2 対峙する狼猫

 銃口が俺へと向けられる。冷静な――感情を殺したような瞳が俺へと向けられる。

 それを、ハルを俺は見据え、言った。


「よう、……元気そうだな。ハル。邪魔だ、どけ」

「困るんだ、暴れられると。君は突破力があり過ぎる。君の捨て身は怖すぎる。君の顔はもう見たくない。引き返してスラムに帰ってくれないかな?」

「“クイーン”を殺してからなら、それでも良い。邪魔だ、どけ」

「交渉決裂かな……」


 言って、ハルは拳銃を握る手に力を込めた。

 交渉決裂?ハッ……今更何言ってやがんだ。


「する気ねぇだろ、交渉なんて」


 その言葉と共に、俺は小銃を銃口をハルに向けた。途端、ハルは思い切り眉を顰め、言う。


「……?私に銃を向け――」


 タン!指切りで一発。躊躇いなく俺はトリガーを引き、放たれた弾丸が、ハルの手の拳銃へと吸い込まれていく。


「なッ――」


 カン!と音を鳴らし、弾き飛ばされたハルの手の拳銃が、底なしの縦穴へと落ちて行った。


 それを、……信じられないと言わんばかりな視線で、ハルは追いかけていた。

 頼むぜ、ハル。……んな顔すんなよ。お前は俺の敵なんだろう?


「ハル。……俺は今、軍人として動いてるつもりだ。まあ、ヤンチャしてんのは認める。個人的な事情が絡んでないってのも嘘にはなる。だが、行動する上での目的は、……軍人として。お国の為だ。“クイーン”を殺す。それが全てだ。それ以外はもう、今の俺には二の次だ」


 語り掛けた俺へと、ハルは視線を向けた。


 大層、ご機嫌を損ねてしまったらしい。猫は酷く酷く、いっそ憎んでそうなくらいに俺を睨みつけて来やがる。


 そして、ご立腹のまま、ハルは数歩、背後へと歩んだ。


「そう、……そうか。君は、私を撃てるんだ……。なら、もう良い。良いよ、もう……」


 呟き後ずさるハルの背後。大穴から、……空気が揺れるような音が響いた。

 “羽虫”の音?ああ、そうだろう。蟲の羽ばたきだ。ただ、“羽虫”より随分やかましく重苦しいってだけ。


 2種――カマキリの羽は基本退化してるはずなんだが、これも研究の成果か?


「……君との話は夢でする」


 苛立ちを無理やり押さえつけた冷たい視線を向けるハルの背後で、羽音の主が姿を現した。


 やっぱりカマキリだ。成体――いや、羽が復活してるし老体か?

 蟲にしては小さく、胸部から副腕――人間の腕が生えてて、そこに小銃を握ってるカマキリ。


 そいつらが数匹、ハルの背後でホバリングし、小銃の銃口を俺に向け――。


「ジン。これで、さよ――」


 ――俺は全部無視してトリガーを引いた。

 空中姿勢が良いな。飛べはするが飛ぶのに特化した形状にはなってない。3種――蜂より全然狙いやすい。ホバリングして空中に止まってるだけだ。


 そいつらへと、小銃の弾丸を叩きこむ。指きりでバースト、連射だ。


 タタン、タタン、タタン、タタン。リズミカルに放たれる弾丸が、ホバリングしてるカマキリの羽吹き飛ばし、頭を吹き飛ばし、銃を持ってる腕が吹き飛ばし、バランスを崩した蟲が一斉に、大穴を落ちていく。


 それらを背に、ハルは振り返らずただ俺へと目を見開いていた。


「初見で、あっさり……?」

「今更飛んだぐらいでビビるかよ。俺が何匹蜂撃ち落としてると思ってんだ?話してやったろ?笑い話を」


 言い放った俺を、ハルは暫し信じられないとばかりに見据え、そして、次の瞬間だ。


「……可愛げのない君はキライだ!」


 それだけ吐き捨てて、躊躇なく、大穴へと飛び降りて行った。


「だろうな、」


 呟き、俺はすぐさまハルの後を追いかけ、ハルが飛び降りたのと同じ場所から、やはり躊躇なく大穴へと飛び降りていく。


 深い縦穴。夢の中では薄暗かったそこが、夥しい卵に覆われて、白く光り輝いてやがる。


 気味悪い光景だ。そのど真ん中で、足場代わりになろうと健気に飛んで待ってたらしいカマキリの背中に飛び乗ったハルは、すぐさま視線を上げて、次の瞬間。


「なっ……、バカなのか君は」


 飛び降りて来てる俺を見上げて、呟いた。

 そしてそんなハルのすぐ目の前。足場になってるカマキリの頭に俺は着地した。


 バカ?俺が?ハッ……今更何言ってやがる。


「バカじゃなきゃ一人でこんなとこ来ねえだろ?しかし、昇降機(エレベータ)ついてたんだな、この家。デカいだけある、便利で良いぜ。さて、下に付くまで暇だな。話でもするか?」


 にこやかに小馬鹿にした俺を、ハルは苛立たし気に睨みつけ――そして次の瞬間。

 懐からナイフを取り出すと、それを躊躇なく、俺へと振って来た。


「おっと、」


 身を屈めて躱す。身をひねって躱す。そして3撃目の突きと同時に、俺は小銃を投げ捨てて、突き出されるナイフ。それを握ってるハルの手首を掴み取り、ひねった。


「うっ……、」


 痛みにハルは呻き、その手からこぼれたナイフが、遥か下へと落ちていく。

 それを追いかけるように、足場になってるカマキリもまた、底へ底へとゆっくり下りていく。振り落としちまえば良いんだろうが……ハルが乗ってる以上それもできない。


 近くに数匹、小銃持った蟲がいる。壁にくっついてる奴、空を飛んでる奴……そいつらもけれどどいつもこいつも、撃てない。撃つとハルにも当たるから。


「離せ」

「お断りだ。……仲良くしようぜ?狭い足場だ」

「……離せ!」


 片手を俺に掴まれっぱなしのハルは、逆の手を俺へと振るってくる。拳だ。鉄拳。鋭く繰り出されたそれを、俺はけれど身を屈めて躱し、


「おっと、危ない……」

「なッ!?」


 驚愕に表情を歪めるハルの足を払い掴んだ腕を引っ張って、殴りかかられる勢いのまま、ハルの軽い身体を、投げ飛ばした。


 いや、投げを繰り出した、が正しいな。宙へと吹っ飛びかけたハルの腕を、俺はそのまま掴み続け……ハルの身体は片手を俺に掴まれたまま、宙ぶらりんに吊るされる。


 そうして腕だけ掴んで宙につるしたハルを蟲の上から見下ろし、俺は言った。


「アブねえ、アブねぇ……。暴れんなよ、ハル。落ちちまうぞ?」

「……ッ。やってる事が、」

「チンピラだよ、俺は元々。なんだ?理想と違ったか、お姫様?なんでもかんでも理想通りには行かねえだろ?……お互いによ、」


 そう呟いた俺を、宙ぶらりんのままハルは睨み上げ、やがて、言った。


「いいや。……全部全部、私の理想通りに運んだ結果の今だ」

「強がりか?」

「そうだよ。だとしても、……私には後悔する権利すらないと思う」


 呟いた直後、ハルは片手を背後へと伸ばした。そこに、……すぐ近くの壁にいたカマキリが、持ってた小銃を投げて渡す。……チッ。


「従順なペットだな、」

「ペットじゃない。私の騎士だよ、……ロイヤルナイツ」


 その言葉と共に、宙ぶらりんなままのハルは、俺へと銃口を向けてくる。

 その引き金が引かれる寸前、俺はハルの腕を離した。


 まだある程度底まで距離はある。このまま落下したらヤバそうだが、……どうやらハルの身は騎士が守ってくださるらしい。


 さっきとは別のカマキリが羽ばたき、その背中でハルを受け止め……そして、ハルの銃口は俺を向いたまま。


 ――ヤバイ。そう直感した直後、俺は手近にあった階段。3年前に見たそれよりずいぶん錆びてるように見えるそこへと跳ねた。


 直後、俺の背後で足場にしてたカマキリが、ハルの銃撃を受けてボロボロになって落ちていく。


 それを背後に、階段の手すりをギリギリ掴み、そこを支点に跳ねた勢いのまま一つ下の階段へと身を滑り込ませ……俺は言う。


「自慢の騎士を撃っちまって良いのか!?」

「変わりは幾らでもいるよ。それに、……結局遅いか早いかだ」

「あァ?……クソ、」


 クソ、毒づいちまった。我慢してたのに。

 とにかく、俺は半ば転げ落ちるように階段を一フロア降りた。そんな俺の頭上を、ハルが、あるいは別のカマキリが撃ってるんだろう銃弾の嵐が襲い来る。


 それをギリギリ躱し身を起こし、背負ってたショットガンを手に取った俺に、ハルの声が響いてくる。


「手薄だと思わなかったかい?数が少ないと思わなかったか?その通りだよ、チンピラ。“クイーン”はここの戦力を過大評価し、帝国を過小評価している。なぜだかわかるかい?」

「知らねえよ、……チッ、」


 返事を投げたら直後に撃たれた。声で俺の位置把握してんのか?クソ、……まったく。


 うぜぇな。正面突破だ。


 俺は勢いよく階段を駆け下りた。そんな俺の頭上を、銃撃が、声が、打ち抜き追いかけてくる。


「箱入り娘なんだよ、“クイーン”は!この狭い辺境を眺めるだけで。そこでその日ぐらしに励む懲罰部隊と、この実験場で狂気のまま研究を続けたロマンチストの記憶を読むだけで、人間を学習しきったと過信した。だから、そもそも、帝国を相手にするだけの戦力はこの巣にはないんだよ」


 戦力がない?まあ、確かに……思ったより楽に奥まで来れちまってるしな。


 階段を駆け下りる。そろそろ飛び降りても良い位置か。だが、飛び出しちまうと階段がなくなっていよいよ遮蔽0だ。


 縦穴の底。その場所にあるのは、コンテナだ。だが、……放棄されて暫く経ってるようにも見える。研究員の姿はない。上でドンパチ始まったから奥に退避したのか?


 それとも……。


「だが、“クイーン”は過信した。人間の兵器を真似た蟲を用意し、人間の武器が扱える蟲を用意し……それで研究が済んだと考えた。だから、箱庭の外に喧嘩を売ることにして中にいる邪魔な人間を全て処分した。だが現実問題……この巣が起こす戦争は1週間もたたずに帝国に鎮圧されるだろう。その程度の規模の戦力、頭数しかここにはいないんだ。虎の子の戦力もキレた君が大半持って行ったしね」


 俺が殺した?ああ、……奇襲に来た奴らか?やったらしいな。キレ過ぎて覚えてねぇ。


「そこまでわかってんなら……止めたら良いだろ!」


 返事を投げて……俺は手すりを蹴り越えて、縦穴の底へと飛び降りた。


 古ぼけたコンテナが幾つかあるだけの蟲の巣の底。そこに着地と同時に、右手に握ったショットガンを回転リロードスピンコック


 横の壁にくっついてたカマキリを一匹、それで撃ち抜き、また回転リロード。


 そうしながら、左手に握ったチェーンソウで、接近してきたカマキリの大鎌をぶった切り、傍にあったコンテナの影へと飛び込む。


 銃弾が上から降ってくる。髪一重で躱した俺の横で、今俺に大鎌をぶった切られたカマキリがハチの巣にされ――ハルの声が頭上から響く。


「止められるだけの権限が私にはないんだよ、所詮祭り上げたいだけのお姫様だ。“クイーン”は私の思想、私の判断を理解しようとしない。人種の問題で祭り上げる価値すらないと言う事すら、理解しようとしない!せいぜいが私の気に入った男を勝手にスカウトするくらいだ。所詮蟲だからね、どんなに理知的に振る舞おうとしても本質的には人間について繁殖方法しか理解できていないんだ。そう言う場所で学んだんだからね?だから生物として理解できる範囲でおせっかいを焼こうとした。迷惑な話だよ、本当に」


 俺を夢にご招待した件か?まあ、あんなの見せた上で俺が仲間になりたがると思ってた辺り、マジでおせっかいで余計なことだろうな。ハルからすれば特に。


「――んなウゼェ奴になんで義理立てしてんだよッ!」


 声と共にコンテナから飛び出て、傍まで迫ってたカマキリをぶった切る。そして見える範囲の蟲にスラッグ弾を叩きこんで、回転リロード。


 位置を把握する。一番デカい通路……“クイーン”の居場所に繋がってる通路は見えた。


 そこまでの道順を遮蔽と敵の位置込みで確認しながら、またコンテナの影へ。

 射撃が降ってきて遮蔽にしたコンテナを叩く。そして、ハルの声が響いてくる。


「今更背を向ける権利が、私にはないからだ。物心つくその前から、エギル・フォーランズの理想を継ぐための人形として育てられた。だが、その理想は蓋を開けてみればこのザマだ。ここの狂気を見たんだよ。見学したんだ。そしてハル・レインフォードの軍籍を与えられ、あちらに送られた。仲間との日常に甘え、与えられたプロフィールに従う様に背筋を伸ばし、……狂気を忘れようとしたら罰が下った」


 罰。3年前の基地への奇襲……。


「全て私の父親のせいなんだよ。顔も覚えていないクソ野郎のせいだ!そして私のせいでもある。私が生きていたからここの研究者の狂気は私と言う後継者を望んだ。その狂気だけを学習し全てを過信した“クイーン”が、私を使って人間の支配を目論んだ。私がいなければここまでの事にはならなかっただろう」

「そう言う輩は誰かしら別に立てるだろ!ヤベェ宗教組織なり死にかけのマフィアなりは大体そうだぞ、スラムで見た!」

「だが私が大義の後継者になってしまったことは、現実だ」

「大義だァ?」

「ああ、大義だよ。全て大義の為だ。志半ばで散ったエギル・フォーランズの大義を継ぐ。ここの研究も、あの“戦争欠乏症ウォーレス”も、あるいはそこにあったあらゆる狂気や死も、全て!……大義の為の犠牲だった。今でも思うよ。私はもっと何かできたはずだと。3年前、皆を逃がせたんじゃないか。ルイを止められたんじゃないか。ルイの仲間を奪わずに済んだんじゃないか。もっと早く、この場所に引導を渡せたんじゃないか。外に助けを求められたんじゃないか。だが、……思ったところでもう全て過去だ。居心地の良い夢を見たところでそれはもう、存在しない。私が壊した。私と言う存在が、私の甘さが、私の無力が犠牲を生んだ。仲間が死んだ。生まれるはずだった命すら奪い取った。その犠牲の全てに報いる方法はなんだ?大義に殉ずる事だ。……それが滅ぶその時まで」


 大義に殉ずる?ヤベェ思想に染まってるみたいなことを言ってやがる。

 だが、違う。ハルは素面だ。どうしようもないくらいに。


 見捨てた命を無駄にしないために更に別の命を見捨てて騙して奪って今なんだ。

 立場や境遇は全然違うだろうが……ラムズの爺さんが言ってた建前と一緒だろう。


 いや、その更に先か?やった事、起こった事の責任しょい込んで、負けるとわかってても大義の為に倫理を無視し、戦い抜く……。


 考えようによっては、立派な思想なのかもしれねえ。責任取るって話だろ。


「お姫様扱いして悪かったな、ハル!……テメェは立派な軍人だ、俺なんかよりな」

「君は違うのかい?」

「俺は所詮チンピラだよ。兵隊ごっこしてるだけのチンピラだ。……戦友の仇は討ちたいだけの、スラム上がりだ!」


 声を上げると同時に、……俺は駆け出した。


 コンテナを遮蔽に、“クイーン”がいるんだろう道。デカい入口へと駆けていき……駆けざま、視線をハルへと向ける。


 依然蟲の背中に乗ったまま、ハルは、俺へと小銃を向けて来てる。

 その足場になってる蟲へと、俺はスラッグ弾を放った。


 狙った場所に当たるかどうか怪しい距離だ。いや、羽広げてるカマキリのどっかには確実に当たるだろう。だが精度の悪いスラッグ弾じゃ、その上にいるハルにも当たりかねない。


 だとしても撃った。

 当たっちまったら……運がなかった。俺のに。


 ただそれだけ考えて、カマキリ共が精度の低い射撃を降り注いでくる最中、撃つだけ撃って振り返らず、俺は“クイーン”の居場所に続く入り口に踏み込み、出てきたカマキリをぶった切って無力化しながら、その奥へと駆けていく。


 背後で、銃声が響く。その最中、呟きが聞こえた気がした。


「それはそれで、正しいと思うよ、ジン。……人としてね」


 直後に聞こえた銃撃を、今無力化したカマキリを盾に躱して――俺は駆けていく。


 蟲の巣の、奥深くへと……。

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