第5話 この匂い知ってるよ。

 冬の連続授業の3日目。Rくんの部屋に入った途端、あるまじき匂いがただよっているのに気づいてしまった。「あるまじき」ではなく当然なのかもしれないけど。彼、男子高校生だから。

 そう、あの匂い。多くの男のひとたちは自分ではあの匂いを自身では感知できないようなのだけれど。女の私たちにはわかりすぎるくらいわかる匂い。そう、端的に表現してしまえば、射精されてからしばらく放置された精子に匂いだ。

 Rくん、まさか私が来る直前にあれをしていたのだろうか。ゴミ箱に目を向けると、確かにティッシュが盛り上がってる。臭いの発生源もゴミ箱であることは明らかだ。


家庭教師の授業中、ずっとこの匂いの中で過ごすのは嫌だ。


 思わず言ってしまった。はっきりいった方が傷つかないだろうと思って、ストレートな言葉で聞いてみた。

「Rくん、あれしたでしょ」、と。

Rくんは何のことかわからない様子だ。

「わかっちゃうんだよ。この匂。ほら。」

と、言いながらゴミ箱のティッシュを指差した。Rくんは顔を真っ赤みして、俯いてしまった。俯きながら、ごめんなさい、すみません、とうなだれたままでいる。正直でかわいい。とぼけ通すこともできるはずなのに。

「謝ることじゃないよ、男の子ってみんなするんでしょ?それより、ちゃんと後始末してよ。匂わせるのはやめて。」というと、はい!といって、大きなゴミ袋を取り出してきて、口を縛って密閉した。


 凍りついてしまって気まずい場を和ませようと、

「Rくん、あれするとき、なにか想像するの?それとも見たりするの?動画とか?」

と、黙っているRくんに話しかけてしまった。愚かな私はまた適切ではない話題を振ってしまった。昨日の反省が生かすことができていない。

 私の愚行は続いた。そういう動画とかスマホで見るんでしょ? わたしもみたいな、男子高校生ってどういうのが好きなのか知りたいし、いいでしょ、いいじゃん!と弱々しく抵抗するRくんを押し切って、机の上にあった彼のスマホを持ち上げて無理やり顔認証でロック解除して開いてみた。


 目が点になった。開くと画像が表示されていた。カメラロールの画像のようだ。その画像は私の胸から下の写真だ。昨日服装ではないか。スワイプすると何枚も私の体の一部の写真が出てきた。そのアングルには明らかに性的な何かが感じられるものばかりだ。隠し撮りされていたのか。いつの間に撮られたのか。ショックだ。

「ちょっとまってよ。なにこれ?隠し撮りしてたんだ。ひどくない?」

 なんだか、信頼を裏切られた気持ちになって悲しくなった。なんで私が隠し撮りされなきゃならないのか。とられて気味が悪いという感情よりも湧き上がってきたのは怒りだった。本気で怒ってしまった。


 するとRくんは急に土下座して「本当に申し訳ございません!」と、謝り始めたではないか。予想外の土下座に面食らってしまった。そうか。男子校の運動部の作法なのかもしれない、これは、とおもった。土下座をしたまま床に顔をつけて何度も謝るRくんの姿を見て、さらに怒りが高まってしまった。

「謝ればすむこと?ちゃんと理由を言ってよ。盗撮した理由。」

「先生の帰った後も、先生のことを思い出したかったんです。」

「じゃあ、写真撮らせてくださいって、いえばいいんじゃない?なんで隠し撮りするんだよ!」

「・・・」

「しかもさ、この写真、いやらしくない?胸とか脚とか狙って撮ったみたいで。Rくん、変態だよ。」

と、後で考えるとちょっと酷いことを言ってしまった。

R君の方も、観念したのか居直っているのか、

「本当に申し訳ありません。昨日、先生が俺のあれ、触ってくれて、それで理性を失ってしまいました。本当にごめんなさい。」

などと言ってくるではないか。


 怒りのあまり忘れてたけど、そうだった。昨日、Rくんのそれを摘んでしまったのだった。そうなると、この事態を引き起こしたのは私の責任ということになるのかもしれない。昨日のことについては私も強い罪悪感があるので、もう何も言えなくなった。

「もういいよ。ほら、土下座とかやめてよ。ちゃんと椅子に座って。」


椅子に座っても俯いたままの*くんの前に座って、

「私、女だからわかんないけどさ、男の子って、あれ出したくなる時あるんだよね?どうしても。」

「はい・・・」


 元彼もいつもそうだった。一緒に勉強している時、必ずと言ってもいいほど、途中であれを触って欲しいとねだってきた。固くなっちゃって勉強に集中できない...と。

 そのたびに要求に応じて、手や口で出してあげたり、時にはまさに出すためだけの即席セックスしたりした。射精すると集中力が高まると、いつも元彼は言っていた。君のおかげで勉強に集中できるようになった、と。彼のプレゼンの直前も大学の空き教室の物陰で口でしてあげたことあった。

 元彼氏はフランス人だからとりわけ性欲が強いかと思ってたけど、思い起こせばその前の日本人の彼氏も、勉強してる時とかそういえばいつも射精したがった。Rくんも、高校生だけど同じなんだろう。

 そう思うと、なんだかRくんが可哀想になってきた。


「わかったよ。でもさ、盗撮は犯罪だよ。そういうのやめようね。写真撮る時は、ちゃんと言ってよ。撮らせてあげるから。っていうか、あんまり撮られたくないけどね。」

「はい・・・ごめんなさい。」

「あと、昨日、Rくんのふざけて触っちゃったのは悪かったよ。ほんと、これは私が謝る。ごめんなさい。」


 それに続けて、自分でも驚きのことをRくんに言ってしまった。

「勉強中、あれ、固くなっちゃってつらいときは、途中で出していいからね。どうしても、ってなったらいってね。やっぱ勉強に集中できた方がいいから。」

いってしまってから、私、なんてバカな事を言ってるんだろうと、かなりの自己嫌悪。


 この日はなんとなくずっと気まずい空気だった。最後、帰り際にRくんが、

「先生。写真撮らせて欲しいです」

と言ってきたので何枚か撮らせてあげた。全身写真がいいというので、立ち上がってポーズして。盗撮じゃなくても、やっぱ、不自然なシチュエーションで写真を撮られるのはやっぱりあんまり心地よくない。何やってるんだろ、私。


 昨日隠し撮りされた写真、まさかRくん、本当に私の写真であれしたんじゃなかろうか。帰り道、ふとそんなことを思った。でもそんなことあるまい。高校2年生の彼から見たら大学3年生の私はおばさんに見えるだろうし、発情対象にはならないだろう。ましてはだかの写真でもないわけだから、まさか私のなんでもない普通の写真見て射精なんてできないだろう。男子高校生の気持ちはわかんないけどさ。

 でももしそうだったら、なんか複雑な気持ちだな。



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