Ⅲ.第二の人生を、この街で
Ⅲ-01 研磨工房での日々
日の出と同時に家を出る。
向かいのパン屋さんからはもう、パンの焼ける良い香りがしている。
「今朝も早いな、お嬢さん!」
「おはようございます」
カチャカチャガタガタと、荷車を引く音が通りに響く。牛乳配達人のおじさんと、すれ違いざまに挨拶をする。
広場では、ご老人たちが快活におしゃべりしながら体操をしていた。
広場を通り過ぎ、川沿いの道を歩いてゆく。
行きはゆるやかな上り坂。研磨工房にむけて、川の流れと逆の方向に進む。
すると橋の手前から、急ぎ足で歩いてくるご婦人が目に入る。
「大丈夫ですか?」
「スカーフが流れちゃって、追いかけてんのさ!」
「大変。あのグリーンのスカーフですか?」
「そう、そう」
スカーフは川の流れにのってゆらゆらと下流へと流されている。
わたしはとっさに、「
川の底から、水のかたまりが鷹のすがたとなって飛び出してくる。
鷹は水面すれすれを飛翔し、またたく間にスカーフに追いついた。
くちばしでスカーフを咥えると、スイーッとこちらへ飛んでくる。わたしの手元へふわりとスカーフを落とすと、そのまま鷹は水の中へと還っていった。
「な、なんてこと……
噂の
「驚かせて、すみません」
「いやいや! 大事なスカーフだったんだ、助かったよ」
「それならよかった」
ご婦人に別れを告げ、わたしはさらに上流に向かって歩いてゆく。
やがて風景には田園が多くなり、それからまもなく大きな保管庫と研磨工房の水車が見えてくる。
となりの麦畑は、昨日のうちに収穫を終えたようだ。乾燥のために、すでにはさ掛けがされている。
(あの黄金色とは、しばらくお別れね)
刈り取られた麦畑を数秒眺めながら、ジェミニのことを想う。
うつくしい夕日と、風にゆらぐ黄金の穂、ジェミニのやさしい笑顔。
(元気にしているかしら。またやつれて帰ってきたら、どうしよう)
思い出すとなんだか鼻の奥がつんとなるので、かぶりを振って工房の鍵を開けた。
前日に買っておいた、朝食のパンを頬張る。
食べ終えてエプロンをつけると、さっそく作業台に座った。
(……って、そっか。今日は休日でみんなお休みだから、慌てなくてもいいんだ)
ふだんは、始業前と終業後を研磨の練習にあてている。
仕事中は見学や納品の手伝い、物品の買付けなどで忙しい。原石から研磨をおこなう時間は、多くは取れないからだ。
ここ数週間のことを思い出しながら、わたしはゆっくりと準備を始めた。
婚約の儀式の翌日、ジェミニはニューアミリアを発った。
その少し前から、わたしは正式に研磨師見習いとなり、毎日工房に足を運んでいる。
「今日からよろしくな、奥様」
初日の勤務の日、筋骨たくましい50代くらいの
「奥様と呼ばれるのはちょっと……みなさんにとっては弟子で、下っ端のようなものですし」
「しかし、名前で呼んだりしたら
すると一番弟子の研磨師が、腕組みをしながら言う。
「瞳の色にちなんで、『ピンクトパーズ』というのはどうです?」
「……なるほど。それなら呼びやすいかもしれん」
そんな流れで、わたしは研磨工房では『ピンクトパーズ』という愛称で呼ばれるようになった。
やはり、わたしの研磨した石はすべてふしぎな光を纏っていた。
強い光ではないけれど夜には目立つので、保管庫の地下でひそかに保管されている。
石からはわずかに魔力が漏れてはいるものの、強い魔力ではない。
「すげえなぁ……光る宝石なんて、見たことねぇぜ」
「ほかの
「バカ、
しばらくは腫れもののようなあつかいだったけれど、日ごとに馴染んでいってる……と、思う。
研磨工房では20人ほどの研磨師が働いていた。みな男性で、力仕事も多いので体つきもしっかりしている。
研磨師同士は仲がよく、仕入れた原石をどう削るか相談しあったり、新しい研磨デザインを競い合ったりと、和気あいあいとした職場だった。
なかでも
「
なぜかわかるか?」
仕事の合間をみては、こうして研磨師として必要な知識や考え方を教えてくれるのだ。
「研磨の前に原石の価値をわかっておく必要があります。
研磨によって原石の魅力は引き出せても、原石がもつ以上の良さを引き出すことはできないので」
「うむ。その通りだ」
「あとは、
「よしよし、よくわかっとるな」
「そして研磨師としてもっとも重要なのは、自分の
自分が研磨すれば、この原石を最も輝かせることができる、ってな」
「それは、確かに……大事なこと、ですね」
「客に売りつける以上は、虚栄でもいいから胸張ってなきゃいけねぇ。
『自信はないけど削りました』なんて宝石を買う客が、いるか?」
「……いえ、いないと思います」
「だろ?
ハッタリでもいいから、研磨師は『持てる全てを出しきって、最も素晴らしい
「すごく、よくわかります」
宝石は、一流の証として、その富の証として保有するものだ。
自信のない研磨師が削った宝石を欲しがるお客さんなんて、いるはずがない。
「いずれは
その時に、シャンと胸張って石に向きあえるようになってればいい」
「はい! ありがとうございます、
だからこそ、少しでも時間を見つけては石と向きあい、語らいながら、自分の腕を磨くしかない。
(ジェミニが戻ってきたときに、成長してるって思ってもらいたい)
せっかく与えてもらった仕事のチャンスをつぶしたくなかったし、ジェミニをがっかりさせたくなかった。
それに何よりも、
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