Ⅰ-02 引きこもりの花嫁







 ニューアミリア国に嫁ぐことが決まったのは、つい先日のこと。

 貿易商を営む養父が、取引相手であるニューアミリアの関係者から、縁談をもちかけられたのだ。


 ニューアミリアへ向かう貿易船の出航にあわせて、嫁入りの準備をととのえた。

 養父は仕事の都合で付き添えず、わたしはたった一人でニューアミリアに渡った。


 港で出迎えてくれた、旦那様。

 その気品ある佇まいに、わたしの心はしずかに弾んだ。


「ジェミニ・ヴァンダーヴェルトだ。長旅で疲れたろう」

「ティアナ・アンドレイセンです。お出迎えいただき、ありがとうございます」


 旦那様は20代後半で、夜空のようにうつくしく艶やかな黒髪に、深い漆黒の瞳をもつ眉目秀麗な方だった。

 低い声でねぎらいの言葉を発しながらも、その表情は硬く―――


「すまないが、しばらくは仮住まいで過ごしてもらう」

「わかりました」


 馬車に乗りこんでからも、旦那様の口数は少なかった。

 なにを話せばよいのかわからず、無言のまま仮住まいである家に到着する。


 荷物をおろすと、旦那様はふたたび馬車に乗りこんだ。そして気まずい表情のまま、わたしに問う。


「君……のような者が、その歳まで結婚しなかったのはなぜだ?」


 あまりに唐突で脈絡がうしなわれたその質問に、わたしは口ごもった。


「もらい手がなかったとは考え難いが」

「わたしは……養女、だったので」


 返答になっていないと思いつつもなんとか絞りだした言葉は、やはり旦那様の納得のいくものではなかったみたいだ。


「……まあいい。しばらく家を留守にする。何かあれば、ローレンスに聞いてくれ」


 それだけ言うと、旦那様は馬車を走らせて行ってしまった。








 ―――それからなんの音沙汰もないまま、1週間がたっている。


「おはようございます、ローレンスさん」


 階下では、使用人のローレンスさんが広間の掃除をしていた。


「おはようございます、奥様。朝食はすぐ召し上がりますか?」

「いえ、ゆっくりで構いません」

「承知いたしました。では、お茶を淹れてまいりますね」


 仮住まいではあるけれど、この家は嫁ぎ先であるヴァンダーヴェルト家が管理している家らしい。


 ヴァンダーヴェルト商会は、ニューアミリア国において有数の貿易商会。

 手掛けている分野が幅広すぎて、養父もすべては把握できていないと話していた。


 わたしはその商会長の、御子息に嫁いだ。

 同じ貿易商として養父と繋がりがあったとはいえ、あまりにも分不相応な縁談話だった。


「奥様。たまには街に出られてみてはいかがですか?」


 お茶を淹れながら、ローレンスさんはわたしを気遣うように言った。

 白髪がよく似合うローレンスさんは、長年ヴァンダーヴェルト家に務めている使用人だそうだ。


「いえ……道に迷ってしまいそうで」

「そうですか」


 見知らぬ街を1人で出歩くことには、抵抗があった。

 1週間も引きこもったままのわたしを、ローレンスさんが心配する気持ちもわかるのだけれど。


「旦那様は……いつ、戻られるのでしょうか」

「もうしばらくかかりそうだと、連絡がありました」

「そうなんですね」


 ローレンスさんの返答は、最初の頃と変わらない。できるだけ表情に出さないよう、心の中でため息を吐く。


 旦那様のことは、なにも知らないままだった。

 一度だけローレンスさんに、旦那様の仕事について尋ねたことがある。


 すると、「仕事内容に関しては旦那様が直接ご説明されるとのことでしたので、私の口からは申し兼ねます」と丁重に断られてしまった。


 ここは仮住まいとのことだったが、本住まいがどこかもわからない。

 本当に、なにもわからないまま、わたしはここに居る。


 待遇に不満があるわけではない。

 多少の不安が、あるだけのこと。






 わたしは自室に戻り、閉じたままにしていた荷物の中から、木製の小箱を取り出した。

 小箱の中には、柔らかな布でくるまれた石がおさめられている。


 小さな、ピンクトパーズの原石ラフストーン

 研磨されていないので、くすんだ薄桃色をしている。

 魔女であるわたしの、魔力の根源となる原石ラフストーンだ。


 本当なら手離すべきものだった。これが手元にある限り、わたしは魔女であり続けてしまう。

 だけどこれは、祖国に残した父と母の形見のようなもの。

 どうしても、そばに置いておきたかった。



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