるのを待ち、研磨を再開する。


「周囲を円の形に削りながら、円錐状にしていきます」

「上下でいうと、宝石の下の部分ってことね」

「そうです。わたし達はこの宝石の下部のことを、パビリオンと呼びます」


 スティックの角度を調整しながら削ってゆくと、おおまかな形ができた。


 研磨盤を入れ替え、粗めの研磨剤をのせ、下部パビリオンファセットをつくっていく。

 拡大鏡で確認しながら慎重に、細かく面をつくってゆく。


「へぇ……かなり細かく面をつくるのね」

「面があると、光を反射してうつくしく煌めくんです。サイズが小さいので、つくれる面は限られますが」


 一度ワックスを溶かして、石の上下を入れ替える。今度は宝石の上部にあたるクラウンに、面をつくっていく。


 食い入るように見ていた彼女も、だんだんぼんやりした様子で膝を抱えはじめた。

 わたしの手もとを眺めながら、質問を再開する。


「ティアナさんは、どこのご出身?」

「クエニ王国です。亡命して、サウスハルに渡りました」

「クエニですか、それは難儀でしたね。ご両親もいっしょに?」

「わたし一人です。両親は……生きているかどうかも、わかりません」

「そう……」


 クエニの情勢については、彼女も承知しているらしい。

 長い睫をぱちぱちとしばたたかせたかと思うと、彼女は押し黙ってしまった。


 だいたいの形ができあがったら、研磨剤を細かいものに変える。

 徐々に表面を磨いてゆくと、ひとつひとつの面が艶を帯びる。


 研磨が進むうちに、ペリドットはすこしずつ光を放ちはじめた。

 彼女もその不思議な現象に気が付いたようで、ふたたび身を乗り出して言う。


「すごい、驚いたわ。あなたが魔女だから、こんなふうに光るの?」

「そう……だと思います」


 やはり彼女は、わたしのことを魔女だとわかっていたようだ。

 わたしの見た目からか、商会関係者から聞いて知ったのかはわからないけれど。


「まだ、この光る宝石をどうあつかうかは決まっていないのです。だからここで見たことは、秘密にしてください」

「わかりました。恩人との約束は、かならず守るわ」


 彼女が深く頷いたので、わたしも安心してふたたび作業を再開した。


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