1章 日は輝き、月は追う
1日目:Ⅰ 唯我、魂の迷宮に迷い込む。
重そうに空に蓋をした暗雲から、大粒の雨が滴り落ちてくる。傘を持ってきて正解だった。天気予報によれば、今日から梅雨入りとのことだ。雨が傘を叩く音と、四車線の道路を通り過ぎていく車の音が繰り返される。今日もまた、いつもと同じ道を帰っているが、高校からの帰り道に楽しみを見出すのはなかなか難しい。泥がかからないように、俺は建物の方に寄った。
各駅停車しか停まらない最寄り駅から家までは、歩いておよそ15分程度かかる。駅前の大通りを真っ直ぐ進み、スーパーの角を右に曲がった普通の住宅街の中に、俺の家はある。
ふと、朱色に塗られた大きめの鳥居が目に入った。暁刀神社、この周辺では一番大きい寺社だ。かなりの歴史があるらしく、話によれば、鎌倉時代からここにあると言われている。もっとも、信憑性は確かではないが。だとしても大きな神社であることに変わりは無く、毎年夏にここでお祭りが行われる。俺は小さい頃からここのお祭りに来ていたので、馴染み深い神社だ。頭の中に地図を難なく描ける。気分転換にでもちょっと寄って行こうか。腕時計を確認すると、針はおよそ七時半を差していた。もう日も暮れているころか。雨と暗い曇天のせいで全然気が付かなかった。俺は鳥居をくぐる。
二礼二拍手一礼をすると、ふと、俺は境内の奥に入りたくなった。所謂、気まぐれというものだ。本殿の奥には広葉樹の森林が広がっている。そこは街中の雰囲気とは程遠い、神秘的な空間だ。雨で憂鬱な時だからこそ、その空間に足を踏み入れたい。俺は森に足を進める。
空気がおいしい。騒がしい街の音は聞こえない。まるで別世界に来ているかのようだ。俺は目を閉じた。その時だ。急にめまいがして、俺はふらついた。目を開けているつもりだが、目の前は真っ暗だ。貧血だろうか?胸が痛い。俺は濡れた地面に倒れ込んだ。冷たく湿った落ち葉が頬に張り付いている感触が、だんだん薄れていく。雨はいつまでも降ってるように感じた。そのまま俺は意識を失っていた。
○ ○ ○
次に目を開けた時、雨は止んでいた。薄暗い森の中で、俺はひどく痛む頭を押さえながら立ち上がった。と、同時に異変に気付いた。おかしい。服が濡れていない。というより、地面が乾いている。ということは、かなり長い間ここに倒れていた、ということになるのだろう。
時間を確認しようとして気が付いた。腕時計が無い。時計だけじゃない。傘も、鞄も無い。誰かに盗られたのだろうか。俺は周囲を見渡した。薄暗い森は、月明かりに照らされていた。空の一部がうっすらと明るくなっている。ひんやりとした冷気が肌を撫でる。この感じ、見た所早朝だな。耳を澄ますと鳥のさえずりが聞こえてくる。俺は神社を離れるべく、本殿の方へ向かった。
なんだ、これは?本殿にたどり着いた俺は、思わず二度見した。その建物は、見たことのない物だったのだ。この神社は隅から隅まで知り尽くしている。こんな建物、見たことがない。雰囲気こそ和風な建物だが、よく見慣れた本殿とは形が全然違う。
建物の前には大きな焚火があった。横には一本の長い日本刀が祀られる様にして置かれている。知らない場所に迷い込んだのだろうか。俺が意識を失っている間に一体、何があったのだろうか。まさか、誘拐された?とりあえず、ここがどこかを確認しないといけない。俺は鳥居の方に向かって参道を歩こうとした。その時、遠くから人の話し声が聞こえた。俺は慌てて木の影に隠れる。もしかすると、俺を誘拐した犯人かもしれない。下手に動かず、様子を覗う。俺はこっそりと耳を傾けた。
「ここ、どこだ?」
「君、誰?」
困惑したような話声が聞こえる。どうやら、奴らも俺と同じ状況のようだ。俺は話を聞いてみることにした。木の影から出ると、俺は話しかけた。
「すみません、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
俺は尋ねた。三人の若い男女が一斉にこっちを見た。
「ここはどこか分かりますか?どうやら迷い込んだみたいで…。」
「あなたもですか?」
一番身長の高い男が聞き返した。短髪で、スポーツ系の雰囲気を漂わせている。
「じゃあ、あなたたちも迷い込んだんですね。」
俺は聞き返した。
「そうです。気が付いたらここにいて。うろうろしていたらこの人たちと出会って。」
小さい方の男が言った。小柄だが、体格は良さそうだ。
「じゃあ、知り合いじゃないんですね。」
俺は尋ねた。どうやら皆、初対面のようだ。
「そうなんですよ。でも、良かったです。一人だと心細いので。あなたも高校生ですか?随分と若々しく見えますが。」
女が言った。
「そうです。じゃあ、あなたたちも高校生?」
「はい、そうです。自己紹介が遅れました。私は田中朱音。高校二年生です。」
どうやら同い年のようだ。
「僕は山中夕陽。」
小柄な方の男が太い声で言った。
「俺は森本敦。よろしく。」
背が高い方の男が言って、手を差し出した。俺は、笑顔で手を握り返そうとした。その時だ。遠くの方で悲鳴があがった。
「助けてくれー!」
なんだろう。俺達四人は顔を見合わせた。するとどうだろう、向こうの方から十人程の若い男女が逃げるようにして走って来る。
「あの、どうしたんですか、何があったんですか?」
俺は、近くを通った人々に聞いた。しかし、皆逃げるのに必死で、俺と話してくれる様子は無い。
「来る、来るよ。早く逃げないと。」
最後に走ってきた女子が、おびえた様子で言い、そのまま走り去っていった。そんなに深刻な状況なのか…?
「なんだ、何が起きている?」
森本敦、背が高い方の男が言った。その時だ。白い煙のような人影が、近づいてきた。まるで幽霊だ。幽霊は、森本敦に手を伸ばした。
うわぁぁぁぁ…、悲鳴を上げて森本敦はその場に倒れた。
「冷たくなってる!脈が、脈が無いです!」
田中朱音が叫んだ。と、同時に幽霊は彼女の首を掴んだ。肩をすくめて彼女は倒れた。誰かが叫んだ。
「逃げろぉぉぉぉぉ!」
俺も、本能的に逃げ出した。慌てふためく人々に、幽霊は襲い掛かる。とにかく、本殿に向かうか。下手に知らない場所に向かっても、迷うだけだ。俺は走る。それからの状況は悲惨なものだった。参道を走る若者たちを、幽霊は次々と襲っていく。焚火の所に着いた時、残る者は俺と山中夕陽、そしてさっき俺たちに警告した女子の三人に減っていた。
「そうだ、この刀を使えば!」
一人の男が言った。山中夕陽だ。彼は、供えられていた日本刀を手に取り、構えた。幽霊が向かってくる。その時だ。刀が燃えたのだ。
「うわぁ、あっちぃ!」
突然火を纏った刀を握っていた山中は、手を火傷し、刀を放した。直後、幽霊は山中夕陽に襲い掛かる。彼は冷たくなって倒れた。
多くの人を犠牲にした幽霊は、その魂を吸収したのか、大きくなっていた。三メートルはあるだろう、近づくだけで震えが止まらない。逃げても不利だ。だが、対抗するにはあの燃える刀しかない。どうすればいい…?その時、一つの言葉が頭に飛び込んできた。
俺ならいける。
何の根拠も無い。証明問題で答えれば間違いなく0点だ。だが直感的に俺は刀を持った。直後、刀は火を噴いた。しかしなぜだろう、俺は熱さを感じなかった。というか、炎が俺の思うままに動く。感覚のまま俺は刀を振った。一撃だった。幽霊は燃え、灰になって降り落ちた。
しばらく灰と刀とを交互に眺めていた俺は、傍にあった鞘に刀をしまうと辺りを見回した。そこには、さっき走って行った女子しかいなかった。無残なものだ。多分十人くらいはいたであろう亡骸が倒れている。俺は手を合わせ、黙禱した。
一体、ここはどこなのか。なぜ、俺はあの燃える刀を使えたのか。それに、あの幽霊は何なのか。正気でいるためにはあまりにも謎が多すぎる。まずは、神社の外に出てみるとするか。俺は、その場を離れようとした。その時だ、さっきの女子が話しかけてきた。見た所普通の女子だ。多分高校生だろう。制服を着ていることから推理できる。
「ねぇ、ちょっと待って。あなた、何者?」
その女子は俺に聞いた。肩くらいで切り揃えられた髪。少し幼さを感じる綺麗な顔に、月のように神秘的な眼をしている。どちらかと言えば整った顔立ちをしている方だ。だが困惑しているのだろう、浮かぶ表情からは不安の色が手に取るように読み取れた。俺は振り返り、そしてゆっくりと言う。
「俺も、何がどうなっているかは分からない。」
その時突然、撫でるような冷気を感じた。全身に鳥肌が立った。森の中から何かが近づいてくる。段々様子が分かるようになって来た。狐のお面を付けた、背の低い人影が歩いて来る。
「また来た、幽霊の仲間かも。」
隣にいた女子が怯えて俺の影に隠れた。俺は身構えた。幽霊の仲間、その可能性は十分にある。狐の人影はゆっくりと俺たちを見て、そして落ち着いた様子で口を開いた。その声は幼いようで、しかし厳かだった。
「ようこそ、魂の迷宮へ。」
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