7日目:Ⅳ 唯我、狭間の神殿に辿り着く。

 門をくぐり抜けて神殿の奥まで進む。はるか遠くまで続く、長い長い廊下を歩く足音だけが響いている。広いな。俺は高い天井を見渡しながら足を進めた。狭間の神殿とやらに来てはみたものの、何をしたらいいのかさっぱりわからない。頂点に立つ方法って、何なんだ…。


「階段がありますよ、昇りますか?」


 圭が言った。上を見上げると、らせん状の階段が渦を巻いて高く続いていた。


「頂点って、もしかしてそういうこと?物理的に頂点に立てばいいって訳なの?意外なんだけど。」


 伊織の言葉に同感だ。頂点に立つって、高い所に昇ればいいってことなのか…。とにかく、考えているだけでは拉致が明かない。こうなったら取り敢えず、進むしかない。


「よし、昇るぞ。」


 俺の言葉に続いて、伊織、湊、秀と明ケ戸達也ら黄金の国の大臣四人、そして圭と頼果が階段を昇り始めた。


  ○ ○ ○


 しばらく階段を昇り続けて、ようやく終わりが見えて来た。重そうな木製の扉の下から、金色に縁どられた赤い絨毯が見えている。豪華な広間、という感じだ。


「やっと、ここまで辿り着いた…。」


 肩で息をしながら湊が言った。


「これで、帰れるんだね、元の世界に…。」


 伊織が満足げに言う。だが、頂点に立つことが出来るのが何人なのかは、分からないが、少なくともここにいる十人全員は帰れないだろう。普通、頂点に立つと言えば、一人だけ。一体、何が俺達を待ち受けているのか。扉の向こうが気になる。俺は頼果達を見回して言った。


「さあ、入るぞ。」


 皆、覚悟を決めたように頷く。重い扉がゆっくりと開き、赤い絨毯が伸びて周りより一段高くなった場所に、たった一つの金色の玉座が厳かに、その姿を置いていた。


「ここが、頂点…。」


 秀が感慨深げに言う。遂に見つけた、椅子取りゲームの椅子。それはたった一つの玉座だった。その後はしばらく、誰もが無言だった。言葉を出したら、全てが終わるような予感がした。











「覚悟は、出来てるよ、唯我。」


 長い長い沈黙を破って、秀が言った。俺は軽く頷いた。


「やっぱり、戦うの…?」


 遠くでボソッと頼果が言ったのが聞こえた。傍では湊、伊織、圭、そして明ケ戸達也と他数人の大臣がこちらを覗っている。


「手加減はしない。全力で来い。」


「分かってるよ、唯我。俺も本気だ。お前だからこそ、手加減はしない。それが親友ってもんだろ?」


 秀は槍を構えると、水しぶきが秀の周りを渦巻いた。窓から差し込む太陽の光を反射し、虹が輝いている。俺も、一度鞘に納めた刀を抜き、構えた。炎が吹き出し、俺の周りを渦巻いている。絶対に負けられない。


『俺が、頂点に立つ!』


 俺と秀の声が重なった。刃がぶつかり合う音だけが響く。炎は水にかき消されていくが、その都度、俺の刀からは熱い炎が吹き出す。秀の強さは計り知れない。運動神経も、頭脳も、俺と互角以上。勝負の決め手になるのは、武器との相性と、運。そして…。しばらく戦いが続いた。だが、今日の秀は何故か弱く感じた。俺の一撃で秀は吹き飛び、膝を地に着け俯いた。


「やっぱり無理か…。」


 肩で息をしながら、秀は言った。


「お前はいいよな、唯我。迷うことなんて無いんだから…。」


「お前には、まだ迷いが残っているのか…?」


「ああ、当然だろ。親友と戦うなんて、俺には辛すぎる。何でお前と戦わなきゃいけないんだよ、チックショー!」


 秀は槍を投げ捨て、拳を地面に叩きつけた。


「分からねぇな、俺には、そういうの。辛いとか、苦しいとか、よく分からないんだ。」


 俺は呟いた。俺には、感情が、無いらしいからな。感情というものがそもそも何なのか、よく分からない。


「やっぱりお前は変わんねえな、唯我。安心したぜ。」


 秀は槍を持ってよろよろと立ち上がった。


「俺は戦うさ、最後までな。」


 そう言うと、秀は槍を構えて突撃して来た。突然、目の前が真っ白になった。霧だ。何も見えない。いきなり胸を蹴られ、俺は仰向けに倒れた。


「勝負ありだ、唯我。」


 俺の頭上から声がした。大量の水が、涙の様に降り注ぎ、俺の身体を濡らした。秀は、俺の真上で槍を振り上げた。


「水は炎の弱点、昔からの常識だ。」


 一瞬、秀の動きが止まった気がした。常識、だって…?そんなもの、俺には通用しない。


「常識か、そんなの俺には関係ない。ひっくり返してやるよ。」


 俺は力を込める。するとたちまち刀から炎が吹き出し、辺り一帯を濡らしていた水は一瞬で乾ききった。一瞬、秀の声が聞こえた気がした。それでいいんだ…、と。


  ○ ○ ○


「勝負は、あったようだな…。」


 立ち上がった俺は、秀の首元に刀を当てていた。秀は槍を手放し、両手を上げた。


「お前こそが、頂点にふさわしいよ。」


 秀は俺の方に手を当て、そう言った。


「お前、わざと負けたな、どうして…?」


「さあな、唯我が強かっただけだ。」


 秀は軽く笑った。分かる、あれは秀の本気じゃない。それに、最後に秀が放った言葉。常識というワードに対して俺が反応するのは、秀なら分かっていたはずだ。何故敢えて俺を奮い立たせた?何故本気を出さなかった?元の世界に帰りたくないのか?分からない、どうして…。


「例え世界が違っても、俺のこと、忘れないでくれよ。月見里にもよろしくな。」


 そう言って秀は俺に背を向け、片手を挙げて玉座とは反対の方へと歩いて行った。慌てて四人の大臣たちも、秀の後を追いかけて行った。


「どうしたの、唯我?」


 頼果が立ったままの俺に尋ねた。


「分からねえんだよ、何で秀は手加減した?何で、敢えて自らが負けるように仕向けたんだ?」


 俺には分からない。感情の無い、俺には。


「唯我、それが優しさだよ。秀君は唯我のために、元の世界に帰る権利を自分から譲ったんだよ。」


 困惑していた俺に、頼果が言った。


 これが、優しさ…。頭では何となく理解していた。優しい人、と言われる人の真似をし続けて、完璧な『優しい人』は演じていた。けど、初めて分かった。これが本当の優しさ…。何かが込み上げてくる。これは、感情…?よく分からない。言葉では言い表せない。俺は、俺は…。


「流石です、あなたなら頂点に立てると信じていました。」


 突然、聞き覚えのある幼い声がした。振り向くと、いつの間にか狐のお面がすぐ傍に立っていた。


「さあ、玉座にお掛けになってください。」


 俺は、迷わずに玉座に座ろうとした。しかし、腰を下ろそうとした時に身体が動かなくなった。躊躇い…。なぜだ、これで全て終わるはずなんだ。俺が帰れば、それで終わり。他の人はどうでもいい…?


「どうしたんですか、座らないんですか?貴方がずっと望んでいたことでしょう?」


 俺は狐のお面から目を逸らした。頼果、湊、伊織、圭は俺をじっと見つめている。


「唯我さん…。」


「頼果、俺、感情が分かったかもしれない。これが、人の心ってやつなんだろ?」


 俺は頼果に言った。何故か、頼果の目からは涙が流れていた。


「どうした、何か悪いことでも言ったか?」


「違う、嬉しいの。唯我が、感情を分かってくれたから。」


 頼果、今なら俺は、お前が嬉し涙を流している意味が分かるよ。秀がわざと負けた理由も分かるよ。これは全部、お前、そして仲間のお陰なんだ。急に、寂しさという感情が、堰を切ったように込み上げて来た。別れたく、無い。初めて、迷いを感じた。秀の気持ちが痛いほどに分かった。一度感情を知れば、一気に全て戻って来る。まるで、封印が解けたかのように…。


「俺は…。」


 軽く俯いたその時、俺の両肩を温かな手が包んだ。


「唯我は頂点に立ったから、これで帰れるね!」


 真正面から、笑顔の頼果が覗き込み、明るく嬉しそうに言った。


「これで、お別れか…。寂しいけど、またいつか会えるっしょ。」


 震える声で、涙を堪えるかのように湊が笑った。


「長いようで短かったけど、私はあんたのこと、絶対忘れないから。」


 俯いた伊織の綺麗な黒い前髪は、わざとらしく俯いた彼女の目元を隠していた。


「僕も絶対、元の世界に帰るから、そしたらまた会いましょうね。」


 圭は力強く言った。やめろ、やめてくれよ。別れの寂しさを、悲しさを、感じたことの無い俺には耐性が無いんだ。すぐに目から汗が流れてしまう。


「ほんとに感情戻ったんだね、よかった。」


 次の瞬間、頼果は俺に抱きついた。


「おい、お前…。」


「いきなりごめん、やっぱり寂しくてさ。」


 でも、今度はまた会える可能性は十分あるからさ、嬉しいな。そんなことを呟いて、頼果は俺の身体を強く押した。後ろに倒れた俺は、玉座に尻餅をついた。


「やっぱり、唯我には玉座が似合うよ。」


「おい、待て…。」


 ぼやけた視界の先に見えた四人の姿。頭の中をかき混ぜられるような眩暈を覚え、俺の意識は次第に遠くなっていった。


「おめでとうございます。どうか、幸せな人生をお送りください…。」


 狐の声が頭に響き、目の前が真っ暗になった。そして、何も聞こえなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る