4 地獄の底

 キィィィィィィン!


 チェーンソウの叫び声が女王の間に響き渡り、飛び込んできた蟲の胸部が真一門に切り裂かれ、その身体が、体液が、床へと落ちていく。


 ――夥しい真っ赤な血と、混ざり合いながら。


「う――、」


 蟲を切り裂いたハルは、けれど苦し気に呻きながら、その場に倒れ込んだ。

 その肩に、首元に、今死んだ蟲の大顎が深々食い込んでやがる。


「ハル!」


 ショットガンを投げ捨てて、俺はすぐさまハルを抱き留めた。そんな俺に温かい血が降りかかり、死んだ蟲の大顎が、ハルの身体から外れる。……首元の肉を食いちぎったまま。


「……あ、」


 俺はただ、声にならない呟きを漏らす他になかった。抱き留めたハルの首元が、大きく、大きくえぐれてやがる。手で押さえてもまるで意味がないくらいに深々とした傷跡から夥しく血が流れ落ちていき、瞬きするたびに、ハルの顔色が土気を帯びていく。


「ハル!」

「……うるさいよ、ジン。耳元で、叫ばないでくれ……」


 弱弱しく、早くも朦朧とし始めているかのような、ああ。それこそ微睡みに落ちていくような雰囲気でハルは呟き……その視線を、俺へと向けた。


 かすんだような、眠たげな視線。急速な出血に意識と命を失っていきながら、ハルは言った。


「これで、おあいこかな?」

「何言ってやがる……喋んな!今、止血を――」


 ……したところでもう手遅れだろう。ああ、わかってる。もう遅い。傷が深すぎる。完全に致命傷だ。だとしても――それでもどうにか零れ落ちる血を止めようと傷口を押さえつけた俺の頬を、ふと、ハルが撫でた。


「良いんだよ、これで。これは、私の望み通りだ」

「俺は望んでねぇ!」


 咄嗟に、反射的にそう叫び……叫んだ俺の視界が、滲んだ。


 クソ。……クソクソクソ!


 助けられたと思った。そう思って、……油断したからか?なんで俺は反応できなかった。なんで俺の油断の付けをハルが払うんだ……クソ。


 歯噛みする俺の頬。零れる涙を、血まみれの手でハルは拭い……微笑んだ。


「君が、私を助けたんだ。ああ、……負け、だよ、私の。負けたから……ああ。助けたんだ、仲間を。だから、君は……」


 呟くハルの身体から力が抜けて、俺の頬を撫でるハルの手が、力なく零れ落ちていく。

 その手を、俺は掴み取った。


「ハル!待て……ダメだ!死ぬな!俺を一人にするな!」


 ただただそれだけ泣き喚いた俺を、ハルは霞んだ視線で見上げて、柔らかく、微笑んだ。

 そしてその唇が動き……だが、声が聞こえない。


「なんだ?ハル?……聞こえねえよ。なんて言ったんだ?」

「…………………」

「ハル?……おい、ハル!」


 呼びかける俺に、ハルは応えなかった。眠るように瞼を閉じて、それ以上何も言わず、も動くこともなく……抱き留めるハルの身体が突如、酷く重くなる。


「ッ……、」


 知ってる。この重さを。完全に力が抜けた人間の身体は、急に重くなるんだってことを、俺は知ってる。わかってる……。


「クソ……クソクソクソ!」


 呻き、俺はハルの躰を抱きしめた。冷たくなっていく躰を。もう、動かない躰を。


 逝かないでくれと願って、ただただ抱きしめ続ける。


 どうしてだ。どうして……どうして俺だけ生き残る!?


 また一人か?一人ぼっちか?一人ぼっちに逆戻りか?賑やかなのが楽しいんだって、やっとわかったのに……俺は結局、失うばっかりなのか。


 もう、何もない。何も、守りたいものは残っていない。


 だが、俺は生きている……捨てちゃいけないモノが俺にはまだ、残ってる。


 いっそ死んじまいたいような気分だ。けど、ああ、わかってる。それをしちゃいけないんだってことは、ぶん殴られて学んだ。今、死んだら……あの世に俺の仲間でぶん殴られるだろう。


 俺は許されないだろう。死ぬことは許されない。ハルが最後に……命を張って俺を守ったから。俺が助け出して、仲間に戻した奴が……俺を助けたから。


「………………ッ、」


 歯を食い縛る。歯を食い縛り、涙をぬぐい……その場に、ハルを寝かせる。

 そして俺はハルの首から、……ドックタグを回収した。


「ああ……おあいこだな、ハル。ありがとな、……楽しかったよ、」


 毒づきたい気分を。泣き喚きたい気分を。何もかもを歯を食い縛って堪え、俺は立ち上がった。


 背中が切られて、肩も浅く切られてる。俺の体からも血が流れ続け、左腕の感覚はない。


 そんな体に鞭打って、左手で剣を。ハルの形見を拾い上げる。


 右手で、ショットガン。身を守るための武器を握り締める。


 そうして歯を食い縛った俺の耳に――ふと、音が響いた。

 ピキピキと、何かが砕けるような音。それが、この広間中……あるいはこの巣のそこら中から、響き渡ってくる。


 視線を巡らす。女王の間の壁にくっついていた、淡く輝く卵。それが内側から砕けて、その中から幼体。小さく白く半透明のカマキリが、殻を食い破って頭を出し始めていた。


「……“大蟲厄”、」


 俺は、感情の全てを抑え込み頭から締め出し、それだけ呟いた。


 ああ、“大蟲厄”だ。本物の、蟲の災害。住処を失い――女王を失った蟲の幼体が、生き延びるために一斉に孵化し、周囲にある物を片っ端から喰い始める、……本当の地獄。


 生まれ落ちた幼体が、おぼつかない足取りで女王の間を這い始め……やがて、“クイーン”の死骸に辿り着くと、ゴリゴリ、それを噛み始める。


 生みの親だろうと死んだら、蟲にとっては餌なんだろう。ここに置いといたら、ハルの躰も……。


「…………ッ、」


 わかってる。わかってても、……俺はその場に。漸く安らかに眠り始めたハルに背を向けて、駆け出した。


 これで良いだろ、ハル?死体を守るために自殺なんて……そんなことさせるために、お前は俺を生かしたんじゃねえもんな。


「……クソ、」


 もう我慢もクソもない。吐き捨てるしかない。


 吐き捨て、駆けていく。

 死ねない。命がけで救われたから。


 生きるしかない。簡単に捨てて良い命じゃないから。

 生きて、一人で生き延びて……それで?生き延びてどうすりゃ良いんだ!


「……クソが、」


 全てに対して吐き捨てて、俺は通路を駆け抜けた。

 俺の背後で、生まれたばかりの白い幼体が、“クイーン”の体へ……そしてハルへと、群がって行く。それを、頭から締め出して、見ないようにして……。


「――クソがァァァァァッ!」


 吠えて、スラッグ弾を放つ。

 うまく動かない左腕に鞭打って、チェーンソウブレイドを振り回す。


 俺の行く手を阻もうとする、蟲、カマキリをぶち抜く。ぶった切る。そいつらの死骸を踏み越えて、ただただ、生き延びるために、逃げ出して行く。


 来る時に暴れていたからだろう。通路に蟲は少ない。必要最低限の交戦だけして、全速力で駆け抜けて、八つ当たりのように蟲をぶった切りながら、ただただ、進んで行く。


 進む俺の耳に、前からも後ろからも……この巣のそこら中から、おぞけの走る音が響いていた。


 ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……。蟲が何かを食ってる、咀嚼音。


 その最中を、駆け抜けていく。そうして駆け抜けていった末に、やがて視界が広がった。


 辿り着いた縦穴――そこに広がっていたのは、滅びだ。


「クソ……」


 縦穴にびっしりくっついていた卵が全て砕け、その中から幼体が、白い蟲が沸いて出ている。そいつらが殻に、成体に、生まれたばかりの同族にも噛み付き、それだけじゃなく階段やらコンテナやら、視界に入った物に片っ端から食らいついていた。


 “魔災蟲”。“大蟲厄”。……もはやそこにあったのは、怪物の群れじゃない。災害だ。


 成体よりも幼体の方がヤバい。もちろん、一匹一匹は弱い。生まれたてで殻もまだ固まってないから、踏んづければそれで殺せるようなサイズと強さの雑魚ではある。


 だが……狂気が成体とは段違いだ。

 幼体に殺意はない。“クイーン”を失った幼体に、規律なんてあるはずがない。


 あるのは一つ。ただただ一つ。……食欲だけだ。

 ドン!音を鳴らして、上から何かが降ってくる。蟲だ。成体。白い幼体に群がられて生きたまま喰われてバラバラにされていくカマキリ。それが俺の目の前に落ちてきて……その拍子に、幼体がつぶれる。振り落とされた幼体がおぼつかない足取りで鎌まで使って地面を這い始める。成体に食らいついていく。


 俺を、――餌と認識したんだろう。こっちへと飛びかかって来やがる。


「――クソがァ!」


 吠えてトリガーを引く。放たれたスラッグ弾が幼体を弾けさせ、直後に俺は回転リロード。


 同時に左で握ったチェーンソウブレイドでまた迫ってくる別の幼体を叩き切り、……そうしている間にも、うじゃうじゃと。ぽとぽとと、この地獄の底に落ちてきた蟲が俺へと這い寄り、飛びかかって来る。


「クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、」


 毒づき殺していく。どうにか、対処していく。スラッグ弾を撃って、剣を振るって、足元に来た奴を踏みつぶし、どうにか抗う。


 抗うことが馬鹿らしくなるくらいの数、幼体は迫ってくる。


 この縦穴にいた個体。そして女王様を……ハルの死骸を喰い終わったのか。俺が今来た道からも、幼体が迫ってくる。


 それらを無心に、完全に反射で。ぶった切りトリガーを引き踏み蹴り回転リロード。


 抗い抗い抗い……だが、だ。


 ふと、カチャンと、空しい音がショットガンから響いた。回転リロードしたのに、音が軽い。弾切れ……。


「――だからなんだァッ!」


 吠えてショットガンを吐きだす。銃剣で、飛びかかって来やがった幼体を貫き、串刺しにしたその死骸をショットガンを振って投げ飛ばし……。


 その死骸にすぐさま幼体が群がる。

 俺へも、白い蟲の群れが、次々群がってくる。


「死ねるかよ……死ねねぇんだよッ!」


 ただただ吠えて暴れ続けた。周囲に蟲の死骸が量産される。それを喰らい、それを踏みつけて、白い蟲の波が俺へと襲い掛かってくる。


 抗う。抗う。抗う。死ねない。死んで良い命じゃない。捨てて良い命じゃない。


 生き方を選べ。生き抜け。どれだけ空しくても、どれだけ寂しくても……。


「クソ、」


 ゴリゴリと、噛み砕く音が聞こえた。


 ショットガンだ。突き出したショットガン。それに貫かれながら、最後の力――いや、完全に本能だけだろう。幼体がショットガンを齧る。齧られたショットガンが、貫いている幼体の重さに負けて、へし折られる。


 その武器をすぐさま捨てて俺は両手でチェーンソウブレイドを握り、遮二無二振るう。


 ぶった切る。ぶった切った幼体を踏み越えてまた別の奴が来る。そいつを踏む。踏んで、切って、いっそ殴って。


 抗うたびに、俺の体に細かな痛みが走る。噛まれる。齧られる。チェーンソウブレイドすら、噛まれて削られていく。


 それらを無視して、切って、踏んで、殴って掴んで引きはがして、


「――クソ、」


 ……それでも、無限に抗える訳ではなかった。

 足がすべった。噛まれて上手く力が入らなかったのか。あるいは、ぶっ殺した幼体の死骸でも踏んだか。ぶちまけた汚い汁に足を取られたか。


 仰向けに倒れ込んだ。倒れ込んだ俺に……幼体の群れがすぐさま群がってくる。


「……ハッ、ここまでか?」


 すぐさま起き上がろうと思った。だが……身体の反応が鈍かった。


 そもそも、だな。そもそも出血してたっけな、俺。ギリギリ意地で立ってただけだ。それが、今、転んで……張りつめてた何かが切れたんだろう。


 もう、良いかハル?悪いな、助けてくれたのによ。俺はもう、意地張る気力も残ってねえ。


 そもそも……誰に意地張りゃ良いんだ?誰に噛み付けば良い。誰に文句言えば良い。誰に吠えれば良い?


 どうせ一人だ。一人で、生き続けても……。


「……ハッ、冗談だろ?」


 思わず、俺は呟いた。倒れた拍子に、視界の端に……ああ。希望って奴を見つけちまった。


 意地張る相手を見つけちまった。


 もしかしたら幻覚かもしれないと思った。だが、……ここに本当にそいつらがいる可能性にも、心当たりはあった。


 ハルの、良心?もしくは……“クイーン”の酷く趣味の悪い嫌がらせだ。

 趣味の悪い嫌がらせに、だから、決めたんだろう。巴投げを。


「……まったくよォ!」


 吠え、最後の意地とばかりに、俺は群がってくる幼体を殴り蹴り跳ね飛ばし、また立ち上がって踏み殺す。


 そして、すぐさまその場から飛びのいた。


 体中痛い。痛いってことはまだ死んでない。まだ死んでないってことは……まだ、まだまだま暴れられる。


 まだ、意地を張れる!

 飛びのいて、寄ってくる幼体をぶった切り……そして、目の前に群がる蟲の群れへと、俺は人差し指を向けた。


 そして、呟く。


「……バーン、」


 同時に、音が響いた。


 ダダダダダダダダダ――真横から放たれる鋼鉄の雨が、群がる幼体をなぎ倒していく。


 銃撃だ。小銃。フルオートのアサルトライフル。


 その引き金を引いた奴は、夢の中でルイと探った細い通路。気色悪い独房と気色悪い実験室に繋がる通路で、膝を立ててアサルトライフルを構えていた。


 おかしな服装してやがる。白衣なり布切れなり、身に付けられるものをとりあえず身に付けたってな、ちぐはぐで汚らしい格好だ。


 そんな格好ではあるが……顔が良いせいで妙に様になっちまってる。


 そんな女――シェリーは、ライフルの乱射で幼体の群れをなぎ倒しながら、喚いた。


「――やってないで早く合流して欲しいんですけどッ!どう考えてもカッコつけてる余裕ないじゃないですか!?リズ~~~~っ!」

「う、うん。……どうぞ、」


 シェリーの後ろには、リズもいる。汚い白衣だけ着てるらしい、リズ。そいつが、弾倉交換済みらしい小銃をシェリーに差し出し、撃ち切った小銃を受け取って、かき集めてきたのか山と積まれた弾倉と交換している。


「ハッ、……易々くたばんねえよなァ!」


 吠えて、蟲を切り蟲を踏み、俺はその通路へと駆け、滑りこんだ。

 そんな俺に、リズはすぐさま小銃を差し出してくる。


 そいつを受け取り、すぐさま広間――まだまだまだまだ夥しく幼体が迫ってくるその空間へとりあえずライフルをぶちまけ……。


 そんな俺へと、シェリーは問いかけてくる。


「ハルは?」

「後で話す」

「…………そうですか」


 察したのだろうか。ただそれだけをシェリーは呟き、それから、どこか呆れた様子で無限に湧いて出て来そうな蟲の群れを眺めて、呟いた。


「後って、あると思います?」

「ある」


 意地張って言い切った俺を横に、シェリーは肩を竦め、射撃を続けた。

 そして背後で、リズが言う。


「け、怪我。平気?応急処置は?」

「それも後で良い。……ああ、後だ。死なねえよ、」


 呟き、俺は射撃を続けた。無限に襲い掛かってくる蟲の群れに、抗い続けるように。


 ハル。お前は知ってたのか、こいつらが生きてるって。


 大切な仲間に会わせてあげるって、こういう事だったのか?お前、あん時死のうとしてたよな、俺に撃たれて。


 だから俺は外した。外した俺に、お前はキレた。


 ハッ……考えてもしょうがねえ事なのかもな。


 後で、聞けば良いか。くたばった後。あの世に行って、あの世でまた会った時に。


 ……ずいぶん、先の話だな。

 ああ、ずいぶん先の話にしてやる。精一杯生き抜いて……天寿を全うしてやるよ。


 俺は、地獄の底でトリガーを引き続けた。仲間と共に。


 地獄が終わる、その時まで……。


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