Ⅱ-04 婚約の誓い








 自宅に戻り、食事とシャワーを済ませた。


 縁談が急に決まったこともあり、この家にはベッドは一台しかなかった。ジェミニは本当に、結婚する気がなかったようだ。


 昨日は成りゆきで同じ部屋で寝ることになったけれど、婚姻前なのでジェミニは客間のソファで寝ると言いだした。


 押し問答の結果、「なにもしない」という暗黙の了解のもと、今日も同じベッドに寝ることになった。


「君に謝らなければならないことがある」


 ベッドに並んで腰かけ、ジェミニは気まずそうに言う。


「またしばらく……今度は2ヶ月ほど、家を空けることになりそうだ。

 次は移動にかかる日数も長いので、できれば君はここで待っていてほしい」


 養父も貿易商を営んでいたので、貿易が絡む仕事がどれほど過酷なものかは理解していた。

 移動だけでも数日かかるうえ、異国の商人との取引は易々と進むものではない。


「お仕事なのですから、謝るようなことではありません。気を付けて行かれてください」

「なんだ、あっさりしているな」

「寂しいけれど……そのぶん、再会したときの喜びは大きいと思うから」

「それもそうだな」


 ジェミニは自然な動作でわたしの右肩に手を回し、抱き寄せる。

 触れられたところが、異様に熱く感じる。


「以前も聞いたが……君がこの歳まで結婚をしなかったのは、なぜだ?」


 首都に戻る船のなかで、ジェミニにはこれまでのことをすべて話していた。


 生後まもない頃―――大国からの侵略により、クエニ王政の攻落と魔女の排斥が進められた。


 情勢は悪化する一方だった。

 大国からの支配が進むと、今度はクエニ人迫害の気運が高まってゆく。


 祖国ではわたしを守りきれないと確信した両親は、知人である養父にわたしを託した。

 そしてわたしは養父に連れられ、隣国であるサウスハル連邦国に亡命したのだ。


「養父は、わたしを……外の世界へ送り出したいと、常々話していました」


 ジェミニの胸にひかえめに頭をあずけ、わたしはサウスハルで養父と過ごした数年間を思い返す。


「サウスハルも、女性の地位は非常に低い国でした。わざわざ嫁にやって苦労をさせたくないと、言っていました」

「……そうか」


 ジェミニはかるく腰を上げ、わたしのほうへと身体を向けて座り直した。


「ティア」


 そして、わたしの太ももに置いた左手を、ゆるく、やさしく握る。


「魔女として、女性として、生きづらい世界で生きてきた君を……私は、できるかぎり幸せにしたいと思っている」


 さきほど研磨した宝石たちは、チェストの上に置かれていた。


 闇の中でふんわりと光る宝石。そして蝋燭のほのおと、月明かりと。

 やさしいひかりに溢れたこの空間にいるだけで、泣いてしまいそうになる。


「私は君と、対等でありたい。

 仕事においては難しくとも、せめて家庭のなかでは……君と同じ目線をもって生きていたい」


 ジェミニの言葉が、こころにすんなり沁みこんでくる。

 胸が、喉が、いたくて。

 黒くうつくしい瞳を懸命に見つめても、視界が水分でゆがんでゆく。


「私の横に並んで、このさきの人生を……ともに歩んでくれるか?」


 こんなに、すべてのことが、幸せだと感じる日が来るなんて。

 呼吸もままならないまま、わたしはふるえる唇をなんとかこじあけた。


「……はい……っ!」


 かすれて、消えそうなわたしの返事は、ジェミニにはちゃんと届いていた。


 ふるえる唇の、その輪郭をたどるように指を沿わせると。

 ジェミニはわたしの頬に手をあてがい、そっと、唇を重ねた。




 想いが、こころが繋がったと、確信した。

 ふれるだけの、しかし長いくちづけ。




 数十秒ののち、名残惜しむようにジェミニはようやく唇を離した。


「……なにもしないって言ったのにな」

「……うれしい、です」


 首を横に振ると、ジェミニはひとつ笑って、わたしをふたたび抱き寄せた。


「戻ったら、結婚式をしよう。準備は……母とローレンスに任せておこう」

「ふふ、ローレンスさんは有能なのですね」


 ジェミニの腕の中で、わたしはふつふつと笑う。ジェミニはわたしの髪に、やさしく頬を寄せた。


「ティアの磨いた宝石は……太陽というよりは、星灯りのようだな」

「星……ですか?」

「あぁ」


 たしかに、ジェミニの言うとおりだった。

 暗闇の中で宝石は、太陽のようにこうこうと光るのではなく、まるで蛍火のように光っている。

 ちいさくまたたく星灯りと言われれば、そちらのほうが近いように感じる。


「知っているか? 夜空に見える満天の星のほとんどは、太陽と同じようにみずから光り輝いているそうだ」

「あのちいさなひかりが、ですか」

「そうだ。太陽よりもずっと遠くにあるから、小さく見えるだけ、らしい」


 ふしぎな感覚だ。

 数えきれないほどの星々が、太陽のようにみずから光り輝いているだなんて。


「星はうつくしいだけじゃない。船の上では、方角を見失わないための指針ともなる。

 ティアの磨く宝石は、きっとそういうものになる」


 ジェミニの言った言葉の意味は、完全には理解できなかった。いまはそれでも良いような気がして、わたしは曖昧に笑って見せた。


 ジェミニもつられたように笑うと、おでこをこつんと当てて、ふたたび唇にキスを落とした。


 幸福につつまれながら、わたしたちは何度も何度も、キスをした。


 「これ以上したら我慢できなくなる」とジェミニが言うので、「わたしもです」と答えてみた。


 ジェミニは目を丸くすると、「そろそろ寝よう」と枕に顔をうずめる。真っ赤になった耳は隠せていなくて、その姿に自然と笑みがこぼれた。


 






 それから数日後、わたし達は婚約の儀式をおこなった。


 正式な婚姻のための儀式なので、ジェミニのご両親が立ち合い人となり、教会で婚約の誓いをかわす。


 婚約指輪は、ジェミニが用意してくれた。

 小さなピンクトパーズとダイヤモンドがあしらわれた、洗練さのなかに可愛らしさを感じるデザインだった。


「これで、いつでもティアと一緒に居るような気持ちでいられる」


 指輪の交換をおこなうと、ジェミニはそう言ってわたしの左手の薬指にキスをした。







 Ⅱ.首都での新生活 fin.

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