Ⅲ-04 140カラットのサファイア
それからまた、変わらないおだやかな毎日が過ぎてゆく。
自宅と工房を往復し、時々街に出かける日々。
今日は午前のうちに街で物品の買い付けをおこない、昼から工房へ出向いた。
「いやぁ、とんでもない大きさだな」
「
ちょうど午前の仕事が終わった頃で、研磨師たちは興奮した様子で寄り集まっている。
「どうしたんですか?」
「来月の戴冠式の王冠だよ。
宝石の調達から宝飾加工まで、うちが一手に作成を任されたんだ」
「あのサイズのサファイアは、なかなか手に入らないもんなぁ。140カラットだそうだ」
尋ねると、研磨師たちが興奮したようすで答える。
周囲にはダイヤモンドの
その王冠の美しさに異論はない―――けれど。
(これは……)
どう切り出せばよいものか迷っていると、樽いっぱいの青い原石が目に入った。おそらく、今日研磨する予定の原石だろう。
その一部はすでに研磨を終えていた。ファセットカットに磨かれた青い石が5つ、並べられている。
「あの」
「ん?」
王冠の話題で盛り上がる輪から離れ、青い石のそばで片付けをしている研磨師に声をかけた。
「この青い石は……すべて同じ石という扱いなのですか?」
「どういうことだ? すべて特級クラスのサファイアだよ」
―――やっぱり。
いやな予感は、的中してしまったようだ。
「おい、どうかしたか?」
「ピンクトパーズが、なんか変なこと言ってて……」
「このサファイアがどうかしたのか?」
工房の二番手である職人長が、わたし達の話に入ってきた。
わたしは研磨を終えた青い宝石を指さしながら、職人長に語る。
「この4つは……間違いなくサファイアです」
5つ並んだ研磨済みの青い石の中から、4つを指さして言う。
こく、と唾をのみこみ、思い切って言葉を続ける。
「しかし、残りの1つは……
ブルーサファイアによく似ていますが、これはブルースピネルです」
職人長は、眉間にぐっとしわをよせた。
そう、樽におさめられた青い石の原石、そして研磨を終えた青い石―――
それらは、サファイアとスピネルが区別されないまま置かれていたのだ。
「こ、これがスピネル!? 青の濃さからして、どう見てもサファイアにしか……」
「よく似ていますが、これは……間違いなく、スピネルです」
「なっ……!!」
通常なら、効率的に作業を進めるために、研磨前に鑑定士が仕分けを行う。
宝石の種類、グレード、カラット数によってざっくりと仕分けされてから、研磨師が作業に取り掛かるのだ。
もちろん研磨師も、研磨の過程で種類や質、大きさを考慮しながら研磨を行うので、通常なら種類をまちがえるなどありえない。
それほど、ブルーサファイアと質の良いブルースピネルはよく似ているのだ。
「これらはぜんぶ、同じ産地で同時に採掘された鉱石だぜ……!?」
「しかし、ピンクトパーズの鑑別は正確だって
「
何ごとかと、ほかの研磨師たちも集まってきた。
驚いた様子の職人長に対して、周囲の研磨師が口を挟む。
たしかに、魔女だから違いに気付けた。
石がもつ結晶構造の違いや、石に秘められた魔力の区別は……きっとふつうの人にはわからない。
「見た目にも……違いはあります」
魔女の感覚だけを伝えても、しかたない。
わたしは手袋を身に着けると、研磨を終えたサファイアとスピネルを、ひとつずつ手にとった。
「サファイアは光の角度によって、青色の濃さが微妙に変わります。
けれどスピネルの方は、角度を変えても一定の濃さに見えます」
少しずつ宝石の角度を変えながら、職人長に見せる。職人長は拡大鏡を手に、宝石の内部を覗き見る。
サファイアは青、紺、無色など、見る角度によって
しかしスピネルは、見る角度を変えても同じ濃さの青のままだ。
「それに、光の反射のしかたも違います。
サファイアのほうは角度によって光の線がわかれ、内部で光の反射を繰り返しますが、スピネルにはそれがありません」
天窓から差し込む光にあて、再び職人長に2つの宝石を見せる。
サファイアは光を反射して光っているのに対し、スピネルは光の反射がすくない。
「言われてみりゃ、たしかに……」
「ピンクトパーズ!
すまんがサファイアとされている残りの石も、鑑別してくれねーか!?」
「わかりました。あと、言いづらいんですが……」
そう、話の本題はここからだ。
「王冠の
わたしが言うと、
そこからは、大騒動だった。
ブルーサファイアとブルースピネルの見分けは本当に難しい。改めて鑑別すると、濃く青く美しいスピネルの一部が、サファイアと混同されていることがわかった。
しかし、ヴァンダーヴェルト商会はそれどころではなかった。
王室に納品した王冠―――しかも、戴冠式用のもっとも重要な王冠にあしらわれたサファイアが、スピネルだった。
スピネル自体に価値が無いわけではない。
これほど大粒で色味もよく透明度も高いスピネルなら、それだけでじゅうぶん価値はある。
問題は、最上級のサファイアを中央にあしらった王冠として納品してしまったことだ。それはつまり、虚偽の商品を納品したとも言い換えられる。
正確にいうと今回の納品は、事前チェックのための納品だった。
デザインや宝石の状態を王室に確認してもらい、2週間かけ最終的な調整を行い、完成品として納品する予定らしい。
「
「サファイアの原産国じゃないか! もはやそこに賭けるしか……」
宝石事業部の
王室にどう伝えるか。代わりのサファイアをどう調達するか。
そして結局、ジェミニを連れ戻すしかないという話になった。
まずは
「代わりのサファイアなんて、そう簡単に見つかるのですか……?」
「とにかく手を尽くすしかありません。
オーティロイド島にはサファイアの鉱山がいくつかあるので、大粒のサファイアの取引が行われている可能性はあります」
「140カラットとは言わない……120……せめて100カラット……!!」
戴冠式までに残された猶予は、1ヶ月をきっていた。結局のところ、「とにかく探す」というイチかバチかの方法しかないらしい。
「あの!」
今、わたしにできることがあるとしたら。
「わたしを、オーティロイド島へ連れて行ってください!」
これしかない、と思った。
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