3章 鳥は守り、知恵で頼る
2日目:Ⅳ 唯我、また狐のお面と出会う。
「あー、いい湯だった~。」
浴衣を着た頼果が歩いてきた。先に風呂からあがっていた俺と湊は、四人掛けの低いテーブルに斜めに向かい合って座り、コーヒー牛乳を飲んでいた。俺の向かいに座った頼果に、隣から湊がコーヒー牛乳を渡す。俺たち三人は今、明治・大正時代を思い出させる和洋折衷の、大きな温泉旅館にいる。建物のロビーで、俺たちはくつろいでいるところだ。湊の案内で、明治期の雰囲気溢れる隣町にやって来たのだ。窓の外はもう、暗くなっている。
「やっぱ湊君と仲良くなってよかったよ。こんな温泉旅館紹介してくれるなんて。ほんとに助かった。ずっとお風呂入りたかったからさ。それに、浴衣も借りれたし。」
そう言うと、頼果はコーヒー牛乳を一口飲んだ。
「いやいや、そんなことないっすよ。」
照れくさそうに笑い、湊はコーヒー牛乳を飲んだ。
「それにしても、一気に雰囲気変わるんだな。江戸時代の次は明治時代か。文明開化って感じだな。一体、誰がここを作ったんだ?」
俺は湊に尋ねた。
「分からないっす。この町は、僕と斯波さんがこの世界に来た時からあったんですけど、作った人は今はここにはいないらしいよ。凄い人だったっていう噂は聞いたことあるけど。」
湊は答える。凄い人か…。
「ふーん。せっかく作った町から出ちゃうんだ。」
頼果はまたコーヒー牛乳を飲んだ。俺も、コーヒー牛乳を飲む。コーヒーの香ばしい香りと牛乳のまろやかな風味が、絶妙な美味しさを生み出している。
「誰も足を踏み入れていない場所に行けば、新しい地域を自由に作れるからね。」
湊はそう言ってコーヒー牛乳を飲み干すと、空になった瓶をテーブルにコトンと置いた。
「頼果も作ってみたいな~。どんなとこ作ろうかな~。」
「この辺り一帯はもう既に完成されてるから、もっと遠くに行かないと、未開の地にはたどり着けないっすよ。」
「え~、めんどいな~。」
随分と、語尾に「~」が多い奴だ。
「それにしても、この旅館、支払いはどうするんだ?」
俺は気になって湊に尋ねた。知っての通り、俺と頼果は一文無しだ。
「心配ご無用。僕は殿様の元家臣っすよ!お金ならほら、ここに。」
そう言って湊は、懐から財布を取り出し、中を見せた。見知らぬお札がたくさん入っているが、おそらく大丈夫だろう。しばらくは俺たちの財布係として重宝させてもらおうか。
「明日はどこに行くの?」
頼果が尋ねた。コーヒー牛乳を飲んでいた俺は、半分ほどそれを飲み、答えようとした。その時だ。
「さらに先を目指しなさい。未開の地で拠点を作っておくのがおすすめです。」
すぐ隣で、子供のような声がした。見ると、狐のお面が視界の少し下にある。いつの間にいたんだ?
「き、狐!」
頼果と湊は驚いた様子で、じろじろとこちらを見る。
「お前、いつの間に…。」
俺も思わず尋ねていた。だが、狐はその問いには答えなかった。相変わらず正体が掴めない。
「先を目指せって、この町ではなんかしないの?情報収集とか。」
頼果が身を乗り出して聞いた。確かにそうだ。拠点も大事だが、先にここで情報収集をした方が効率的ではないのか?
「はい。ここに参加者はいません。故に、貴方たちが求める情報はありません。」
狐のお面の人は言った。
「あのさ、参加者とか未練者とか言うけど、一体どういう意味なんっすか?教えてほしいんだけど。」
今度は湊が尋ねる。確かに、それは俺も気になっていた。虎のお面の男は、この世界には、参加者、未練者、復活者、管理者という、四種類のパターンがあると言っていたが。
「参加者は、貴方たちのように、元の世界から強制的に連れてこられた者です。参加者だけが、自由に新たな世界を創り出し、椅子取りゲームに参加する権利を与えられます。」
「じゃあ、未練者は?」
頼果が興味深そうに聞いた。
「未練者は、貴方たち参加者と違って、自由に世界を創り出す力を持てません。参加者以外の人間はほとんどが未練者です。」
「じゃあ、斯波の家臣の侍はみんな未練者だったんだ。」
「私たちを泊めてくれた大助さんも、未練者だよね。」
ほとんどの人が未練者ということなのか。
「けど、なんで未練者なんて名前なんだ?一体何に未練があるんだ?」
どうしても気になったので、聞いてみた。
「それは、いずれ分かる時が来るでしょう。今は教える必要がありません。」
狐は淡々と答える。全く、謎の多い世界だ。だがそれだけ興味深い。いつか必ず、この世界の謎を解いてやる。俺は、心の中で意気込んだ。
「それで、復活者は?」
頼果がまた尋ねる。余程興味があるのだろう。だが、この件については俺も知っておきたい。元の世界に帰るヒントになる可能性があるからだ。
「復活者は、ほとんどが人の姿をしていません。ちなみに、貴方たち二人はもう既に復活者と出会っていますよ。」
狐の口から、衝撃の事実が飛び出した。
「人の姿をしてない?既に出会ってる…?」
頼果は飲み込むように繰り返した。その時、俺の頭に浮かんだ一つの答え。もしかしたら…。
「まさか、あの幽霊?」
「そうです。あなたたちがこの世界に来てすぐの時に現れた、あの幽霊です。」
やはりそうか。あれが復活者だったのか。
「何人もの人が犠牲になった、あの時の…。」
頼果は俯いた。あの悲惨な状況を目の当たりにした記憶。見ていて辛かった。
「奴らは、参加者や未練者から、魂を奪うことを目的としています。」
狐が話を続ける。恐ろしい存在だ。
「なんで、復活者って言うんだ?」
俺は尋ねた。一体、何から復活して来たのか。
「それも、いずれ分かる時が来るでしょう。貴方たちが、この世界の真理に触れた時に。」
やっぱり、同じ返答だ。一体、この狐は何を隠しているのだろうか。この世界の正体は、一体何なんだろうか。魂の迷宮。どういう意味だ?単純に訳せば、魂が迷い込んだ場所、という意味になる。
「管理者は、あなたたちみたいな動物のお面の人なんだよね?」
頼果が聞いた。しかし、その目先には、誰も座っていない椅子があるだけだった。
「あれ、どこ行ったの?」
「さっきまでいたのに…。」
二人は顔を見合わせて不思議そうにしている。本当に謎な存在だ。管理者。迷宮の主のようなものなのだろうか。それにしても、虎のお面の男と狐が言っていたことは食い違っていた。一握りではあるが、迷宮から出ることは出来ると、狐は言っていた。それに対して虎は、迷宮からは出られないと言っていた。一体、何が起こっているのだろうか。俺は考えながら飲みかけのコーヒー牛乳の瓶を手に持った時、それが空なのに気が付いた。
「おい、湊。お前飲んだか?」
俺は空の牛乳瓶を見せつけた。
「いや、飲んでないよ。」
「じゃあお前か、頼果…?間接キスするなんて大胆だな。」
「ち、ちがうよ!」
頼果は叫んだ。それじゃあ、狐か…?人の物を勝手に飲むなよ。しかも飲みかけだし…。俺は溜息をついた。これ、美味しかったんだが…。
○ ○ ○
「次はどこにいくの?」
右隣で頼果の声がした。
「どうしようか。おい湊、この辺りは詳しいだろ?参加者がいる場所とか知らないか?」
俺は布団の中で横になりながら、左隣で寝ている湊に話しかける。
「参加者がいる場所を特定するのは難しいんっすけど、この町からさらに東に行った所に、中世ヨーロッパ風の町があるんっす。そことかどうかな?多分参加者もいると思うけど。」
今度は中世ヨーロッパか。一気にファンタジーっぽくなって来たな。
「そこにはどんな人がいるの?」
右から頼果が尋ねた。
「女騎士団長がいて、彼女が指揮する騎士団はすごい強さだ、とかは聞いたことあるっすよ。」
「すごい強さ、かぁ。でも、こっちには無敵の唯我がいるからね!」
頼果が俺の肩を握った。馴れ馴れしく触るなよ。俺はその手を振り払う。
「今のところ勝率百パーセント。それに燃える刀も持ってる。まさに鬼に金棒っすよ、唯我さぁん。」
湊が俺の肩を叩いた。馴れ馴れしく触るなよ。俺はまた手を振り払う。
「寝かせろ。」
まだ何か言いたげな二人をよそに、俺は眠りについた。それにしてもこの枕は硬すぎる。明日は肩こりが心配だ。
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